8:ひとりかくれんぼ
【文字数】4315字 【推定読了時間】約9分
その夜に起こったことの一部始終が、動画に残されている。
それはこんなシーンから始まった。
「みなさんこんばんは! 今夜も元気に恐れ戦いていますか?」
Bが居るのはステーションワゴンの運転席だ。
車は家のわきの広い駐車スペースに停めてある。
車内灯のもと、Bはスマホのカメラを自分に向けて録画していた。
彼はひとりだった。
「いま、二時七分です。丑三つ時。」
声に軽く笑気が混ざる。
「もうお気づきかも知れませんが……寝てた!!」
Bは破顔する。
そしてふざけて壮大に困り顔をする。
「これどうゆう状況??」
Bはスマホで自分を撮りながら、ダッシュボードの上のノートパソコンを触って現状の確認をする。
あらかた把握できたところで、カメラに向かって説明をはじめた。
「定点カメラの映像はここで見れるんだけど、……いま、こんな感じ。」
Bはカメラをパソコンの画面に向ける。
この家に設置されている定点カメラは全部で六台。細長いコントロールバーを別にして、画面も六つに分かれている。
だがいまは、六画面ともすべて同じだった。
黒バックに白字で『No Signal』。
「これ、ブレーカーが落ちたのかと思ったんですよ。結構落ちるじゃないですか家、料理動画とかでも。でもね多分これは違う。」
そう言いながら、パソコンを操作する。
「どこまで撮れてるのか確認したんですけど、ほらここ、」
Bは定点カメラのうちの一つが記録した映像を拡大表示し、再生する。
カメラは脱衣所から浴室を撮っていた。
そこへAが入ってくる。
Aは浴槽に浮かべられたぬいぐるみを手に取り、その胴体を包丁で刺し、すこし顔を寄せてなにか言う。
これは『ひとりかくれんぼ』の手順に則った行動だ。
『ひとりかくれんぼ』というのは、短く説明すれば、人と人形とで行うかくれんぼだ。これは一種の降霊術、あるいは人が自分自身に呪いをかける儀式ともいわれている。
先に人が鬼になり、そのあとに人形が鬼になる。
ただもちろん、普通なら人形が勝手に動くことはないから、通常のかくれんぼではあたりまえのことが起こらない。たとえば、隠れている人が鬼の人形に見つかることなどありえない。なにか怪奇現象が起こらない限りは。
だから細々とした、儀式的なルールが必要になる。
Bは映像を一時停止し、カメラに向かって言う。
「『ひとりかくれんぼ』って、まぁ言っちゃうと、正確な手順ってよくわからないんですよね。正しくやっちゃった人は絶対鬼に負けるから、…だから正確なのがわからない……みたいなこと? かもしれないんだけど。
だから今回は、大筋は一緒なんだけど、細かい部分はオレとスタッフとでいろんなネットの情報とか組み合わせて、あとは推測とかして補ったんですよね。ぶっちゃけ。
細かい手順とかはAの自撮りのほうでたぶん撮ってると思うんだけど。」
下準備からして念入りだ。
たとえば人形の腹の綿を抜いて生米を入れて縫い直さなければならないし、人が隠れる場所を決めて塩水の入ったガラスコップを置いておかなければならないし、浴槽に水を溜めて、人形を浮かべておかなければならない。
そういう下準備が終わると、まずは人が鬼になる。
部屋で、テレビだけつけて砂嵐にしておいて、そのほかの家中の明かりをすべて消す。
十秒を数えると、人形の隠れ場所――浴槽に探しに行く。
そして人形を刺す。
ここまでで、鬼が勝つ、というところまで終える。
そうしたら次には、人形に次の鬼はおまえだと語りかける。これで人形が鬼になる。
Bが見ている定点カメラの映像は、そういうシーンだった。
「Aはちゃんと勝ってる。Aが鬼のターンはこれで終わってる。」
Bはパソコンを操作し、六画面の分割表示に戻してから再生する。
「で、ここ。」
Aが隠れるために浴室を出た瞬間、すべての画面が黒くなった。
定点カメラの録画が途切れたのだ。
「こんなタイミングでブレーカーが落ちることある? 鬼が変わった瞬間……こんな……。」
Bの口元は笑っているが、言葉を失っている。
唇を舐めて、また話しはじめた。
「いまどういう状況なのかって考えると、何個か可能性はあると思うんだけど……。
えーっと、一個目。かくれんぼは続行中。それが怖くてAに電話とかできない。すぐ生存確認したい気持ちはあるんだけど、オレが介入して、もしAが危険な目にあったり、…なんか起こったらイヤなんで。
で、二個目。かくれんぼは終わっていて、Aが勝っている可能性。で、帰っちゃってる可能性。オレを起こさずに。ムカつくけどこれであってほしい。
最後、三個目。かくれんぼは終わっていて、…Aが負けている可能性。だとしたら、……どうなってんだろ。ちょっと想像したくない。」
Bはしばらく顔に笑みを凍りつかせたまま、黙る。
平手で顔半分を強くこすって前髪を掻きあげたあと、口を開いた。
「……なんですけど、ちょっともうそろそろ、見にいかないとまずいかなって。
時間的には、最長でも一時間で終わらせろって伝えてあるんで、たぶん可能性としては二か三が濃厚なんだよね。かくれんぼは終わってて、勝ってるか負けてるかどっちかっていう。だから、とりあえず怖いから電話は一旦しないけど、でも、見にいこうと思います。……第一発見者とかになって疑われるのヤだから、そうなっちゃったときのためにも、カメラは回します。」
Bは車から降りると、家の外観をスマホのカメラで撮影しながら歩きはじめた。
空は晴れで月も出ていたから、ほのかに明るい。
だが月明かりだけでは映像は悪く、スマホのライトはつけていた。
Bはやや声をひそめて話しはじめる。
「途中で“鬼”に見つかるのは嫌なので、外を回って行ってます。玄関からじゃなくて、勝手口から入ります。」
Bはかすかに笑う。
「定点カメラの映像では、Aが隠れる予定にしてたのは、台所の床下収納なんだよね。」
本来なら絶対に見つからない場所にすべきなのだが、Aが選んだのは最悪の場所といってよかった。
この家の“曰く”ついてはすでに動画にしているが、それはAが【怪会】に加入する前のことだ。その動画は見ていないに違いない。
もし知っていれば、決して選ぶはずがない場所だ。
この家が建つ前に建っていた屋敷の、まさにキッチンの床下収納のなかで、少女の遺体が見つかっているからだ。
「外から撮るのは初めてかな。ここが、勝手口。」
勝手口の磨りガラスの戸の、その向こうの暗闇をカメラで撮影し、そして空いた手を伸ばす。
なるべく音がたたないように勝手口の鍵を開け、ゆっくりとドアノブを回す。
そしてゆっくりと開く。
隙間からなかを覗いたBは、小声を上げる。
「うーわ。」
盛り塩が崩されている。
蹴飛ばされたように、家のなかへ向かって散らばっている。
Bはカメラを向けて、視界の限りに何もいないことを確認してから、家に入った。
「盛り塩崩されてる。塩が、…ほらあんなところまで、」
言いかけて、途中でぴたりととまる。
ライトを向けた先、床に散らばった白いものが、しかし塩でないのがわかったからだ。
「ちがうあれ、……米だ。」
生米である。
Bは、Aに渡したものを除いて、この家に米を置いていなかった。
Aはその米をぬいぐるみに入れたはずで、ならば、ここにあるということは、誰か、あるいは何かが、意図的にここまで運んだということになる。
立ち止まっていたBは、ハッとしたように上へカメラを向けた。
「……これは録音できないタイプの音なんだよな~。」
小声でぼやく。
「上…二階から、たぶん足音、ン…ン…、って、重いものが床を踏んで、移動する音が、してます。」
耳を澄ませてみれば、音はそれだけではないのに気づく。
家鳴りもしている。
ギギギ、というような音や、パキィ、というような音が、ささやかでもたしかに、そこかしこから聞こえてくる。
以前からこんなふうだったのか、それとも今夜だけ変なのか、Bには思い出せなかった。
Bがふーっと深く息を吐いて、ゆっくりと歩を進める。
ほんの二、三歩で、床下収納のふたを開けられる位置にまでついた。
周りにはやけに多くの米粒が散乱している。
「開けます。」
と、言ったあと、Bはまた深く息を吐いた。
「もしマジで死体が撮れたら、お蔵入りよな……」
とすこし笑ってから、取手に指をかけて、ゆっくりと開けた。
なにもない。
いや違う。一ヶ所、空間が歪んでいる――とそう思ってカメラのライトで照らして目を凝らしてみて、Bにはそれがなにかわかった。
ガラスコップだ。
コップを持ち上げて見ると、中身は半分くらい残っている。
これで、Aがルールを半分間違ったことを、Bは理解した。
「マジかあいつなにやってんだ。指示書は……。」
そういえば、さきほど確認した定点カメラの録画映像では、リビングのローテーブルに置きっぱなしだったような覚えがある。
「ルール……、うろ覚えでやったのか……?」
『ひとりかくれんぼ』には独特の終わらせ方がある。
終わらせるための準備はかくれんぼの前から始まる。まずコップ一杯の塩水を用意しておいて隠れる場所に置いておき、自分が隠れる段になれば、そこに身を潜める。
そして一定時間隠れたあと、この塩水をいくらか口に含んで、塩水の入ったコップを持って、人形、つまり鬼のいるはずの浴室に行く。
口に含んだ塩水とコップのなかの塩水を、鬼にかけ、「私の勝ちです」と宣言すれば、それでかくれんぼは終わりだ。
コップは持っていかなければならないのだ。
コップのなかの塩水もかけなければならない。
Aはすくなくとも半分間違った。
「……これ、『ひとりかくれんぼ』、終わってないじゃん……。」
Aが今どんな状況にあるにせよ、なんにせよ、終わっていないのだ。
Aが床下収納から出たあと、浴室へ行く途中で“鬼”に捕まっているにせよ、浴室へ行って口のなかの塩水をぬいぐるみにかけたにせよ、そしてそのあとこの家から離れたにせよ、『ひとりかくれんぼ』は終わっていない。
いまBの手にあるコップに残っている塩水を、鬼にかけない限り、『ひとりかくれんぼ』は終わらない。
「半分は、オレが終わらせないといけない……って、ことか。」
本当は、もう一つの可能性にも気づいていた。
Aがルールを間違えていなかった可能性。
つまり、Aは塩水を口に含んで、床下収納のふたを開けて出ようとしたその途端に、待ち構えていた“鬼”に捕まってしまった。そうしてどこか……この世ではないどこか異界へ、連れ去られてしまったという可能性――。
だからコップは置かれたままなのではないか。
このあたりに執拗に米が落ちているのは、それを示唆しているのではないか。
しかしBはそれを言わなかった。
Bはカメラに写らないところで、ほんのわずかに、頬を痙攣させながら口角をあげた。