第四話
「ところで、攻略対象は分かっているのか?」
「あ…」
チョコレートを堪能し、お腹も心も満たされた私は幸せの余韻に浸っていた。のんびりとした私に、アシドは後片付けをしながら問いかける。
攻略対象…それは私の未来を左右する大きな存在。そんな重要人物のことなのに、完全に頭から抜けて落ちていた。アシドに言われて、慌てて攻略対象達の記憶を呼び起こす。だが、基礎的な知識しか思い出せない。
前世の私にとってこのスイラブというゲームの最大のプレイ目的は、クオリティの高いお菓子の作画。レシピをゲットできるスイーツイベントは完全に網羅しているが、攻略対象達とのイベントことなどは二の次となっていた…
そもそも前世で、演技の勉強や女優の仕事でイケメンとの恋は数多く経験してきた私は、そういった類のものに対して耐性がついている。そしてさらに残念なことに、私はスイーツ以上にイケメンに興味を抱くことはできない体質なのだ。
前世でグルメ系のVTRをスタジオで見ている時も、イケメンの俳優やアイドル達が食レポしているよりも、ベテラン感溢れるパティシエが品評している姿に惹かれた。身を乗り出して見てしまった時は、周りにちょっと引かれたっけ…
遠い記憶をたどる私の反応を見て、アシドの眉間にしわが寄った。『お前というやつは…』という、アシドのお怒りの感情が伝わってくる。
アハハと笑って誤魔化す私。アシドは大きくため息を吐くと近くにあった紙を掴みガリガリと何か書き始めた。
「いいか、攻略対象全部で五人だ」
「ぅぶ!」
顔に押し付けられるようにして、手渡された紙に目を通す。
・パルフェ・テイスト
フレーバー王国第二王子、なんでも出来る王道の王子様系。ヒロインとは幼馴染。属性魔法は『全』
・ケイク・クーヘン
騎士団長の息子。無口で剣術はかなりの腕前。小さな物が好きなギャップ系。属性魔法は『火』
・ラート・ショコラ
魔法局長の息子。冷静クール系。甘い物好きを隠す、ツンデレ要素有り。属性魔法は『土』
・カソナード・ドルチェット
公爵家であるドルチェット家の息子。少しぼんやりとしている天然系。ソルトの双子の兄。属性魔法は『水』
・シークレットキャラ有り
箇条書きで簡単ではあるが、とても分かりやすいメモに感動した。私はアシドのメモと自分の記憶を照らし合わせ、名前と顔を必死に一致させた。
「お前が十五歳になったら、上位魔法学校に行くのは理解しているな?」
「さすがにそれは分かってるって!」
魔法が使えるこの世界では、全ての者が必ず魔法を学べる学校に入学しなくてはいけない。魔法の暴走を防ぎ尚且つ才能ある者を国が見逃さないためだ。
魔法学校には種類があり、身分で別けられる。上位は王族と貴族。中位は商人と平民。下位は下民と身寄り無き者。異例として魔力が高かったり才能を国王が認めた者は身分関係なく、上位の学校に入学が許可される。
ドルチェット家は公爵なので、私は魔法の才能有無に関わらず上位魔法学校への入学が決定しているのだ。そこでヒロインや攻略対象達と色々あるから、少し気が重い。
はぁ…とため息をこぼしながら、改めてアシドのメモに目を通した。
「ところで…このシークレットキャラって誰か分かるの?」
「シークレットキャラは無視して大丈夫だ。攻略ルートに入る可能性はゼロだからな」
きっぱりと言い切るアシドに首を傾げる。どうやらアシドはシークレットキャラを知っているようだ。そして何故か私より、スイラブのゲームについて詳しい。そんな彼が攻略を完全否定するシークレットキャラ…逆に気になってしまう。
不確定要素の可能性が大きい存在なので、知っておきたいがアシドは教えてくれそうにない。可能性のある人物を記憶中で探すが全く思いつかない。うーん…と思索に耽っていると、片付けを終えたアシドが思い出したかのように声を出した。
「ちなみに…前世の記憶を持ってる奴、もう一人いるからな」
「ちょっと待って、他にもいるの!?」
突然のカミングアウト。シークレットキャラの情報よりも重要な存在だ。
それはどこの誰なのか、私のスイーツライフを脅かすような存在なのか…アシドに問おうとした言葉は予期せぬ来訪によって喉に押し戻された。
ガチャリ、と静かな音を立てて部屋に入ってきたのは、一人の美少年。
サラサラとした短髪の黒髪。少したれ目気味のサファイアの瞳は柔らかな印象を与える。
ソルトと同じく漆黒の髪とドルチェット家の瞳を持つ彼こそ、カソナード・ドルチェット。攻略対象の一人にして、ソルトの双子の兄だ。
突然の来訪者に驚く私。平然と部屋に入ってきたカソナードは、こちらに気が付き不思議そうしている。
「ソルト…どうして、ここに?」
「ここは私の部屋なんですけど…?」
「そうなのか?」
キョロキョロと部屋を見渡すカソナードに、今度は私が首を傾げる。
カソナードの部屋は、こことは反対方向にある。メイド達からカソナードの部屋が変わった、という報告は記憶にない。ならばどうして、カソナードは自分自身の部屋と私の部屋を間違えたのだろうか?
カソナードの様子を見るに、嘘をついているようには見えない。というか、なんだか妙に落ち着いている。
「カソナード様は極度の方向音痴だ」
アシドの耳打ちのおかげで納得した。
公爵家の広すぎる屋敷は、方向音痴のカソナードにとって迷路と同じなのだろう。冷静なのは、迷子になることが通常運転だから。普段から目的地とは違う場所に到着する事に、慣れてしまっているみたいだ。
そういえば…カソナードとヒロインの出会いは、学校で迷子になっていた彼を教室まで連れていくという内容だった。損得勘定などない、ただの親切心で教室まで案内してくれたヒロインをカソナードは意識していく展開なのだ。
カソナードのおかげで、新しい記憶を思い出せた。
カソナードはドルチェット家の証とも言われている、私と同じサファイアの瞳を静かにこちらに向けている。観察するようなその瞳に耐えられなくなった私は、得意の営業スマイルを浮かべた。
「お兄様も一緒にお茶を飲みませんか?」
お菓子はもうないけれど、という事実は告げなかった。というか、兄妹なのに思わず敬語になってしまった。
にこやかにお茶を誘う私に、カソナードは驚いたように目を見開いた。カソナードは黙考すると、チラリとアシドに目を向ける。アシドは、小さく微笑み新しいカップにお茶を注いだ。その様子を見て、アシドから許可を得たと感じたカソナードはゆっくりと私の向かいの席に腰を下ろした。
ことり、とアシドがカソナードの分のカップを置く。カソナードは、最低限のマナーを守りながら紅茶に口を付けた。
「アシドの紅茶は美味しいですよね」
「あぁ」
「私なんて、もう二杯も飲んでしまいました」
「そうか」
端的な返事で会話は終了してしまった。カソナードは会話下手、という新たなメモが私の脳内に刻まれた。気まずい沈黙を覚悟したが、以外にもその空気をやぶったのはカソナードだった。
「今日のソルトはいつもと違うな」
「え!? そ、そうですか?」
「なんというか…別人みたいだ」
ギクリッと肩が跳ねそうになったが、頬が引きつりながらも笑顔で誤魔化す。だが、カソナードの指摘も、ごもっともだ。
ゲーム内でのソルトは、コンプレックスの塊のような性格だった。
厳格な両親に育てられたからなのか、優秀な双子の兄といつも比較されていたからなのか…ソルトは異常なまでに自己肯定が低い。けれど、公爵家の人間としてのプライドが高いというのが厄介だ。自分に満足できず、いつも不機嫌。社交性は多少あるが、愛想がない。会話の時は人と目を合わせることは苦手だったし、肉親であってもお茶に誘うなど彼女は絶対にしなかった。
そんな妹が突然、笑顔でお茶に誘い世間話をするなんて…違和感しかない。
「い、イメージを変えてみようと思いまして…変でしょうか?」
私は苦し紛れの言い訳をしてみる。嘘ではない、断じて!
「いや…努力するソルトはすごくいいと思う」
フッと一瞬浮かべた笑みはとても優しく、不覚にもドキリとしてしまった。さすが攻略対象。乙女のときめきポイントをおさえている。
「だが…まだ前髪は切らないのだな。先ほど、父上に怒られていただろ」
私の前髪を見て、カソナードの瞳に少しだけ鋭さが宿った。
父上という単語を引き金に、私の中でチョコレートを食べる前のソルトとしての記憶が鮮明にフラッシュバックされた。
お父様の書斎に呼び出されたソルトは、お茶会の招待状を受け取った。それは王宮で行われる華やかなお茶会で、ソルトは表情には出さなかったが内心すごく喜んだ。そんなソルトの喜びに水を差すように、お父様はお茶会に出席するための条件を出してきたのだ。
その条件というのは…この長すぎる前髪を切るということ。
ソルトは、お父様に似たこの鋭い瞳が大嫌いだった。お母様のような柔らかい雰囲気の女性に憧れていたのに、この鋭い瞳が邪魔をしていると彼女はいつも思っていた。だから、前髪を伸ばし少しでも人目につかないようにしていたのだ。その前髪を切る、ということは彼女が嫌悪している部分を曝け出せと言われていることと同等の意味を持つ。
ソルトは勿論、抵抗した。だが、そんなソルトの意見などお父様は即座に一蹴し、お茶会への出席も却下されてしまったのだ。なおも抗議しようとしたが、お父様に怒りを込めた瞳を向けられたソルトは、言葉を飲み込んだ。
貴族にとって、招待されたお茶会に参加しないということは余程の理由がないと成立しない。自分の普段の身なりは、それほどまでにドルチェット家の恥ということなのか。疑問、悲しみ、悔しさ…様々な負の感情がソルトの中で渦巻いていった。
お父様の書斎を出た後、自室に戻ったソルトはひどく落ち込んでいた。そこへアシドが、元気が出ると言って、チョコレートを食べさせてくれたのだ。
記憶を辿っている私に、カソナードは言葉を続けた。
「ソルト…父上は意地悪でお前に、前髪を切れと言ったわけではない。今回のお茶会には、ドルチェット家以外の貴族も大勢参加する」
王宮で行われるお茶会に招かれた者たちは、きっと全員爵位が高い。己の地位を証明するかのように、宝石やドレスとかで豪華に着飾るのだろう。しかし、それと私の前髪を切るということが、どう結びつくのだろうか? そんなにこの長い前髪はみっともないだろうか? アレンジすれば可愛いと思うのだけど…
ちょいちょい、と前髪をいじる私に、カソナードは苦笑いを浮かべた。
「…貴族の間で、その…お前の前髪は、醜い顔を隠すために伸ばしていると…噂されているんだ」
なんですと!? カソナードから告げられた事実に怒りが湧いた。
ソルトの顔は子供らしい可愛さという感じではない。だが、決して醜くない。むしろ顔の造形自体は美しい部類に入るくらいに整っている。現に、血を分けたカソナードは美少年だ。
というか、十歳の子供の容姿を笑いのネタにするなんて…貴族というのは、くだらないとつくづく思う。
「その噂を知った父上は、拳から血が出るくらいに怒っていた…あんな父上を見るのは初めてだ。母上も驚いていた」
「あのお父様が…?」
「あの父上が、だ」
カソナードは子供らしく悪戯っ子のように、父上を強調する言い方をした。
ドルチェット家当主にして、私のお父様は常に冷静沈着だ。感情に流されることはおろか、表情もあまり表に出さない。機械のようなお父様を、少しだけ怖く感じたこともある。そんなお父様が、子供にも分かるくらい怒りを露わにするなんて…
驚く私に、カソナードは真剣な顔を向けた。
「今回のお茶会をその前髪で参加すれば、お前は悪い意味で目立ってしまう…目の前で大切な娘を馬鹿にされたら、父上は怒りを抑える自信がないのだろう。何より…貴族たちのくだらない笑い話の種にされ、ソルトが傷つく姿を見たくなかったのだと思う」
そうか…あの時お父様の瞳に宿っていた怒りも、さっきカソナードの瞳に宿った鋭さも、私自身に向けられたものではなく、私の噂へ向けられたものだったのだ。
それを理解した瞬間、心がふんわりと心地いい何かに包まれた。
お父様は貴族の仕事に関しては一流だが、娘への接し方は不器用なようだ。そんなお父様が可愛らしいと思ってしまい、フフッと笑みがこぼれる。カソナードは不意に、私の前髪を上げた。
「お兄様…?」
クリアになる視界。じっ…と静かに互いの姿がドルチェット家の証に映る。キョトンとしている私の顔をしばらく観察した後、カソナードは納得したように頷いた。
「うん…やっぱり、ソルトは可愛い」
飾らない単純で短い言葉。それでもカソナードの細められた瞳からは、溢れんばかりの愛おしいという感情が伝わってくる。
じわり、と頬に熱が集まってきそうなのが照れくさくて、私は慌ててカソナードから顔を逸らした。サラリと前髪が視界を覆う。
「お、お父様の考えは分かりました。前髪は少し落ち着いたら、アシドに頼んで切ってもらいます」
「そうか…」
お父様の真意を伝えられて安堵するカソナードの後ろで、アシドはすごく嫌そうな顔をしている。前髪を切るなんて仕事の範囲外で面倒なのかもしれないが、今は関係ない。無視だ、無視。
そういえば…とカソナードは言葉を繋ぐ。
「今回のお茶会には、最近街で有名な菓子屋がくるそうだ」
「お菓子屋さん…?」
ピクリ…と私のスイーツレーダーが反応した。
「あぁ…なんでも平民街にある店らしいが、そこのケーキがとても美味しいらしい」
「ケーキ…!」
魅力溢れる単語…ケーキ! 様々なイベントで絶対に欠かせないスイーツ界の花形!
「しかも、その店の菓子を食べた者たちは皆、体の調子がよくなるという噂があるんだ。僕はまだ食べたことが無いが、友人が苺を使ったケーキを食べた時、その効果を実感したと言っていた」
「それはショートケーキというお菓子でしょうか!?」
身を乗り出して問い詰める私の必死さに、カソナードは驚きながらもコクコクと頷く。
「つまり…お茶会に参加すれば、その美味しいショートケーキが食べられるのね…」
「お嬢様、よだれが出ております」
アシドの指摘に私は慌ててよだれを拭った。
お茶会に参加するだけで、美味しいショートケーキが食べられるなんて夢のようだ。このお茶会…絶対に参加しなければ…!
私は、ゆらりと立ち上がるとカソナードに手を伸ばした。
「お兄様…少し、短剣を貸してくださらない?」
首を傾げながらも、カソナードは護身用の短剣を渡す。普段なら絶対に手放しはしないが、妹が纏う異様なオーラに押されたのだろう。
私は鞘から短剣を抜くと、何の迷いもなく自分の前髪を切った。
視界を遮るものがなくなって、より鮮明に世界が映る。切り落とした前髪は、少なくとも十センチくらいはあるだろう。床に落ちないように髪を握りしめる。
「よし、こんなものね」
「ソルト…? え、今、髪を…」
指先を震わせながら、目を見開くカソナード。私はニコッと笑った。アシドは大きなため息を吐いている。
「どう? さっぱりして可愛いでしょ?」
パッツンの前髪だが、きっと可愛い。いや、ソルトの顔立ち的にキレイの方がしっくりくるかもしれない。私は自己肯定が高いのだ。
切った髪を処理しやすいように、紙の上に置くと私は部屋を飛び出した。カソナードとアシドの声を背中で受けながら目的の場所まで走った。
☆☆☆☆☆
走った勢いのまま、私は先ほど呼び出されたお父様の書斎へ乗り込んだ。
「お父様! お話があります!」
「ソルトか。騒がし…」
バァン!と派手に扉を開けて現れたのは、前髪が変わり果てた娘。お父様は、握っていたペンをポロリと落とし、いつもは厳しく細められている瞳を限界まで見開く。
「今回のお茶会、私も参加します!」
勢いよく宣言する私の前髪は、お父様が見た数時間前とは全然違う。予想もしなかったであろう前髪の状態に、お父様は明らかに狼狽えている。
「お前…その前髪は…」
「これで文句ないでしょ?」
「た、確かに切れとは言ったが…そこまで切る必要はなかったのではないか?」
チラリとお父様の瞳が気まずそうに私の前髪に向けられる。
「前髪を切れ、と言ったのはお父様です」
フンっと胸を張る私。前髪だけでなく、前世の記憶が戻った影響で性格も変わった私に、お父様は驚きを隠せないようだった。しかし、流石は公爵家の当主。頭の中を整理するかのように、深く呼吸をして自身を落ち着かせると、いつもの冷静沈着なお父様に戻った。
「そこまでして、お茶会に行きたかったのか…」
「もちろんです!」
私の目的は一つ、お茶会のお菓子の食べまくること! 貴族のお茶会ともなれば、豪華なスイーツがきっとあるはず! そして何より、ショートケーキを存分に味わうのだ!
スイーツで高鳴る胸が抑えきれず、興奮気味にお父様を見つめる。輝く瞳にお茶会に絶対参加する、と強い意志を感じ取ったお父様は、私とは別の目的に心を燃やした。
「そうか…では、殿下の婚約者に選ばれるよう私たちも全力を尽くそう」
「はい! ん?」
お茶会に参加できる嬉しさに勢いよく頷いたが、引っかかる言葉があった。
殿下…婚約者…?
サァ…と血の気が引いていく。
「お、お父様…お茶会ってもしかして…」
「殿下の婚約者を探すのが目的だ」
「なんですってぇ!!」
自分の欲に負けた少女の哀れな叫びが大きな屋敷に響き渡った。
読んでいただき、ありがとうございます。