6:事故敷地――これまでの曰く その弐『ワンルーム』(2/2)
【文字数】2907字 【推定読了時間】約6分
Aが事故物件で暮らすことになった理由について、Bは動画内で次のように説明している。
「これまで当チャンネルでは、様々な怪奇現象の撮影に成功してきました……。足音や唸り声、赤い光……。ですが、はっきり撮影できたことはありません。
それってもしかしてオレのせいでは? って……。
オレが“悪い子”だから幽霊出にくいんじゃないかなって…思うんですよ。
幽霊が現れたり、取り憑いたりしやすいのは“いい子”じゃないかなって…。出やすい環境づくりが大事なんじゃないかなって……。
と言うわけで!
今回からオレが知る限り最強の“いい子”に参加してもらうことにしました!」
事故物件の天井の角に設置した定点カメラから見下げるアングルで撮影されているBは、件の仰らしい口調でそう言うと、フレームのなかにAを引き込んだ。
「こちら、“いい子”代表、Aくんです!!」
こうしてAは【怪奇現象の被害から青少年を護る会 活動報告チャンネル】で初登場を果たしたのだった。
それから今日まで、もう二年近くAは住んでいるが、何事もない。
怪奇現象は撮れたことがない。
動画の締めでは大概「マジでヤバいから真似しないように」などと言ってきた当チャンネルだが、Aの住む事故物件については検証中のままだった。
Aが単独で持っているTイッターのアカウント【Aの部屋】では、ほぼ毎日、玄関わきの盛り塩の写真がアップされているが、これにも毎回変化はない。いつからかAもまったく関連のない文章を添えるようになった。だというのに“いいね”やリTイートは多い。事故物件よりA本人に人気があるのだ。
Bとしては、怪奇現象が起こらないのはもちろん癪だが、おおむね狙いどおりの結果だった。
Aの認知度があがるにともなって【怪会】の認知度もあがった。視聴回数もチャンネル登録者も増えた。それがAを加入させたそもそもの目的だったのだ。
動画で言ったようなAが“いい子”だからというのは表向きの理由で、本当には、彼の見てくれがいいのを利用して、広告塔として使ったのである。
Aを誘うまで、Bはひとりで動画を制作していた。
だが制作に行き詰まりを感じ、視聴回数も足踏み状態が続くようになって、ひとりのままでは限界だと考えるようになった。それで打開策として最初に思いついたのが、Aだった。
BとAは高校の同級生だ。
Aは顔がよく、Bは顔はそこそことしても金を持っていて傍若無人でオカルトマニアというのに人を牽引する力があったからヒエラルキー上位に属していた。二人は仲は良くなかったが同じグループ――そういう知り合いだった。
悪ふざけの先頭に立って仲間を引き連れていくようなBに、Aだけは反抗して唯一の歯止めになるような、緊張感のある対等な関係を保っていた。
高校卒業後、AはBと同県同市の別の四大へ行き、演劇部に所属していた。それをBは知るともなく知っていて、Aに声をかけた。
夕方、客のまばらなカフェに呼びつけて夕飯をおごり、Bが「【怪会】に加入しろ」と言っても、「家賃はこっちで持つから事故物件に住め」と言っても、もちろんAは首を縦に振らなかったが、Bからすれば織り込み済みの反応だった。Aが心霊にもオカルトにも興味がないのは知っている。それでこう言った。
「カメラ慣れしといたほうがいい。役者になりたいんだろ? ……違う?」
Aはただ顔がいいだけの男ではなかった。
Bが知っているのは高校時代だけだが、Aは人に見られていること、聞かれていることを常に意識しているところがあった。
背筋は伸び、発音は聞き取りやすく、隙がない。
そんな彼が演劇部に入ったと聞いたとき、生半ではない、きっと本気でそういう道に進もうとしているのだと直感した。
そしてその勘は当たっていたようだ。
Bの正面に座るAの顔から、それまでのうんざりしたような表情が消えた。
AがBを見つめる瞳はライトブラウンに澄み切っていた。
Bは口元にうっすらと笑みを浮かべて、黙って見返した。
「Bはなにが怖い?」
やっと口を開いたかと思うと、思いも寄らないことを訊いてきた。
どうしてそんなことを訊くのだろうか、と思いながらも、Bは応える。
「オレがなんでタバコ吸ってるか、わかる?」
Aはひたと目を据えたまま口を開く気がないようだから、Bはそう待たせずに答えを教えてやる。
「異界駅って知ってる? きさらぎ駅とか、やみ駅とか。そういう、異界に続く電車に乗っちゃったとき、現実に戻るための対処法があるんだよ。」
Bはライターを取り出す。親指でこする。
「なんでもいい、燃やすんだって。でも簡単そうで難しいだろ? だからオレはタバコを持つことにした。」
Bはタバコに火をつけた。
「そんなに怖い? 異界。」
なんの気なしに、といった調子でAは訊いてくる。
「怖い。いきなり全然知らない、不気味な世界に連れていかれるんだ。自分がこれからどうなるかも脱出方法もわからない。そんなところをひとりで彷徨いつづけるなんて、……こえーよ。」
「えーっとなんだっけ……。本気出したらなんとかなるんじゃないの?」
Bはフと笑う。
「ジャンル違いだな、そっちの異世界は。そっちの異世界に行くにはトラックに轢かれて死なないといけないんじゃなかったっけ。」
「死ぬの? ならそっちも怖くない?」
Bはフフと笑う。
「それもそうだ。オレも死ぬのは怖い。」
Bは素直に言った。
ホラーをやっていると、死ぬよりも怖いことはなにか? ということを自然よく考える。視聴者を驚かすために死よりもインパクトのあることは、なにか? 幽霊か、呪いか、怪物か――。しかしその質問を自分に投げかけてみたところで結局、Bは単純に、死ぬのが怖い。死を凌駕する恐怖を思いつかない。
「異界でオバケに殺されたら最悪だ。」
「そうだな。」
そう返答したあとBは閉口する。
高校時代には雑談なんてほとんどしなかった。あったのはお説教くらいだ。だからきっとこれも雑談ではない。Aには必要な確認事項だったのだろう。
BはAに視線を据えて、そうするだけで、この会話の真意を問う。
そして勘のいいAは、こう答えた。
「死ぬのが怖いなら、死ぬような危険な真似はしないってことだよね?」
Bは破顔する。
口の端があがり並びのいい前歯が覗き、頬に押しあげられた目は細くなった。
ニヤリ、というような笑い方でAを見つめたまま、Aの質問にすぐには答えられずにいる。
「おい。」
Aが低い声を出す。
「しないしない。放送禁止とかになったら意味ないだろ。」
それからAはいくつか条件を出した。動画ではマスクをつけること、実名は出さず綽名で呼ぶこと、自分を対等に扱うこと――云々。それらを呑むなら加入してもいいが、条件を破ったらすぐにやめる、と退路を舗装した上でAは同意した。
現状、Aは、Bの期待以上の働きを見せている。
元来のものが演劇部でさらに鍛えられたのだろう、自分を魅力的にみせるための立ち居振る舞いを覚えていたし、笑いを意識した発言だとか、心霊動画で好まれるような実況解説もできるようになっていった。
動画に主人公がいるのなら、それはいつしかAになっていた。
Bは視聴者のコメントに応じるように、悪役に徹することにした。
そしてそれは功を制した。