魔女
すっ、と後ろに気配が。
ふたりはさっと振り向いた。誰もいなかった通りに、少女が立っていた。
顔のない少女。着ているものすら、定かには見えない。
魔女、であった。
あいかわらず、月と星あかりしかないというのに、魔女のすがただけは、なぜかはっきりと見えた。いや、見えたと思っているだけかもしれない。
「こんばんは、菜月さん」
魔女は、ていねいにそう言って、会釈をした。
「今日は、かわいらしいものを連れているのね。それは……あなたの守り神?」
「いいえ。友達」
菜月が間髪をいれずにそう答えると、魔女はなぜか悲しそうに身じろぎをした。
「美羽ちゃんから、もう聞いた? 魔女に──」
「魔女にならないかって? 絶対にいや!」
菜月は興奮して、ぎっと魔女を睨んだ。とんとん、とこみかみを叩く。
「それがあなたの儀式?」
「かもね。あなたのは?」
「……教えない!」
魔女がさけんで、大きく右腕を振ると、ごうと風がおこった。
ダースがぎゃっと悲鳴をあげて、菜月の首にしがみつく。髪が風にあおられて、耳にからみつく。ロングスカートの前を軽くおさえて、菜月は歯をかみしめた。血がさかだつような怒りと興奮が、うなじを走り抜けていく。
「それだけ?」
「言ってくれる! あなたは何ができるの?」
問われて、菜月はふっと目をゆるめた。ダースの頭を軽く撫でる。
「……ねえ、魔女になるって、どういうこと?」
魔女も、同調するように声から怒気をぬいた。まるで鏡のようだ、と菜月はおもった。
「わたしと同じになる、ということ。この道を歩いてここまで来たのなら、なんとなく理解できるんじゃあない?」
「怪異になる、ということ?」
「そう呼びたければ、どうぞ。」
「……わるいけど、」
「本当に、そう?」
菜月がいおうとしたことを見透かしたように、魔女は言葉をかぶせてきた。
「あなたは、本当は、──」
「……黙りなさい!」
菜月は激昂して言葉をぶつけた。ずっと言ってやろうとおもっていたことを。
「あなた、本当は死んでるんでしょう。二年前に、とっくに。生きてなんかいない。ましてや、蘇ってもいない。死んだままなんだ。ただ、生きてるひとの頭の中で──」
「黙れ!」
魔女が、気配をかえた。
目でみえるほどに強くなった怒気が、風とともに身体をおしつつんで、こちらに向かってきた。熱気と、ぴりぴりした電圧と、なにもかも萎えてしまうような強い意思のかたまりが。
「……菜月! ぼくを使って」
ダースが早口でささやく。
「どうすればいいの?」
「ただ、言葉にすればいい。ぼくはきみが作り出した怪異なんだから。命じてくれ!」
菜月は、こくんと頷いた。ぎりりと魔女をにらみつけて、叫ぶ。
「ダース! 魔女の攻撃を防いで!」
きくや、ダースは菜月の肩からとびだして、両手をひろげて路面におりたった。魔女からはなたれた怒気を、受け止めるように。
ふわりと、空気が変わった。
あたたかい、清浄な空気が、すぐにあたりを包んだ。魔女のはなったものは、きれいに消え去っていた。
「そう、……それが、あなたの安全基地ってわけね」
「どういう意味?」
「さあ?……こうするってだけ」
魔女が片手をあげた。魔女の前に立ちはだかっていたダースが、警戒するように身じろぎをした。
次の瞬間、路面をつきやぶって、黒い、蔓のようなものが、ダースの周りに何本もあらわれた!
「ダース!」
そう、叫び終える間もなく。
ふたりのあいだを隔てるように、やはり地中から、アスファルトを割って、まっすぐに並んだ黒い柱が、槍のように飛び出してきた。
(鉄格子──、)
とじこめる気か。
そう、口のなかでつぶやいているあいだにも、ダースの身体は蔦に覆われ、見えなくなっていく。
「ダース!」
もう一度、さけぶ。気がつくと、菜月の足元にも、ぞろりと動く蔦のかたまりが。
一瞬後には、口まで蔦がつめこまれて、叫ぶことすらできなくなっていた。膝をつく。つぎの瞬間には、額が地につく。
「……また、会いましょう。あなたに、その気があれば。」
しずかな、つめたい声で。
*
目覚めると、菜月は住宅街の一角で、ダースを抱いてうずくまっていた。
ぬいぐるみの身体は、涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。




