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何を願うのか

「エレス……?」


不思議な感覚だった。

リリアを背に庇うようにエレスは立っていた。


エレスとリリアの周りは見えないシャボン玉のような大きな膜で守られている。

膜の内側、リリアとエレスがいる場所には穏やかな、静寂に包まれた空間があった。

それは二度寝をする直前のような、あまりにも居心地が良くうっとりとした時間だった。


だがその周囲では土埃で視界が悪くなるほどの風が吹き荒れ、さらには鋭い雨まで振り出している。

遠くからうっすらと雷鳴も聞こえているから嵐になるのかもしれない。

と、リリアが思っている間に激しい雨が風に煽られ、凶器のような鋭さで人や地面を打ち付け始めた。


膜の内側にはわずかな振動すら訪れない。

風と雨の音の合間から人の悲鳴が聞こえるばかりだ。


精霊王は倒れたリリアの手を取りそっと立ち上がらせる。


「私は、乙女がこの様に扱われている様を看過出来る程優しい存在ではない」


「怒ってる……?」


「愚かな、村の者に。リリアこそ平気ではないだろう」


「わ、私は」


(平気よ)


あれ、と思った。言葉が続かない。


「平気だわ」「大丈夫よ」「慣れてるの」精霊王にそう伝えたいのに、言葉の代わりに出てくるのは涙だ。

一度涙が落ちてしまえば後から後から溢れてくる。


早く伝えないと村の人は命を落としてしまうかもしれない。

膜の外の嵐はどんどん激しくなって、さっきまで聞こえていた悲鳴も風の音で届かなくなってきている。

それでも恐怖で震える手を優しく包み込んでくれるエレスを、リリアは止める事が出来なかった。


(このまま何も言わなければエレスが嫌な事全部消してくれるかもしれない)


リリアは心のどこかで、それも良いかもしれないと思った。

自分と同じ目に合えばいいと、思わないでもない。

さっきまで「存在していた」だけで殺されそうになったのリリアなのだから、村の人々も今そういう状況にあるだけだ。


目の前に差し出された選択肢の重さと誘惑にぶるりと身体が震える。

でも。


(だからこそ私が止めないといけないんだわ)


誰も助けてくれない辛さなら、リリアは嫌というほど知っていた。

ぼらぼたと落ちる涙を腕で拭い前に立つエレスを見つめる。


「助けてくれてありがとうエレス。でももう大丈夫だから、外の嵐を止めてほしいの」


「いいのか? 多少ではあるが見晴らしは良くなるぞ」


「私の気持ちが晴れないのよ。止められたのに止めないなんて、知っている人が沢山いるのに」


「その知人に殺されそうになったのにか」


「私も一瞬、同じことを思ったの。あの人達がいなくなったら辛い事がなくなるかもしれないって。でもブライアンだって変わったんだから他にも私の味方になってくれる人がいるかもしれない」


そしてもう一つ、大きな理由がある。


「それに、私はエレスにこんな事をさせたくないの」


「……そうか」


エレスはリリアのその答えを知っていたようだった。

少しだけ残念そうに、眩しそうに微笑む。

吹き荒れていた嵐は、始まりと同じように急に収まった。


二人を包んでいた膜は音もなく消える。石が飛んでこない代わりにかすかなうめき声が彼女の耳に届いた。

嵐によって篝火は消え、月明かりだけが村を照らしている。


目が闇に慣れ、リリアは月明りでも周囲を確認できるようになった。

広場に集まっていた人々は暗闇の中、壁にしがみついたり姿勢を低くしたりしてやり過ごしていたようだ。

多少の怪我はあるようだが、一様にずぶ濡れになっている以外大きな出血や死体などはなさそうである。


(よかった)


今すぐ生死に関わる被害がなさそうな事にとりあえずほっとする。

これなら落ち着いてから治療を始めても大丈夫そうだ。

もし死者が出ていたら無加護の呪いだなんだと言われ、ずっとこれまでと同じことの繰り返しになってしまうところだったかもしれない。


急に吹き荒れ、そしてすぐ収まった嵐に人々は不思議そうな顔をしていた。

嵐は村人たちの頭を冷やし、必要以上の痛みは与えなかったらしい。


自然ではありえない自然現象。


意思があるかのような「自然」に人々は首を傾げ、しかし広場に顕現したエレスを認めると次々にその頭を垂れる。

今見ているものが信じられないという顔、見惚れて呆けている者、怯えたように震えている者と色々いるがそこに精霊王を疑っている人間はいなかった。

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