白銀色との出会い
森の入り口へ踏み込み、そのまま荷車を引く。
元々自分の持ち物は少なく、最低限の生活が出来る程度の荷物ではある。
だがそれでもそれなりの重量があり、やや湿った土と下草に車輪を取られて中々大変だ。
ぬかるみを避けようとすれば荷車の重量に負けてしまいそうになる。
「でも、それって森が豊かな証拠よね。素晴らしいことだわ。これから暮らすのにうってつけね」
遠い地や大昔の話では精霊の恵みが途絶えたり偏ったりと大変な場所もあるらしい。
それを思うとリリアには重い荷車も恵みの一部だと思えた。
「とはいえ小屋の掃除が終わったら出来る範囲で道の整備をした方がいいかもしれないわね」
その時視界の端に不自然な程の「白銀色」が見えた。
「……あら?」
リリアが目を凝らすとそれは立派な角の生えた美しい白鹿だった。
あまりの美しさに光り輝いてるようにも見える。
(もしかして……森の主とかいう存在かしら)
リリアがそう思うには十分だった。
何しろ大きな体躯は角から足先まで、新雪のような白さだ。
白鹿は身体を横たえて目を閉じていたのでリリアは最初眠っているのだと考えていたが、風がそよいだ拍子に葉がざわめき、隠されていた後ろ足が見えた。
血だ。
あの白鹿は怪我をしている!
「とっても痛そうだわ……」
その場に荷車を止めてリリアは薬類と包帯を取り出した。
そして白鹿を驚かさないように慎重に近づく。
リリアの近づく気配に白鹿は目を開けた。
(わあ、紫の瞳。そんなことってあるのね)
白鹿は不思議な紫の瞳にリリアを映すが、やや身動ぎする程度で逃げ出そうとはしなかった。
「あの、怪我を見せてもらってもいいかしら。手当できるならしたいの」
ほら、と包帯を白鹿に見せる。長く生きた魔物や動物は人語を解する事もあるらしい。
白鹿の反応からしてその可能性は高いと思ったが、どうやら分かってくれたようだ。
理知的な瞳を伏せて後ろ足をリリアに差し出してくれた。
「……これでよし、と」
後ろ足の怪我は矢傷だった。
この美しい白鹿は森の中では非常に目立つ。森へ初めてきたリリアでも気づいたほどだ。
こんなにも人里に近い場所に降りてきたのなら、確かに狩人にとっては恰好の獲物だろう。
「手当は終わったけれど立てるかしら」
リリアは白鹿を抱きかかえるようにして立つのを手伝う。
立派な角の雄鹿なのでかなり重い。
懸命に支えて押し上げると、白鹿はなんとか立ち上がってくれた。
鹿の治療はしたことがなかったが、どうやら大丈夫そうだ。
白鹿は危なげなく安定して立っている。
「良かった!」
改めて白鹿を見たリリアはあまりの美しさにほう、と感嘆の息をついた。
光っているように見えたのは白銀の毛並みだからだろうか。
木漏れ日を反射してこの世のものとは思えなかった。
本当、白銀色に紫の瞳なんて、どんな精霊の加護を受けているのかしら。
誰もが精霊の加護を受けるこの世界では動物も例外ではなかった。
人より分かりづらいが、精霊の証の色がどこかに出るはずだ。
しかしこの白鹿にはそのような証は見当たらない。
「もしかしたら私と同じ無加護なのかしら。いえ、ごめんなさい。こんなに美しいのに失礼よね」
(こんなにも美しいのだから、いくつもの加護があるのかもしれない)
不思議な魅力を湛える白鹿を前に、馬鹿なことを口走ってしまったとリリアは反省した。
白鹿は気にしているのかいないのか、色味のゆるやかに変化する紫の瞳をリリアに向けたままだ。
どうしてだか自分の劣等感を見透かされているような気がしてリリアは急に恥ずかしくなった。
「ねえ白鹿さん。ここは危ないから森の奥へ帰った方がいいわ」
そう言うと白鹿は首をもたげた。感謝の代わりに撫でても良い、と言っているようだ。
リリアは嬉しくなって白鹿の首を撫でる。
短くてさらさらの毛と、その下にさらに短くてふわふわの毛がみっしりと生えていて撫でると気持ちが良い。
リリアが2、3度手を滑らせて満足すると白鹿は身を翻し森の奥へ行ってしまった。
やや足を引きずるような感じではあったが、あの様子だと大丈夫だろう。
「あっ、そうだ日が暮れちゃう」
リリアはハッとして慌てて荷車に戻る。
ブライアンに投げつけられた泥の他に、森でしゃがんだり手当に必死だったからか靴やスカート、あらゆる所が泥だらけだった。
「近くに泉があるって言ってたからそこで流せるといいけど」
なんにせよ日の出ている内に小屋につかなければ。
既にもう傾きかけている。今から急げばぎりぎり小屋にはたどり着けるだろう。