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祝福の口づけ

リリアと不思議な青年はテーブルを挟んで向かい合っていた。

目の前の美貌の青年は精霊王、と名乗る。


せいれいおう。

……せいれいおう?


リリアは口の中で反芻するがいまいちピンと来ない。

いや、目の前の人物はまさに精霊王といった風貌だ。


腰まである美しい白銀の髪は室内だというのに時折そよ風に遊び、その色合いは薄く緑、青、赤、黄と僅かに変化して光を反射している。


小屋特有のカビと煤の匂いはせず、不思議と新緑と花の芳しい香りが満ちていた。

切れ長の目はやはり白銀のまつ毛に縁取られて、今は影が落ちている。

夜明けの空をそのまま持ってきたような、きらめく紫色の瞳はリリアをじっと見つめていた。


全てがあまりも人智を超えた美しさ。

精霊王。

見た事はないが、存在が全てを物語っていた。確かに彼以上に相応しい存在はいないだろう。


しかしその「精霊王」がなぜ無加護の自分の目の前にいるのかが分からないのだった。


(もしかして私はもう死んでいるんじゃないかしら)


そう思っても転がった三人の大男が否応なく現実をつきつけてくる。リリアは別に死んでいないし、おそらく目の前の「精霊王」に助けられたのだと。

そういえばこの山賊達はどうしよう。

などと現実逃避をして先ほどの口づけについてを頭から追い出す事にした。


リリアの視線の動きで察したのか、精霊王は頷いた。


「こいつらはどこかへ捨てておこう。まだ生きてはいるが、とどめはどうする?」


「とどめ!?」


「殺しておくか?」


「いえいえっ無事なのでそれで十分です!」


「そうか」


精霊にとって人の生死は思ったより軽いものらしい。

精霊王が人差し指をつい、と動かすと三人の大男がふわりと浮かび、そのまま小屋の外へ運ばれていった。


(わあ不思議……)


「さて、乙女よ」


「は、はいっ」


リリアはシャッキリと背筋を伸ばす。


小さな小屋の中はやはり清潔とは言えなかった。カビて、煤まみれで長年の汚れが蓄積していた。

さらに先ほどまで使っていた大男達の性格を反映してか乱雑に物が転がって、壊れて、惨憺たる状態だった。


しかしリリアはそんな事が気にならなかった。

いや、気にしたかったのだがそれが出来ない。


リリアと精霊王は向かい合っているが、彼があまりにも美しすぎてそこがゴミ溜めの中であろうが意味のある絵画のようになってしまうのだ。


気を抜くと目の前の美貌に見惚れてしまうのでリリアは手の甲をつねったりして冷静を保たねばならなかった。

それでも自然と目が惹き付けられてしまうのだ。


そんなリリアを見て精霊王はくつくつと笑う。


「そんなに珍しいか、私の顔は」


「そういうつもりじゃ!……ないんですけど……」


彼が「暗いだろう」と言って手をかざすと、蝋もないのに灯りがあらゆる所に出現した。

急に明るくなったことでリリアは自分がどうしようもなく汚れていることに気が付いた。

ただでさえ忌むべき存在なのに、さらに今は泥だらけだ。


(恥ずかしい)


なんだか情けなくなってリリアは泣きそうになる。


そういえばなぜ向かい合って座っているのだろう。そこでリリアはハッとした。


このお方は精霊様なのだから、私は床に伏して頭を垂れるべきなのでは!?

それにまだお礼も言ってない!


「すみません!!」


リリアは椅子から降り、ガバッと精霊王の足元へ額づいた。


「申し訳ございません精霊様!私のような忌むべき無加護の者が精霊様の御前を穢すなど失礼を致しました!」


「乙女?」


「先ほどは助けて頂き本当にありがとうございます。お礼……出来るかは分かりませんが、その、もしお望みであれば私の命を、捧げます」


「乙女よ」


軽やかな衣擦れの音と共にひんやりとした指がリリアのおとがいをすくう。

床に頭をこすりつけていたリリアはされるがまま精霊王を見上げた。


「麗しき私の乙女。なぜそんな事を言う」


「お、おやめください、精霊様。……穢れてしまいます」


リリアは震えながらそう絞りだす。

悪魔。罪人。穢れた存在。それがリリアに与えられてきた言葉だった。

蔑みと拒絶の視線がリリアに向けられるものだった。


けれど今、目の前の美しい存在はリリアに慈愛の視線を投げかける。


「助けた命は大切にしてほしいものだ。乙女、名は?」


「リリア……」


「リリア。お前はもう私と契約しているのだから」


「はい……。……はい?」


ぼんやりしていたリリアはその一言で我に返った。

目の前の精霊は今「契約した」と言わなかっただろうか。


「う、う、嘘!」


「精霊の長たる私を嘘つき呼ばわりとは、また豪気だな」


「だって信じられません!」


祝福は、精霊が気に入った存在に対して授けるものだと言われている。

程度の差こそあれど気に入った存在から厄を遠ざけ、時には幸運を招く為に祝福を与える契約。

その基準は人間には計り知れないものなので、悪人も善人も何らかの加護は受けている。


だからこそ無加護のリリアは精霊に好かれない、精霊から嫌われるほど穢れた存在だとされてきた。


ずっと呪われた無加護として生きてきたのだ。


「私は精霊様に嫌われてるはずです!」


「精霊に嫌われている?」


精霊王は心底不思議そうな顔をした。


「嫌いな存在をわざわざ助けたりはしないだろう」


「だ、だって、私はおぞましい黒髪黒目で、今だってこんなに汚くて……」


「身体や衣服の汚れであれば何の問題もない」


精霊王は悠然と微笑んでリリアの頬に指を滑らせた。と、指先から眩い光が溢れだす。

リリアは一瞬清流の中にいるような心地になったがそれもすぐ終わった。

気が付けば泥だらけの身体は清められどこにも汚れた場所はない。

衣服も、ボロはボロのままだが洗濯したばかりのようになって軽く感じる。


「すごい……」


「リリアは今まで見てきたどの人間より美しい魂を持っている。確かに夜空のようなその黒髪黒目は珍しいな。光を抱きとめているようで美しい」


さらり、と精霊王はリリアの肩までの黒髪を撫でる。


「どんな精霊だってお前に惹かれるだろうよ。言うまでもなく私もな」


その言葉を聞いてリリアは愕然とした。


(私が精霊に好かれる?そんなはずないわ)


……しかし、精霊王の言葉は真実に聞こえる。


(だけど本当にそんな事があるのかしら)


これは幸せな夢で、目が覚めたらやっぱりいつもの屋根裏で。


ぽろり、とリリアの目から涙が出る。

涙は次から次へと溢れて止まらない。


『本当は精霊から好かれていて、精霊様に見つかっていないだけ』


屋根裏で膝を抱えて繰り返した自分への励ましの言葉を思い出す。

幸せを夢見てしまってもいいのだろうか。


「泣くなリリア。お前に泣かれると困ってしまう」


精霊王は指の腹で優しくリリアの涙を拭う。


「今すぐに信じられずとも構わん。どうであろうと契約は成ったのだから。これからゆっくり精霊王の加護を実感すると良い」


その言葉を信じたい気持ちはある。

しかしリリアの感覚にはまるで変化がないのだから、どうやって信じればいいのかも分からなかった。


それにリリアには気になる事があった。


「あの、いつ契約したんですか?」


「口づけをしただろう。あれだ。精霊の祝福について人間には伝わっていないのか?」


「あれが!?」


一般的に、精霊に関する事は日曜日に精霊教会で学ぶ。

だがリリアは精霊教会に足を踏み入れる事を許されていなかった。

無加護の人間が精霊の事を知る必要はないし、祈りを捧げる事も精霊の怒りを買うかもしれないとの事だった。


「キスが祝福だなんて……」


そういわれると「生まれる前の魂に精霊が口づけをする」という話を、精霊協会から帰ってきた子達がしていたような気がする。


(じゃあ本当なのかしら。そもそも嘘をつく必要もないわよね)


「お前は自分の事を無加護だと言っていたな」


リリアは精霊に嫌われていると本当に思っていた。

だが精霊王が嘘をついていないのだとすると、本当に。


「喜べリリア。私と契約した事で、全ての精霊の祝福がお前と共にある」


「は……」


完璧な造形の唇がから改めて告げられ、リリアは本日3度目の絶句を経験したのだった。


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