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第十話

 アシドの腕の力が緩んだのを合図に、私は近くにあった椅子に腰かけた。


「それで…腕は本当に大丈夫なの?」


 ムラングから大きな怪我にはなっていないと聞いてはいるが、あの出血を考えると傷自体は深いはず。神経を損傷していないか不安で仕方がない。


「問題ないな。片腕は捨てたつもりだったが…シエルの魔法のおかげか、痛みや麻痺とかも全くない」


 さらりと恐ろしい覚悟を口にしたアシドに、文句が飛び出しそうになった。けど、痛みも無くいつも通りに動いている腕を見ると、そんな怒りは喜びに塗り替えらてしまう。目の前の彼が無事であることが心から嬉しい。


「まぁ、傷跡は残るだろうけどな」

「そっか…」


 今は包帯を巻いてもらっていて見えないが、きっと痛々しいものなのだろう。じっ…と包帯越しに怪我の部分を見つめる。アシドは小さく息を吐くと、私の頭に軽く手を置いた。


「そんな顔するな。お前がしおらしいなんて…正直、気持ち悪い」

「何よ、それ。人がせっかく心配しているのに」

「お前に心配される日が来るなんてな…俺もまだまだみたいだ」

「ひどくない?」


 大袈裟なくらいに盛大なため息を吐くアシドに、むくれ顔を向ける。ふっと二人の目が交わると、笑い合った。暖かいこの空間は本当に安心する。


「お話は済みましたかな?」


 ひょっこりと顔を出したムラングに、アシドはバッと私の頭から手を引いた。


「もしや、お邪魔でしたかな?」


 クスクスと少し意地の悪い笑い方をしているムラングに、アシドは苦笑を浮かべる。


「その冗談は不敬ですよ、ムラング様」

「おやおや、これは失礼」


 言葉では謝罪しているが、悪びれる様子はない。ムラングはいつもの落ち着いた笑みに戻すと、しわが刻まれた手で、アシドの頭をゆっくりと撫でた。


「本当に無事でよかった…もう無茶をしてはいけませんよ」

「…お言葉ですが、俺はもう子供ではありません」

「そうですね…しかし、あの場所で育った子らは、いつまでも私の大切な子供です」


 あの場所、というのはきっと孤児院のことだろう。アシドだけでなく、皆に愛情を注ぐムラングは神父の鑑だ。


「こんな老いぼれの勝手な思い込み…迷惑かもしれませんが、どうか付き合ってください」


 どこまでも穏やかで優しい眼差しに、アシドは照れくさそうに顔を背ける。


 あぁ、そうか。アシドにとってムラングは、父親のような存在なんだ。


 私は転移魔法の時に、教会の前で見せたアシドの表情を思い出した。嬉しいけど、どこかくすぐったそうなその表情は、親から褒められたけど素直に感情が出せない子供のものだったのだ。


 可愛いところもあるじゃない。


 優秀で隙がない執事の新たな一面が発見できて、なんだか嬉しくなる。と同時に、ムラング相手では強気になれないアシドを見るのは気分がよかった。


 ニヨニヨと不躾な笑みを浮かべつつ、アシド達を見守ってしまう。その視線に気が付いたアシドは冷気を纏った瞳を向けてきた。


 こ、怖い…さっきまでの優しい空気はどこに行ったのだろうか…


 数分前の柔和な空気がはるか遠くの記憶のように感じ、かつての穏やかさを懐かしむ―



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 その後、シエルとパルフェが戻って来てくれた。


 しっかりと意識があるアシドの姿を見て、ホッと胸を撫で下ろしてくれる優しい二人。アシドも心配をかけたことを謝罪しつつ、シエルたちに怪我がないようで安心したようだ。


 ムラングとパルフェがいるので、執事モードの彼は丁寧な口調でシエルに言葉をかける。


「あの時、シエル様がいなかったらどうなっていたか…本当にありがとうございました」

「そうですね。シエル殿には感謝してもしきれません」


 アシドは、素直に感謝の言葉を述べると頭を下げた。そして、息子同然であるアシドの腕を治癒してくれた少女に、ムラングも深く頭を下げる。シエルは慌ててアシドたちに頭を上げてもらうよう願った。


「頭を上げてください、アシドさん! 師匠!」

「師匠…?」


 顔を上げたアシドの眉がピクリと反応した。


 まぁ、そうだよね。そういう反応になるよねぇ…


 どういうことだ? と言いたそうな顔に、私は別室でおこった経緯を簡単に説明した。


 説明を聞き終えたアシドの顔に疲労感が増加する。その疲れを少しでも支えるように、頭を押さえながらムラングに目を向けるアシド。


「ムラング様…ご自分の立場をもっとお考えください」

「考えておりますよ? だから、こうして有望な若者の教育には熱心なのです」


 ドヤッ! と胸を張るムラングに、アシドは深く息を吐く。


 温厚の化身のようなムラングではあるが、破天荒な面も持っているようだ。ヒロインと育ての親にタッグを組まれては、アシドに勝ち目はないだろうなぁ、とぼんやり思う。と同時に、二人に挟まれた執事の胃が心配になってきた…


「アシドさんも大変ですね」


 パルフェが苦笑を浮かべながら呟いた言葉に、表には出さないが私は全力で同意した。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 アシドの気持ちが落ち着いたところで、パルフェは騎士たちからの報告などから得た情報を、簡潔にまとめ共有してくれた。


 現時点で重要な情報は全部で三つ。


 まず、一つ目。


 今回の魔物襲来で怪我人はいたが、幸いにも死人はいなかった。そして、怪我もアシドが一番重症らしく他の皆は完治したそうだ。アシドの傷は完治こそしているが、血が不足している可能性があるので、数日は安静にするようにとのこと。治癒魔法は傷や毒などは癒せても、血液を復活させることはできないのだ。


「言うこと聞かない時は、師匠に言いつけますからね」


  ニッコリと、シエルから笑顔でくぎを刺された時のアシドの表情は面白かった。


 さすがヒロイン。この世界では最強のようだ。


 二つ目は、結界についてのこと。


 騎士たちの報告によると、結界は通常どおり作動しており破損している痕跡も無かったそうだ。だから、魔物が外部から侵入してきた可能性はゼロだという。ならば何故、王宮内に魔物が現れたのか…考えられる方法は一つだけ。


「内部で魔物を召喚した者がいた…ということになります」


 パルフェのその言葉に緊迫した空気が漂う。犯人が分からないので、その目的も不明のままというのが一層恐怖を煽る。


 この件は落ち着き次第、早急に調査を開始するとのことだ。


 そして、最後三つ目。


 これが一番重要だとパルフェが言うので、皆が固唾を飲む。


 緊張の糸が張り詰め、部屋が静寂に包まれる。それとは対照的に、ドタドタと部屋の外が騒がしい。何だろうと耳を澄ませると、喧噪な音はどんどんこの部屋に近づいてくる。


「困ります! 彼は今、治療中で…」

「固いことを言うな!」


 バンッ! と勢いよく開かれた扉。そこには、救護班らしき人物を腰にぶらさげている大柄の男性がいた。


「よぉ、アシド! 怪我の具合はどうだ?」


 ニカッと白い歯を見せながら片手をあげている中年男性に、全員の目が集まる。


 誰、このおじさん…?


 突然の来訪に固まっている私達を見て、男性の腰にしがみ付いていた人物が慌てて頭を下げた。


「申し訳ございません! 治療中と止めたのですが…力及ばず…!」


 救護班の人は、ペコペコと首が千切れそうな勢いで何度も頭を下げる。可哀そうなくらいに謝罪を繰り返す救護班の人に、アシドは眉間に皺を寄せつつ言葉をかけた。


「大丈夫です…後は、こちらで対応します。どうぞ仕事にお戻りください」

「はい! 失礼します!」


 騎士のようにビシッと敬礼をすると、救護班の人はパタパタと持ち場に戻っていった。


「さて…ホウル団長。用件はなんでしょうか?」


 アシドの言葉に、私は首を傾げる。


「ホウル団長?」

「彼のことですよ」


 私の疑問に、隣にいるパルフェがすぐに解答をくれた。


「彼は騎士団団長、ホウル・クーヘンです」


 体格がいい中年男性の正体は、騎士団の団長でホウル・クーヘンというらしい。


 名を呼ばれたホウルは、炎のような真っ赤な瞳をこちらに向けた。


「おぉ!? これは殿下、失礼致しました!」


 パルフェの存在に気が付いたホウルは慌てて膝をつく。


「かしこまらないで、いつも通りにしてください」

「しかし…」


 チラッと、ホウルは私の方に気まずそうな目を向けてきた。


 何? 私なにかした?


 疑問符を頭上に浮かべている私を見て、パルフェはクスリと小さく笑う。


「彼女なら大丈夫です。君の態度を不敬だなんて、度量の狭いこと言いません」


 そうか…私が貴族の娘だから、彼の態度を不敬だと怒ると思ったのか。


 確かに、子供とはいえ貴族は貴族。何がトラブルの火種になるか分からない。それを未然に防ごうとするこの騎士団長は、頭の中まで筋肉で埋まっていないようだ。


 ホウルはパルフェの言葉の真偽を確かめるように、じっ…と私の顔を見ている。


「いつも通りにしてもらって、大丈夫です! 私はそんな器の小さな女ではありません!! ゴフッ」


 ドーンッ! と力強く胸を叩く。力加減を誤ったせいで、ちょっとむせてしまった…


 恰好がつかない私にホウルはキョトンとした後、肩の力が抜けたように笑みをこぼした。


「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうか…堅苦しいのは、どうも苦手でな」


 立ち上がり頭をかくホウルに、パルフェはクスクスと笑う。


「ふふ、ホウルさんの敬語…違和感があって面白かったです」

「パルフェ…今度の稽古、覚えてろよ」


 乱暴に頭をくしゃくしゃにするホウルの手を、パルフェは嬉しそうに受け入れている。アラモドなんかより、この二人のほうが兄弟のようだ。


 微笑ましい光景に和みつつ、ホウルを観察してみた。


 中年なのに筋骨隆々の肉体。小麦畑のような金の髪に、燃えるような炎の瞳を持つホウル。ザ・熱血、という雰囲気が感じられるホウルは、騎士団長が天職のような男だ。


「ホウル団長は、いい人ですよ」


 いつ間にか私の隣に移動していたシエルが、新たな情報をくれる。


「シエルちゃん、ホウル団長のこと知っているの?」

「はい。うちのお店に嫌がらせをしていた商人を捕まえてくれたんです」


 話によると、シエルのお菓子によって人気店となった彼女の実家を、面白く思わない商人が、難癖をつけてきたそうだ。脅迫にも似た商人の対応に困っていた時、助けてくれたのがたまたま店に来ていたホウルだったらしい。商人は護衛を雇っていたようだが、ホウルはいとも簡単にそいつらを打ち負かし、悪人は御用になったという。


 なるほど、さすが騎士団の団長だけのことはある。業務時間外でもあろうと、騎士としてトラブルを解決する姿勢はもちろんだが、複数相手でも圧勝できるほどの実力を持っているようだ。


 先ほど人一人を腰にくっつけても、平然と歩けていたホウルを思い出す。


 日々鍛えている騎士団長にとって、あれくらいの重さや障害など無いに等しいのだろう。そんな騎士団長に必死にしがみ付いていた救護班の人は、根性があるのかもしれない、などと見当違いな考えが脳をよぎった。


「そこからの常連さんになってくれて…よく訓練の後に渡す、ご褒美用のお菓子を買って下さるんです」

「え!? 訓練したらお菓子もらえるの!?」


 私のスイーツレーダーが貴重な情報に食い付く。鼻息荒くなっている私に、シエルは苦笑を浮かべていてしまっている。


「息子さんにだと思いますよ。いつも可愛いのを選ばれるので、騎士の人たち用ではありません」


 子供にお菓子を買ってあげるなんて、素敵なお父さん! 私の中でホウルの評価は爆上がりだ。


 ここでふと、今の話で妙に引っかかる箇所がある。


 騎士団の団長…息子…この単語どこかで聞いたことがあるような…


 どこだったか…思い出そうとした意識は、パルフェの疑問の言葉によって現実に引き戻されてしまった。


「ホウル団長は、どうしてここに?」

「おぉ! そうだった!」


 ホウルは思い出したかのように手を叩くと、改めてアシドの方に体を向ける。


「今回の魔物襲撃。アシドが魔物を全滅させたって報告を受けてな…騎士団長として礼の言葉を伝えに来たってわけだ」

「そうですか。では、もうお気持ちは頂きましたのでお帰りを」


 きっぱりと突き放すような物言いをするアシドは、ニッコリと笑顔で出口を促す。黒いものを背負った笑顔に、私の足が反射的に出口に向かいそうになった。だが、当人であるホウルは、拗ねたように口を尖らせるだけだ。


「そう冷たくするなよ。お前が大怪我したって聞いて、心配したんだぞ?」

「誰も頼んでおりません」


 ホウルの思いやりを、アシドは冷たい視線と言葉で打ち返す。執事モードの彼が、こんな言い方をすることに驚いてしまう。だが、冷気を纏った応対も、騎士団長の熱い精神の前では無意味なようだ。


 ホウルはアシドの圧になど動じることもなく、平然と会話を続けている。


「それにしても、詠唱魔法が使えるなんて…相変わらず化け物だな」

「別に普通ですよ。それに、あれは詠唱魔法でも初歩中の初歩。本物の化け物は、あれくらい寝ていても使えます」


 チラッと、アシドはムラングを見た。その視線を受けたムラングは、朗らかに微笑んでいるだけだ。


 王宮魔法師という属性魔法の頂点だったムラングを、間近で見続けたアシド。彼の中で魔法の基準レベルが常人と別格級に違うのは、仕方がないのかもしれない。


 そんなことなど知りもしないホウルは、豪胆に笑う。


「ガハハハハッ! それだけの実力があるのに、傲慢にならないとはなぁ…今からでも、俺の息子の右腕にならねぇか?」

「残念ですが、私はお嬢様に忠誠を誓っておりますので」


 丁寧な口調で断っているアシドではあるが、纏っている空気が鬱陶しいと言っている。恐らくホウルからの勧誘は、一度や二度ではないのであろう。しつこさを嫌うアシドの気質を知っているが故に、彼の少々短い怒りの導火線に火がつかないかと、ハラハラする。


「お嬢様って…あぁ、ドルチェット家の肝っ玉令嬢か」


 初めて聞く私自身の呼び名。全員の目が点になった。


「肝っ玉…?」

「おうよ。部下たちが噂してたぜ。他の令嬢を凡人と罵り、貴族たちを叱咤。あげくには、アラモド様に喧嘩まで売ったとか…」


 言葉に大きな語弊があるようですが!?


 咄嗟に声は出なかったが、脳内で叫んだ。


 確かに、令嬢たちには“量産型”とは言った。けど、それは彼女たちがシエルに嫌がらせをした挙句、こっちのことを馬鹿にしてきたからだ。貴族たちに怒声をぶつけたのも、パルフェのことを嘲笑していたからだし、アラモドに関しては…まぁ、あながち間違ってはいないのか?


 ぐるぐると、自分のしでかしたことが頭の中を駆け巡っていく。そんな私に、ホウルが追撃をしてくる。


「いくら公爵家でも、あれだけ言える度胸ある令嬢はいないって部下が驚いてたぜ。それだけ肝の据わったお嬢様なら、俺も見てみたいもんだ」


 ケラケラと笑っているホウルの発言で、部屋が妙な空気に包まれた。


「ん? なんだ? どうかしたのか?」


 異変に気が付いたホウルが首を傾げている。皆に顔を向けるが、誰も何も答えない。私は一歩前に踏み出し、引きつった笑みを浮かべながら片手をあげ自己紹介をした。


「どうも…肝っ玉令嬢こと、ソルト・ドルチェットです」

「…え!?」


 ホウルの瞳がこれでもか、というくらいに見開かれる。勢いよくパルフェたちに顔を向けるホウルに、全員が苦笑交じりに頷いた。ホウルの顔が一気に青ざめる。


「わ、悪い! まさか、お嬢ちゃんのことだったとは…」

「いえ、いいんです…噂なんて尾びれ背びれがついて当然ですから…」


 人とは、面白可笑しく脚色するのが好きな生き物。前世でも味わったことのある感覚に、乾いた笑みがこぼれる。


 無機質な笑みのまま遠い目をする私に、ホウルは気まずそうに頬をかく。


「本当に悪かった。詫びと言っちゃなんだが…これやるから、許してくれ」


 ゴソゴソと懐から取り出されたのは、可愛らしいラッピングが施された袋。中身が見えない袋を、首を傾げながらも受け取った。


「これは…?」

「中身はマカロンらしいが…食べられるか?」


 マカロン! サクサクとした軽い生地の間に、クリームやジャムを挟んだスイーツ!!


 砂漠と化していた心に、恵みのごとく歓喜の雨が降り注ぐ。


「ありがとうございます!! 今、食べてもいいですか!?」

「お、おう」


 袋を天に掲げんばかりの勢いの私に、たじろぎながらもホウルは首を縦に振ってくれた。ウキウキ気分でリボンに手をかける。アシドの眼光が突き刺さるが、許可はもらったから問題ない。


 鬼執事の小言が怖くて、スイーツ道は歩めないのだ。


 シュルリとリボンを解くと、丸みのある色とりどりの焼き菓子が現れた。見た目が可愛らしいマカロンは、まず視覚で私を楽しませてくれる。一つを摘み、そっと口内に運んだ。サクッとしているのに中身はしっとり。軽やかな生地に挟まれたクリームが、甘味をダイレクトに舌に伝えてくれる。


「う~ん! 美味しい…!」


 身体に染みわたっていくスイーツの美味しさは、私の表情筋を緩ませてくれる。


「シエルちゃんもパルフェ様も、一緒に食べませんか?」

「え? 僕も?」

「よろしいのですか?」

「もちろん! 美味しいお菓子は皆で食べないと!」


 この幸せを共感してほしくて、私はシエルとパルフェを巻き込む。二人は遠慮がちにマカロンに手を伸ばすと、口に運んでくれた。


 サクッと、耳心地のいい音。半分ほど齧ったシエルたちは顔をほころばせる。


「美味しいです。このアーモンドの香ばしい触感が素晴らしいです」

「そうだね。中のクリームと合わさるとマカロンの味が濃くなって、更に美味しく感じるよ」


 さすがパティシエ見習と試食を続けてきた少年。私の単純な感想とは違う。というか、二人とも一口で食べきらなかったことに驚いた。じっくりとマカロンを味わう二人を見て、スイーツへの敬意が足りていない自分を恥じる。


「いやー、本当に貴族らしくない令嬢だな」


 三人でお菓子を分け合っている私達を、ホウルは微笑ましそうに眺めていた。ここで、私を見下ろすホウルの瞳に、決意の色が宿ったことに気が付く。


「よしっ、決めた。お嬢ちゃん、騎士団の訓練に参加しねぇか?」

「へ?」

「なっ!?」


 予想もしないお誘いに、間の抜けた私の返答とアシドの驚愕の声が重なる。


 何がどうして、そうなったのか…ホウルの思考が読めず、ポカーンとしてしまう。固まっている私の代わりに、アシドが地を這うような声で応対してくれる。


「…面白くない冗談ですね、団長殿」

「冗談なんかじゃねぇよ」


 瞳を鋭く釣り上げたアシド。体が震えそうなほどの殺気に近い怒気の宿った瞳を向けられても、ホウルは冷静だ。流石は騎士団長。


 ホウルの真剣な表情に、アシドは眉をひそめながらも怒りを少し抑える。


「今回の魔物襲撃で、騎士団の未熟さがよく理解できた。今後は、訓練の時間を増やしていくことが決定した」

「それとお嬢様にどのような関係が?」

「まぁ、最後まで聞けって」


 今にも噛み付きそうなアシドを、ホウルは宥めながら話を続ける。


「今回の魔物襲撃…俺は、誰かの命を狙ってのものだと思っている。それが王族か貴族なのかは分からん…だからこそ、爵位の高いお嬢ちゃんは、最低限の自衛を身につけておくべきだ」


 ホウルの推測と対策には説得力があった。貴族が集まると分かった会場で起こった事件…犯人の目的は地位ある者の暗殺である可能性が高い。犯人が捕まっていない今、自分の身くらいは守れるほうがいい。


 だが、襲撃があった王宮で訓練を受けるなど、危険ではないだろうか?


「魔物襲撃に加え、訓練時間の増加…今の部下たちは、騎士団としての意識が高くなっているはずだ。そんな奴らに囲まれているなら、お嬢ちゃんの安全面は保証できる。俺もいるしな」


 流石は団長。私が抱いた心配事など、ホウルにとっては想定の範囲だったのだろう。先読みのできるホウルの話を、ふむふむ、と納得しながら最初に食べたのとは違う色のマカロンを口に運ぶ。


「安全性は納得できます。しかし、公爵令嬢に騎士団の訓練なんて不可能です」

「普通は、な。けど、お嬢ちゃんは普通じゃない。第一王子に喧嘩を売った、肝っ玉令嬢だ」

「ゥぐッ!?」


 売ってませんけど!?


 マカロンを口に入れていたので、すぐに反論はできなかった。慌てて飲み込もうとしたが、せっかくのスイーツを味わわないなどという愚行はできない。言葉を発せない私の頭に、武骨で大きな手がのる。


「俺はこのお嬢ちゃんが気に入ったからな。無駄に傷を負ってほしくないんだ」


 ニカッと白い歯を見せながら笑うホウルに、アシドが呆れたように息を吐いた。


「何を馬鹿なことを…お嬢様には私が付いているのです」

「だが、お前に何かあった時、今回みたいなことがあったらどうする?」


 ホウルの鋭い指摘に、アシドは反論できず唇を噛み締めている。


「訓練といっても、もちろん無理はさせねぇ。あくまでも目的は自衛の強化だ」

「…そうであったとしても、訓練内容は厳しいもの。お嬢様に耐えられるものではないと思います」


 アシドは納得いっていないようだ。過保護な執事に、ホウルは大きく息を吐いた。そして、頭をかきながら代打案を提示する。


「俺の息子が教える。あいつは、才能はあるが…甘いとこがあるからな。お嬢ちゃんみたいな素人の指導にはちょうどいいだろう」

「ですが…!」

「少々、よろしいでしょうか?」


 今まで黙っていたムラングが、ゆるりと手を挙げた。突然、会話に入ってきたムラングに、ホウルは怪訝な目を向けた。


「あんたは?」

「私は神父のムラング・ショードと申します」


 深々と頭を下げる老人の名を聞いたホウルは、ぎょっとしたような表情になる。


「ムラングって、王宮魔法師のか!?」

「それは過去のものです。今は、しがない神父でございます」


 驚くホウルに、ムラングは柔らかく微笑む。


「訓練に参加するか否か…それは、あなた達が決める事ではないのでは?」


 その言葉にハッとしたように、全員の視線を集めたのは、最後のマカロンをゴクリと飲み込んだ私。


「お嬢ちゃんは、どうだ? 訓練に参加しないか?」

「私は…」


 その先の言葉は責任を負う。だから、言葉は慎重に選ばないといけない。お菓子で得た栄養を脳に回し、思考を巡らす。


「…訓練が怖くない、と言えば嘘になります。でも、私はそれ以上の怖さを経験しました」


 脳内に浮かぶのは、魔物に襲われそうになったパルフェと、アシドの腕から流れていく真っ赤な血。そして、必死に治癒してくれたシエル。


 私は…何もできなかった。


 ただ失ってしまう恐怖に震え、己の無力さを嘆くだけの惨めな自分。そんなのは、もう嫌だ。だから―


 キュッと拳を握り、騎士団長にまっすぐ視線を向けた。


「その訓練…是非、私も参加させて下さい」


 怖くても自分が変わるしかない。大切な人たちを二度と傷つけないために。


 私の決意のこもった瞳と言葉を受け取ったホウルは、満足気に笑んだ。ムラングも目を伏せ微笑む。ただ、やっぱりと言うべきか、アシドは目を限界まで見開き固まってしまっている。そして、何故かシエルまでも驚愕な表情になっていた。


 私が自衛の訓練を受けることが、そんなに驚くことなのだろうか?


「その訓練、僕もご一緒してもよろしいですか?」


 私が転生組の反応に首を傾げていると、パルフェが予想もしない提案をしてきた。


「別に構わねぇが…自分の訓練もあるのに、大丈夫か?」

「問題ありません。訓練とはいえ、婚約者候補の女性を他の男性と二人っきりなんて、看過できません」


 ン? 今、なんだか妙な単語が混ざっていたような…


「婚約者候補?」


 私の代わりに、ホウルが引っかかる単語をピックアップしてくれた。全員が疑問符を頭に浮かべていることに気が付いたパルフェは、思い出したかのように「あぁ…」と声を漏らす。


「そういえば、ホウルさんの乱入で言いそびれていましたね」


 何を? と問う前にパルフェは私と向き合うと、その場で片膝をついた。


「ソルトさん。君を僕の婚約者にと、父上に進言しました」

「………はい?」


 たっぷりの間の後、私の口から辛うじてこぼれたのは疑問を孕んだ音。


 今のこの少年は何と言った? 婚約者? 誰が? 誰の?


 頭の上で大量の疑問符が浮かび、放心状態になっている私の片手を、パルフェは優しく握る。そして、誰もが見惚れるくらいに美しい笑顔で恐ろしい事実を告げてきた。


「ソルトさん…あなたを僕の婚約者にしてもらえるよう、父上にしっかりと売り込みました」


 何してくれてんの!? この爽やか王子!!?


 ピシリッと体と共に声帯が石化してしまった私は、声が出ない代わりに脳内で激しく非難する。


「残念ながら、まだ正式に決まっていないので候補ですが…父上は前向きに検討してくださっています」

「も、もしかして、それがさっき言おうとしていた三つ目の…」


 シエルの震えながらの発言に、パルフェは大きく頷き肯定した。素晴らしい笑顔付で…


 三つ目の最重要情報は、これからも攻略対象と関わらないといけないという、私にとって特大の爆弾へと変貌を果たした。誰か、爆弾処理班を呼んで!


「正式な書面は後日送りますので、楽しみに待っていてください」


 私の手背に口付けを落とすパルフェ。


 第二王子が公爵令嬢へ求婚する、という絵面の完成に眩暈がした。


読んでいただき、ありがとうございます。


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