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9:ふたりかくれんぼ

【文字数】5305字 【推定読了時間】約11分




 暗い台所で、Bは自分にカメラを向けて話しはじめた。


「これから浴室に向かいます。“鬼”はそこにいるはずだから、勝ちに行く。Aもそっちに行ったはずだから。」


 『ひとりかくれんぼ』で勝つためには、(ぬいぐるみ)がいるはずの浴槽に行って、口に含んだ塩水とコップのなかの塩水をかけて、勝利宣告をしなければならない。

 Aがすでに口に含んだ塩水をかけていると仮定して、あとはBがコップに残っている塩水をかければ終わるはずだ。


 Bは左手でコップをふさぐように上から掴み、右手のスマホのライトで自分の進むべき先を照らす。


 長い廊下だ。

 突き当りには玄関があって、ドアの横に設えられた磨りガラスがほのかな外明かりにぼうっと輝いている。その長方形の光が今夜はやけに遠く感じる。まるで廊下が伸びたようだ。

 場所さえ違って見えた。

 光源が普段どおりの日光や備え付けの照明ではなく、か細く、不安定に揺れるスマホのライトに変わっただけで、足元が覚束ないような違和感がある。

 しかし同時に既視感もあった。

 スマホの画面越しに見ればなおのこと、暗くノイズの酷いこの光景は、まさしく心霊スポットだ。

 Bには見慣れたものだった。


 Bはそろりと足を踏み出して、


 ガタッ!


 という物音に体を硬直させる。


 すぐ左から聞こえた。

 台所の隣、ダイニングからだ。


 ダイニングと台所とのあいだの出入口に戸はなく、すだれがかかっているだけだから、音も、気配も、生々しく感じ取れた。


 だから、()()()が家具にぶつかった音だとはっきりとわかった。


 その()()()の視界から外れるために、Bは慌てて、しかし音をたてないように後ろ脚を下げ、同時に素早くスマホのライトの向きを自分の背後にそらす。すぐにスマホを操作しライトを消すと、コップへチラリと視線をやって、塩水が零れていないことを確認した。


 Bは目を見開いたまま動きをとめて、息を殺して、耳をそばだてる。


 かすかに、ときおり、音が聞こえる。

 ダイニングのフローリングを、()()()が、()るような音が聞こえる。

 這っている。


 Bは静かに台所の端にまで移動すると、声をひそめてカメラに話しかける。


「となりの、這ってるみたいな音、……Aかも……しれない。」


 それが(もっと)もな見解だろう。

 この家で、現状、積極的に音を出せるものが何かといえば、Aだと考えるのが自然だ。

 だから――しかも這っているのなら怪我でもしているのかも知れないのだから猶のこと――すぐに駆け寄るべきなのだろうが、Bにはそれができなかった。

 Bの頭には、Aではない別のモノがいくつも連想されていたのだ。


「スマホだけ伸ばして、見てみたいと思います。」


 再びダイニングへの出入口に近づき、壁の陰に身を添わせて隠れる。

 ゆっくりとカメラのレンズの部分だけ壁の端から出して、画面を見る。


 ライトを消しているから画質が悪いが、辛うじて家具のシルエットはわかった。ダイニングには南に広い窓があり、レースのカーテンしか引いていないから月光によってぼんやりと照らされているのだ。


 スマホの画面には、仄暗いなか、見慣れたテーブルと椅子の陰がある。

 角度を傾けて床を撮影するが、人影はない。


 だが、ギ、とテーブルがわずかにずれた。


 Bが硬直しているうちに、椅子が後ろへ、ふらぁ、と傾いていって、倒れた。


 ガタガタンッ――と音が立つやいなや、Bは慌てて身を引いて、台所の隅まで戻って身を低くする。


 再びライトをつけ、自分を撮る。

 照らされた先にはBの興奮した顔があった。


 カメラに向かって首を傾げ、「なんで?」というようなリアクションをしてみせる。


 Bは、いわゆるポルターガイスト現象を目の当たりにしたのは初めてだった。

 これまでのどの動画にも撮れたことはなかった。

 だからどうしようもなく興奮した。


 だがすぐにBの顔は不安の色に染まっていく。

 コップを掴む手の甲で口元を押さえ、眉宇は雲っていった。

 喉仏を揺らして息を呑む。


「……ちょっと待ってよ……」


 それよりほかに、言葉が出ない。

 黙り込んでしまってあたりがしんとして、そのために、ここが本当には静寂ではないのがわかる。


 音はさまざまに、家のあちこちから聞こえてくる。


 思えば入ったときからずっとそうだったのだ。


 異音は聞こえつづけていた。


 たとえばミシミシミシ、ミシミシミシミシ――と聞こえる。家鳴りにしては奇妙な鳴り方で、それはまるで、誰かが壁に(もた)れて立ち止っては、場所を変え、また壁に凭れて立ち止る、というのを繰り返しているようだった。

 あるいはどこからともなく、低い男の声で、ぶつぶつと歌っているようなのが聞こえる。

 二階からはまだ足音が聞こえている。ゆったり歩いていた重いのに加え、軽いのがトトトトと走りはじめた。大人が子供を追いかけているらしい。


 Bはどの音がどこから聞こえているのか知るために、耳を澄ませて集中し、廊下の暗がりへと視線を向けた。


 この家の一階は東西に長い長方形をしている。

 家の真ん中を廊下が東西に貫き、その廊下を軸にして南北に各部屋が配置されている間取りだ。

 廊下の南側には、東から順にダイニング、リビング、和室、納戸があり、北側には東から順に、台所、便所、洗面所兼脱衣所とそこからしか入れない浴室、玄関がある。

 廊下は玄関から始まって台所に突き当たって終わり、二階への階段は玄関ホールから上に伸びている。

 単純な間取りだがすべての部屋が広い造りになっていて、そして壁がすくない。

 この家を建てた老人は建築士に、日中には自然光が隈なく届き、風通しもよく、リビングからすべての部屋を見渡せるような、開放的な間取りにしろと注文を付けていた。北東の方角――鬼門に台所や勝手口を置こうが構わないから、と。


 浴室などの水回りや納戸には壁も扉ももちろんあるし、そのほかの部屋でも木戸や襖を立てられるようになってはいるが、いまは真夏だ。

 台所と廊下の境にも、ダイニングとリビングの境にも、リビングと廊下の境にも、戸はない。


 結果、視界がよく、音もよく響く。

 

 ここから浴室に行くためには、ダイニングに、そして家中にいるらしい()()()に、姿をさらさなければならない。


 しかし幸いにして、Bのすぐ後ろには勝手口がある。


「ひとまず出ます。で、玄関から入りなおす。」


 玄関から入って右手には、納屋、和室と並んでおり、どちらも戸を閉めているから、そうしたほうが見られる可能性は下がるはずだ。


 Bはそろりと立ち上がって、開けたままにしていた勝手口まで行った、そのとき、


 ニャー


 鳴き声は外から聞こえた。

 ここ――台所ではない。


 咄嗟に素早く、しかし音をたてないように扉を閉め、焦りで、意味もないのに鍵までかけた。

 そして立ち竦む。


 やがて、ふいに、気づく。


 なぜ台所(ここ)に、なにも出ていないのか。

 謎の死を遂げた少女も、凶暴化したために殺された猫も、どうして現れないのか。


 当然なのだ。


 少女の亡くなった屋敷の間取りをBは知っている。

 以前、動画にするために調査した折に図面の写しを手に入れていたのだ。

 Bは頭のなかに思い浮かべて、かつての屋敷の図面と、この家の図面を重ね合わせてみる。

 そうすると、少女の亡くなったキッチンは、ちょうどこの家の勝手口の、外のあたりに位置することになる。

 だから、ここに出るはずがない。


 ――家の外――


「……違う、家の中だ。」


 この『ひとりかくれんぼ』が行われているのは、この家ではなかったのだ。

 この家が建つ前、かつてここにあった屋敷で行われているのだ。


 “家の霊”とでもいうべきものの中で、この『かくれんぼ』は行われている。


 そして、Bはさらにあること気づいて、冷や汗をかく。


 Bが先ほどまで居た、車を停めている駐車場もまた、かつての屋敷の中に含まれている。


「オレが居たのは、家の()だった……。」


 『ひとりかくれんぼ』のルールには、至極当然に、こうある。


 “必ずひとりで行わなければならない。”


 彼らがしているこれは、最初から、『ひとりかくれんぼ』のルールから外れていた。


「……『ひとりかくれんぼ』じゃなかった……。

 ……オレも最初から、参加してた……。」


 そしていま、彼は、隠れる側――鬼に追われる側である。


 Bは後退りをする。


 だが、中途半端な姿勢のまま、すぐに停まらざるを得ない。

 すぐ後ろ、この家の中からも、奇怪な音は鳴りつづけているのだ。

 隣のダイニングからはズルッ、ズルッ、と、上からはトトトトと、右後方のリビングからはミシミシミシという音が、加えてなにを言っているのかわからない男の呟きや空中で鳴るピシィッ、パチィッというようなラップ音は、どこからともなく、聞こえつづけている。

 四方八方から聞こえる正体不明の異音が、彼の体を圧迫する。

 もはやそれが現実なのか、耳鳴りなのか、幻聴なのか、わからないほど切迫している。

 鼓動が、激しい血流が、鼓膜を叩いている。

 前にも後ろにも動けない。

 しかし音は迫ってくる。

 だんだんと大きく、つまりは、近づいてきている。


 ここに留まっていては危険だとは、頭ではわかっている。

 しかし体はどうしても竦む。


 体は動かないまま、だが、だからか、頭ばかりは(いたずら)に働いてしまう。


 つい、いやな想像をしてしまう。


 聞こえる異音が多すぎる。

 この土地の“曰く”だけではもう説明できない。

 とすれば、他所(よそ)から怪異を連れてきていたのではないか?

 ほんの数時間前にAに『憑かれてこい』と言ったが、本当には、すでに憑かれていたのではないか?

 先日肝試しをしたあの山で、笑う女からは逃げ切ったが、Aが足を掴まれたという別のモノからは、逃れられなかったのでは?

 フローリングを這っているのは、Aが連れてきた()()ではないか?


 ――それだけじゃない。


 これまで相当数の心霊スポットを巡ってきた。


 掘削工事で大規模な崩落事故があって、それで亡くなった作業員の霊が出るというトンネルにも、老夫婦の霊がいまも暮らしているという廃アパートにも、白い手が手招きをするという自殺の名所の橋にも、Aが暮らす事故物件にも行った。


 しかしお祓いには行ったことがない。


「いったい、どのくらい、オレらに憑いてきた?」


 この降霊術をきっかけに、――いや、この悪ふざけででっちあげた呪いの儀式のせいで、これまで身をひそめていたすべてが、顕在化してしまったのだとしたら?


 いま、このかくれんぼの鬼は、なんだろうか?


 鬼はぬいぐるみ()()だろうか?


 以前、この敷地で死んだ、誰かだろうか?

 屋敷の少女か、旅館の三人家族か、それ以前のBが知らない()()()か?


 あるいは、Bたちが連れてきてしまった()()()だろうか?


 このかくれんぼには、果たして、何体の“鬼”がいるのだろうか?


 ――あるいは鬼は、Aかも知れない。


 子供の遊びとしての、普通のかくれんぼのルールなら、最初に見つかった子供が、次の鬼に変わるものだから。


 そしてBはひとつ大切なことにようやく気づく。

 ルールを破っている。


 “かくれんぼをしている最中は、決して音を立ててはいけない。”

 

 Bはスマホを見る。


 いままで、どれだけこれに語りかけてきただろう。


 足元でガリガリと爪をとぐ音がする。

 驚いて見下げるが、勝手口の磨りガラスの向こうに、猫の陰は見えない。

 姿のない猫が、そこにいる。

 おそらくこの猫は、Bがそこにいることに気づいている。

 Bが音を立てたのだから、気づかれたに決まっている。


 だというのにまだそこへカメラを向けている自分がいる。

 まだ“撮れ高”を考えている自分がいる。

 脳内で動画の構成をしている自分がいる。


 これをやめるのには、抵抗があった。


 Bの好きなホラー作品の定番なら、カメラを手放すのは、最後の一瞬でなければならない。

 そう決まっているのだ。

 そうしなければ、作品は完成しない。


 だが、


 だけど、


(これはフィクションじゃない。)


 Aは殺されたのだろうか?

 ならば死体はどこへ行った?

 わけのわからない、人知の及ばない、この世ではないどこかに連れていかれたのではないか?


 いや、ここは、家の中であると同時に、“家の霊”の中でもあるのだ。

 この世でもあの世でもなく、その二つが重なっているような状態。

 人を“連れていく”のではなく、あの世のほうからこちらにやってきて、この空間ごと支配しつつあるような。

 やがてその濃度を増して、ここは完全に、あの世――異界に替わってしまうのでは?

 そうすれば、きっとこの体も呑み込まれてしまう……。


 ただ死ぬのならまだいい。

 だがこの死に方は望んでいない。

 こんな死に方は、あまりにも恐ろしい――。


 Bはコップを静かに床に置くと、カメラで自分を写した。


「ごめん、ここまでだ。」


(オレは勝たなくちゃいけない。)


 カメラを真っ直ぐに見つめて、停止音が極力響かないように手でふさぐ。

 そして録画停止のボタンを押した。


『ポンッ』


 と、くぐもって音が鳴る。


 左手の脂汗をシャツで拭うと、置いていたコップを持ちなおし、右手にはスマホを操作した。


 スマホの音量を変更しようとした――その直前、


『ピンポン!』


 と音が鳴る。


 玄関のチャイムではない。

 手のなかでスマホが鳴ったのだ。

 メッセージアプリの間抜けで大きな通知音が、静かな家に鳴り響いた。


 息がとまる。


 カメラを起動しているうちは鳴らない設定だった。

 つまり、録画をやめてしまったから、その通知音が鳴ったのだ。




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