8月4日 前半(青)
ようやく《《あの監獄》》から解放された。同じことを決められたルール(ある程度は裁量もあるが・・・)の中で同じようにこなすだけの日。それもとりあえず終わりだ。
《《監獄》》を出た俺には行く宛てが無かった。両親も、親戚もいない。他の《《受刑者》》達には、迎えが来ているようだ。小さなボストンバッグ一つを抱えた俺は、行く宛ても無くトボトボと歩き始める。
「・・・とりあえず、何か食べに行くか。」
《《監獄》》から十分ほど歩いたところにある『デッサン』という喫茶店にたどり着く。地元の歴史ある喫茶店というような風貌であり、入ることに少し躊躇ったが空腹には勝てず入店した。
「いらっしゃい。見ての通りガラガラだから、好きなとこに座ってくれ。」
小さな丸メガネをかけた60代くらいの男性から、そのように声をかけられる。店内は狭く、四角いテーブルが三つほど並んでいる。窓側の席には先客がいたため、その隣のテーブルに着いた。しばらくして先ほどの店員が注文を取りに来たため、ナポリタンとアイスコーヒーを注文した。合計で980円。それなりに高いように感じる。そこで、俺は《《ある事実》》に気付き、心臓がキュッと掴まれるような感覚に陥った。
「(やべ、現金ないかも・・・。)」
財布の中には合計428円の硬貨がじゃらじゃらと入っている。その旨を男性店員に伝え、現金を引き出すために近場のATMがどこかにないかを聞いてみる。
「おいおい、ここらへんにはコンビニだってねぇんだ。ATMなんかあるわけないだろ。駅前まで行けば、どっちもあるだろうが・・・。」
ここから駅前までは徒歩で約30分。往復で60分。空腹が極限に達している俺には堪え難い時間だが、無銭飲食をするわけには行かない。
「あの、えぇっと、すいません。注文のキャンセルってできますか・・・?」
「あぁ、構わねぇよ。まだ何も作ってねぇからな。」
初対面の相手への迷惑が最小限に済んだのは不幸中の幸いであろう。ボストンバッグを手に取り店を出ようとしたその時、沈黙を貫いていた窓際の先客がある提案をする。
「マスター。俺が払うよ。」
そう言った先客は、整った綺麗な顔をした同年代ぐらいの青年であった。俺を見て彼は軽く微笑み、話を続けた。
「もしそちらがよければ、ここは俺に奢らせてほしい。その代わり、話相手になってくれないかな?連れが遅刻するみたいで退屈してたんだ。」
今にも倒れそうなほどに空腹だった俺は、そのありがたい提案に甘えることにした。
「ありがとう!必ず返すよ!」
「話相手になってくれればいいさ。ところで君は小説は読むほうかい?」
俺たちは、取るに足らないような下らない会話を続けた。
食事を終えた俺は本当に奢ってもらってしまい、お返しをしたいからと連絡先を聞いてみたが、最終的に連絡先どころか彼は名前も教えてくれなかった。見ず知らずの俺にここまでしてくれる彼は一体何者なんだろうか。謎は解けないまま、俺は『デッサン』を後にした。