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第一話


 魅惑の一粒を口にしたとき、私は全てを思い出した。


 前世の記憶と、やりたかった事を…



☆☆☆☆☆



 前世で私は、トップアイドルの咲本恵真(さきもとえま)として芸能活動をしていた。


 抜群のスタイルに、透明感がある美肌。パッチリとした瞳でウインクすれば、黄色い声と共にカメラの音が無数に鳴る。歌とダンスは勿論、短いと言われるアイドル人生を終えた後は、女優に転身できるように演技にも全力を尽くした。


 役者としての仕事も増えてきたある日…私は過激なファンに刺されてしまったのだ。

 

 その日は、アイドルから女優への転身時期や今後の事についてとか、沢山の事をデビューの時からお世話になっているマネージャーと打合せをしていた。打合せが終わり事務所から出た時、私は刺されたのだ。護身術はある程度身につけていたが、真っ昼間の人通りが多い場所という事もあって油断していた。


 周りの悲鳴に警備員に取り押さえられた犯人の怒声…そしてマネージャーの必死の声が鼓膜に響く。


 倒れた私の視界に入ってきたのは、カバンから飛び出した一冊のノート。


 そこにはずっと我慢してきた、スイーツの記事がスクラップしてある。芸能活動を引退した後、食べようと思って大切に保管しておいたのだ。


 こんな呆気ない死に方なら、スイーツを食べておけばよかった…


 スタイル維持や美容のために、甘いものは避けてきた。でも、本当は生クリームたっぷりのケーキやバターが香るクッキーとかを、お腹いっぱい食べたかった。


 神様…もし、私の頑張りを認めてくれるなら…今度はスイーツを沢山食べたいです。


 そう願った私の脳内に浮かんだのは、熱心にプレイしていた乙女ゲーム。攻略対象達そっちのけで、思い出すのは甘い甘いお菓子たち。


 私って食い意地張ってたんだなぁ…と、最後に小さく笑ってブツリと意識が途切れた。



☆☆☆☆☆



「……様、お嬢様!」


 体を揺さぶられ、ハッ!と今の現実世界に意識が戻っていく。


「大丈夫ですか?」


 私の顔を覗き込んでいる眼鏡をかけた男性。汚れ一つないレンズの奥にある琥珀色の瞳が心配そうな色を宿している。


「え、えぇ…大丈夫よ、アシド」


 色の肩より少し下にある栗色の髪を後ろで束ねている男性は、名を呼ばれ心底安心したように微笑んだ。


 彼の名前は、アシド・トリート。私の執事兼ボディーガードだ。


「よかった…先ほどのチョコレートがお口に合わなかったのかと…」

「チョコレートですって!?」


 アシドのその言葉に、大きな反応をしてしまった。私の声にアシドの肩が小さく跳ねた。


 そうだ…父に怒られて自分の部屋で落ち込んでいた私に、アシドが一粒の茶色い塊をくれたのだ。まだ、前世の記憶が無い状態だった私は恐る恐るではあったが、その塊を口に含んだのだ。


まさか、あれがチョコレートだったなんて…!


「あ、あの…お嬢様?」

「…と……た」

「はい?」

「もっと味わって食べればよかったぁ!」


 心からの後悔が言葉となり飛び出した。


 チョコレートは前世でも多少は食べたことがある。しかし、それは美容にいいからという理由だ。なので、いつも食べていたのはハイカカオの苦いチョコレートだけ。雑誌で見たような、甘くとろける味わいのチョコレートをせっかく食べられたのに、その記憶が曖昧だなんて…もったいないことをしてしまった。


 予想もしていなかったであろう私の言葉に、アシドはキョトンとしている。しかし、優秀な彼はすぐに私の心情を察して、ふむと顎に手を当てると素晴らしい提案をしてくれた。


「そんなにチョコレートが気に入られたのでしたら、ご用意しましょうか?」

「本当!?」

「えぇ、丁度ティータイムの時間ですしね」


 アシドは小さく笑うと、懐中時計を取り出し現時刻の確認をした。私も部屋にある大きな振り子時計を見ると、確かにもうすぐおやつの時間である。


 おやつ…ということはスイーツが食べられる!


 期待を込めた瞳をアシドに向けると、彼は承知とばかりに小さく頭を下げた。


「本日は特別に少し多めにお菓子をお持ちしますね」


 アシドの気遣いに、心だけでなく表情まで明るくなる。パァァと笑顔になる私が分かりやすくて面白いのか、アシドは小さく笑う。


「本日の紅茶は、何かご希望などございますか?」

「えっと…特にないわ。アシドに任せてもいいかしら?」

「承知いたしました。では、ドルチェット家秘蔵の茶葉をお出ししましょう」


 お茶の準備に向かうアシドの秘蔵という言葉に、私の期待値はますます高まる。


「それでは、ソルトお嬢様…しばらく、お待ちください」


 ゆっくりと扉を閉めて退室するアシドを見送った後、私は軽くスキップしながら広い部屋の中を歩く。


 前世の記憶がある、といっても私はもうアイドルや女優ではない。つまり、スタイル維持に必死にならなくていいとうことだ。夢にまで見たスイーツを思う存分、味わうことができる。


「Sweet Lovesに出てくるようなスイーツも食べられるのかしら」


 命が切れる直前に思い出した、お気に入りの乙女ゲーム『Sweet Loves』。通称、スイラブ。


 アイドル仲間にオススメされて始めたゲームだったが、これに私はハマった。多忙の中でも暇さえあれば、『Sweet Loves』をプレイし、にやけていた。見た目麗しい男子達とのスイーツのような甘い恋愛を楽しむ、というのがコンセプトのゲームなのだが、私の注目した点は別にあった。


それは、スイーツの作画レベルがとても高いという点だった。


 ストーリーを進めていくためのアイテム作成として、お菓子作りやデコレーションを行う。この過程で使う様々な食材の作画がまさに神と呼べるほど美しく、リアルなのだ。完成されたスイーツは本物と見間違うほどに綺麗なグラフィックだった。プレイしていた時に、よだれを垂らしそうになりマネージャーから「顔、破壊してるぞ」と注意されたのを同時に思い出してしまった。


「ん? そういえば…さっき私のこと、ソルトって呼ばなかった?」


 アシドの言葉を思い返し、ぞわぞわと妙な焦りを感じた。そして、その焦りは嫌な予感に変化していく。


 椅子から立ち上がると、部屋にある大きな姿見の前まで急いで移動した。


 鏡に映っているのは、幼い少女。サラサラの鎖骨くらいまである黒髪は丁寧に手入れされているため艶がある。だが前髪が長く、顔の上半分くらいまで隠してしまっている。髪をかきあげると、どことなく鋭い瞳はサファイアを埋め込んだかのように美しい。


 子供のわりに、大人っぽい顔つきだから将来は美人系になるだろう、と勝手に分析をする。ってそうじゃなくて…!


「これって、もしかして…」


 自分の記憶の中に存在する、ゲーム内で登場する一人の人物と特徴が一致している事に、気が付いてしまった。嫌な汗が背中を伝う。


 黒髪、サファイアの瞳、ドルチェット家、そして極めつけはソルトという名前…


「私…スイラブの悪役令嬢になってるのぉ!!?」


 私の絶望に返事をしてくれる人は誰もいなくて、だだっ広い部屋に虚しく響き渡るだけだった。

読んでいただき、ありがとうございました。

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