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第三話


 秒針の音がはっきりと聞こえる、静まり返った部屋。アシドの琥珀の瞳は紙に書かれた文字を捉えている。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう!?


 無表情のまま、じっくりと文字をたどるアシド。私は体を固くしてアシドの様子をうかがっている。心臓がバックンバックンと大きく跳ねる。


 前世の記憶があるという話なら、まだ理解されるかもしれない。だが、この世界はゲームという空想の世界で、私はそのゲームの悪役令嬢兼ラスボスという大役なのよ、なんて…どう考えても普通の思考を持つ人間ではないと思われるだろう。妄想少女として、冷え切った目で見られるか…頭がおかしくなった、と判断され医者に連れていかれる可能性もある。もし、入院ということになったら…お菓子の持ち込みは出来るか確認しよう。 


「お嬢様…」

「はいぃ!?」


 大袈裟なくらいに背筋を伸ばし、返事をする。内容を読み終えたのか、アシドはカチャリと親指で眼鏡のブリッジをあげると、私に目を向けた。独特な眼鏡の上げ方は、何かを探ろうとしている時にでるアシドの癖だ。何をどこから問われるのか、パニック状態になっている私の頭では予想ができずゴクリと唾を飲んだ。


「とりあえず、ティータイムにしませんか?」


 ニコリといつも通りの笑顔でアシドの口から放たれたのは、予想もしない言葉。呆気にとられた私は、思わず頷いてしまった。私の了解を得て、アシドはお茶の準備に取り掛かる。


 テキパキと無駄なく動くアシドを私は黙って見ていた。しかし、脳内では自問自答が高速で行われている。


 なんで何も聞かないの? もしかして、文字が汚くて読めなかったとか? いや、それはない。だって、アシドは確かに「スイラブ」と紙の内容を声に出していた。意味不明すぎるから、見なかった事にしているとか…?


「お待たせ致しました」


 アシドの声に思考の世界から、現実世界へと意識が戻る。


 コトッと机に置かれた、きめ細やかな装飾が美しいカップとソーサー。カップの中には、澄んだ紅茶がユラユラと揺れている。優しい香りに誘われるように、私の手は自然とカップへとのびた。公爵令嬢だけあってマナーが身に沁みついているのか、自分でも信じられないくらい優雅に紅茶に口をつける。こくり、と一口飲めば、豊かな香りが口いっぱいに広がり、慌てふためいていた心がとても落ち着いた。


 緊張の糸がとけ和んでいる私に、アシドはすかさず本日のお楽しみを取り出した。


「本日のお菓子、チョコレートでございます」


 ソーサーより、少し小さなお皿に乗っている上品な見た目のチョコレート。とてもシンプルな見た目だが、チョコレートの表面はツヤツヤと光り輝いている。そして、何粒かお皿に乗っているチョコレートは少しずつ色が違っている。おそらく、カカオの配分量が違うのだろう。


 一番色の濃いチョコレートはハイカカオと予測できる。前世で経験した苦い思い出が舌によみがえってきた…だが生まれ変わった今なら美味しく食べられるかもしれない。そう考えると食べる前からワクワクしてしまう。


 その気持ちは、先ほどまでの脳内を占めていた不安や疑問などを、脳のはるか隅の方へ蹴飛ばしてしまっていた。


「いただきまーす!」


 私は、ミルクチョコを手に取った。まろやかな色味のチョコレートをゆっくりと口内へ入れる。


 じゅわり、と体温でチョコレートが溶けていく。すると、甘くとろける幸せの味が口に広がっていく。ミルクとチョコレートのバランスがとてもよく、濃厚なチョコレートをじっくりと味わう事ができる逸品に感動すらしてしまう。


「…美味しい!」


 たった一粒で、幸福感で胸がいっぱいになり、強張っていた頬が緩み自然と笑みがこぼれる。スイーツとはやはり偉大な存在だ。


 さて、次の一粒はどれにしよう!


 迷いながらも新たなチョコレートへと手を伸ばした。だが、その手はチョコレートに届くことは無かった。私の手を避けるように、アシドがサッとお皿を取り上げてしまったのだ。


「続きを楽しむ前に…お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 ニコニコとしているアシドの笑顔に黒いものを感じて、私の頬が再び引きつる。こういう圧のある笑顔は前世でもたっぷりと味わってきた。だから、対策も知っているはずなのだが…なぜかアシドには通じないと本能が知らせている。


「先ほどの紙に書かれた内容…詳細をお聞かせ願います」

「な、なんのことかしら?」


 悪あがきだと分かっているが、一応とぼけてみる。アシドは、ほほう…と小さく呟くとお皿からチョコレートを一粒掴み、そのまま自分の口に入れた。


「んな!?」


 令嬢として、いや女の子として出してはいけない声が出てしまった。しかし、許してほしい。私にとって目の前の光景は、それほどまでに衝撃的なものだからだ。


「さすが公爵家のお菓子。美味でございます」


 チョコレートをしっかり味わっているアシド。


 羨ましい…じゃなくて、主人のお菓子を勝手に食べる執事っている!? 


 私は信じられない者を見る目を彼に向けた。そんな私の視線など完全に無視し、アシドは平然と食べ終えると再び私に問いかけた。


「さて、お嬢様…詳細を聞かせていただけますよね?」


 副音声が聞こえる…『チョコレートをこれ以上減らしたくないでしょ?』という脅しが…


「アシド…主人のお菓子に手を付けてもいいと思っているの?」


 やめておけばいいのに、アシドに公爵令嬢としての威厳を見せようとする。


「先ほど、お嬢様に私のチョコレートを一粒差し上げましたよね? これでチャラです」


 即座に返答され、ぐうの音も出ない。やはり、アシドの方が上手のようだ。


 私はついに降参した。大人しく先ほどの紙の内容をアシドに解説していく。いつも傍にいてくれた彼が私の事を嫌わないようにと願いながら――


☆☆☆☆☆


「で…これがさっき急に現れた、前世で大切にしていたスイーツノート。私はこの切り抜いている記事のスイーツを全部食べたいの」

「…中身を見てもよろしいですか?」

「えぇ」


 私は、ノートをアシドに渡した。アシドは丁寧にページをめくりながら、中身を確認している。


 あれから、私は包み隠さず正直に全てをアシドに話した。前世の記憶や後悔、この世界を舞台にして起こるソルト・ドルチェットの…私の未来。そして、寿命を全うしたいという私の意思とその理由。


 アシドは静かに私の話を聞いてくれた。呆れたり、途中で話を止めたりなどせず、私の目を真っ直ぐ見据える彼の瞳は真剣そのものだった。誠実なアシドに、前世で沢山お世話になった一人の人物が重なる。それは、前世で私に最後まで必死に声をかけてくれていたマネージャーさん。口が悪く腹黒で、厳しかったマネージャーだった。けれど、どんな些細なことでも真剣に話を聞いてくれる彼には、いつも感謝していた。厳しかったのは、マネージャーさんなりの私への愛情だと思っている。


 ん? そういえば…マネージャーさんも変な癖あったような…?


「なるほど…やはり、前世の記憶がある者は強い後悔があるみたいですね」

「強い後悔…?」


 中身の確認を終えたアシドの言葉に、私は首を傾げた。アシドはノートを静かに閉じ、また眼鏡のブリッジを親指で押し上げ、私を上から下まで観察する。一通り、私の姿を見終えたアシドは小さく息を吐いた。


「お嬢様の場合…スイーツを食べる、という食い意地の張った後悔ですね」

「食い意地って…ていうか、アシドはさっきの話を信じてくれるの!?」


 サラリと放たれた失礼な言葉はとりあえず置いといて…私はアシドに当たり前の質問をした。


 何度も言うようだが、私の話は事実である。しかし、他者が聞けば夢物語もいいところだ。


「まぁ、普通は信じないでしょね」

「じゃあ、何で…?」

「簡単に言いますと…私にも前世の記憶がございますからね」

「……はい?」


 私の頭上に疑問符が一気に三つくらい登場する。私はアシドの言葉をゆっくりと反芻した。そして、自分の中にアシドの言葉を取り込んでいくと、先ほどぼんやりと浮かんだ人物の姿が、ハッキリと現れてきた。


 独特なあのブリッジの上げ方…まさか…!


「ア、アシドって、もしかして…」

「やっとか…」


 ニヤリと唇で弧を描くアシド。雰囲気がガラリと変わり、脳内の人物と完全に一致した。


「マネージャーさんなの!?」

「まぁな」


 短く肯定するアシドに、私の目が大きく見開かれた。


 驚きを隠せないのも無理はない。アシドの前世は、なんと私のマネージャーをしていた彼だった。思い出してみれば、確かに敏腕マネージャーとして有名だった彼とアシドは重なる部分が多い。


 だから、本能があの笑顔に逆らえないと思ったんだ…と妙に納得できた。


「えっと…アシ…いや、マネ…?」


 アシドと呼んだ方がいいのか、マネージャーさんと呼んだ方がいいのか悩み、口ごもった。そんな私の思考を瞬時に察し、「アシドでいい」とすぐに助言してくれる。さすがだ。


「アシドは、どこで私の事が分かったの?」

「正直、半信半疑だったが…これを見て確証したな」


 そう言ってアシドは、スイーツノートを開いて私に見せる。前世で私が大切にしていたスイーツノートを彼も覚えてくれていたことに、トクン、と…ときめきの音が胸の中で鳴った。


「この字を見てお前の字だとすぐに気が付いたよ」

「まさかの筆跡鑑定!?」

「あと、記事の貼り方が雑だ」

「そして、ひどい!」


 抱いたときめきは、数秒で粉々に砕かれた。ロマンチックなものを期待してしまった自分が少し恥ずかしい。今世でも分析型タイプであるマネージャーこと、アシドだった。


「あれ? そういえば…」


 分析が完了したアシドから、スイーツノートを受け取った私はここで一つの疑問が浮かんだ


「マネージャーさんの…アシドの後悔って何?」


 さっき、アシドは前世の記憶があるのは強い後悔がある、と言っていた。あの言い方は可能性ではなく、確証を得たようなものだった。おそらく、アシドも私と同じく後悔があるのだろう。


 私の質問に、アシドは答えようかどうしようか悩んでいる。だが、根が真面目な彼は今世で主人である私に嘘は付けないと思ったのか、ゆっくりと口を開いた。


「…そうだな…守りたかった…守るべき人を守れなかった事…だな」


 アシドの伏せた瞳に一瞬、憂いのようなものを感じた。その憂いは胸をキュっと締め付けるような苦しさを、私に与える。何か言いたいが、言葉が出ない。出そうとしても、すぐに押し戻されるような感覚だ。


「なので…私は守るべき者のためなら、迷わず動こうと思っております」


 パッと切り替えて、ニコリと笑うアシド。それはいつものアシドの笑顔なのだが、前世が私の知るマネージャーだと分かってから、戸惑いと同時にどこか胡散臭さを感じてしまう。


「さて、詳細も聞けたことだし…ティータイムの続きでもするか」


 ティータイム、という言葉に胸が躍った。と同時にチョコレートの悲しみがよみがえってきた。私はじとり、とアシドに恨みをこめた視線をぶつける。食べ物の恨みは怖いのだ。


 そんな私の視線など関係ないといったように、アシドは涼しい顔で新しいお茶の準備を再開している。


「アシド…さっきみたいな事、他の人にしてないでしょうね? 流石に見過ごせないわよ」

「アホか、貴族相手にあんな不敬なことしてみろ。俺の首なんて一発でアウトだ」


 確かにそうだ。いくら成人していない令嬢相手だとしても、毒味ならまだしも従者が勝手に食事に手を付けるなど無礼すぎる。それが分からないほど、アシドは愚かではない。


「それって、つまり…私だから問題ないってこと?」

「ま、お前だけ特別ってやつだな」

「全然、嬉しくないんですけど…」


 私はあからさまにションボリと落ち込んでみせた。だが、中身である前世の私の事をよく知っているアシドには罪悪感を与えるなどの効果はないようだ。アシドは軽く笑いながら、チョコレートがのったお皿を置いてくれた。


 やっとゆっくり食べられるチョコレート。一粒減って悲しいけど、食べられないより断然いい。


「あ…」


 残ったチョコレートを見て、私は思わず声が漏れた。


 アシドが先ほどの食べたのは、お皿にあるチョコレートの中でも一番色が濃いものだ。おそらく、ハイカカオのチョコレートだったであろう、それは前世で私が苦くて騒いでいたものだ。


「…何ニヤニヤしてるんだ?」

「別に、なんでもないわ」


 アシドの…マネージャーの前世から変わらない何気ない不器用な優しさに、笑みがこぼれる。


 窓からさす柔らかな光のような暖かなものが、心に広がっていく。アシドと一緒なら、これから向かう先は何かいいことが待ち受けている、と根拠のない自信を抱くことができたティータイムとなった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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