リリアのいなくなった後
リリアが旅立った後の孤児院は、それはもう惨憺たるものだった。
院長のマチルダはそれこそ、無加護のリリアがいなくなる事にせいせいしていた。
貴族や有士の寄付で運営される孤児院に、もし「無加護」がいたら寄付は即座に打ち切られるだろう。
だから先方が挨拶に来る場合は出てこないようにきつく言い含めていたし、噂が広がらないように村中に根回しをしたりと気を付けていた。
あの無加護の小娘には気苦労ばかりかけさせられている。
それがなくなり、リリアが出ていくと言った時には心底ほっとしたものだ。
ああやっと昔の孤児院に戻る。
リリアに任せていた仕事他の子どもたちに割り振って、またゆっくり院長候補を育てればいい。
そう思っていたのだが。
「いんちょーせんせー、ごはんおいしくないよぉ……」
「むかごの姉ちゃんどこいったの?」
「げえっ、雨漏りしてる。おい無加護、修理ー……っていねーじゃん」
「もー何回やっても火がつかないー。ていうか薪もないじゃん」
「俺の服変な形になってる! 犯人誰だよ!」
「掃除ぜんっぜんされてないんだけど! 今週の当番誰!? もう無加護どこ!?」
「なんか臭くね?」
「瓶にお水ない……」
「虫わいてるけどいいの?」
「お祭りの準備ぜんぜん出来てないや」
「無加護どこ?」
「無加護どこいったの?」
思っていたのだが…。
現実はこの有様である。
リリアが担当しカバーしていた分野は多岐に渡り、また長くサボっていた子供たちは真面目にやる習慣もなくやり方も分かっていなかった。
本来は15歳に近い子供がリーダーとなり全員で助け合う事になっている。
だが全員でリリアに頼り切っていたためいなくなれば崩壊するのは当然の事であった。
協調と清貧を良しとした孤児院は、いまや怒号と泣き声と困惑が飛び交う地獄となり果てている。
特に個人に関わらない場所での掃除、料理の分野は質の低下が顕著で、3日もしない内に院全体のストレスは加速していった。
そのせいであちこちで喧嘩や手抜きが発生し、諫める人手も足りず実務への時間が減り、完全なる悪循環に陥っているのだ。
勿論一番負荷が襲い掛かるのはマチルダ院長その人であった。
どうせ無加護はこの村から出られない。
だからこそ雑多な書類作業も任せていた。
ある程度の文字の読み書きなら出来るようになったのでここ5年程度任せていた仕事の処理の仕方がおぼろげにしか思い出せない。
それでも綺麗に整理されていたから時間をかければまだなんとかなっているのだが。
無加護がいた時と今との質の落差で、孤児院の食事の時間には憂鬱な空気が流れていた。
むせるほど塩辛いスープ。
生臭いわりに味のない煮物。
肉はスカスカのパサパサなのに噛み切れないので無理に飲み込むしかない。
マチルダ自身が作れば当然食べられるものは作れるが、ろくに手伝いも出来ない子供たちに指示するのも疲れるし時間が大幅に取られて運営事務の時間が圧迫されてしまう。
そういえば院を出る前に無加護が紙の使用許可を求めてきてたな、と思い出す。
レシピを書き残すのに使うと言っていたから、「そんな事」に紙を使わせる事は出来ないと言ったのだった。
あの時は同じ年齢の孤児たちが当然レシピを学んでいると思っていたから許可しなかったのだが、誰も何も覚えていないらしい。
石板に基本的な事は書き残していたらしいが下の年齢の子たちのイタズラで全て消えてしまったようだ。
食材は同じはずなのに一体どういう事だろう。
無加護の料理は、正直美味しかった。
酒場の女将の作る、料理なんかより格段にだ。
何をしていたのかは分からないが、食費予算は変えていないのにどんどん味が良くなっていった。
だから村の人間に対する優越感があった。
無加護が作ったお菓子を自分が作ったと言って振る舞えば途端に人気者になったし、料理目当てに村の男達が色目を使ってくるのを気づかないふりをするのだって楽しかった。
ああそれなのに。
マチルダは自分がこの村で一番不幸だと感じている。
無加護がいなくなったせいでこうなったのだ。いや、そもそも無加護のせいでこんな事に。
毎日の楽しみだった午後のお茶会も出来ていない。
花精霊祭の準備だって、何かを用意したり花の飾りつけをしている場合ではなかった。
年に一度の祭りを楽しめないのは悲しいが、こうなっては仕方がない。
こういう時こそ全部放り出して祭りで騒ぎたいのに、とマチルダは頭を抱える。
いつもならこんなこと、あの無加護がなんとかしていたのにと。
あの森は山賊や盗賊がうろつくようになってから一人で行く事は村の禁則になっている。
無加護もそれを知らないわけではないから、どうせすぐに戻ってくると踏んでいたのだ。
それか、小屋に辿りつく前に山賊に出会ったか事故か……精霊の加護のない人間がどうだかは知らないが、そんな不運もあるかもしれない。
「いーんちょおー!」
「…………今行くから待っててね」
また何かあったのだろうか。
大声に対してマチルダは引きずるように重い腰をあげる。
マチルダが呼ばれたのは玄関だった。
来客の予約はないから村の誰かだろうと思いながらドアを開ける。
そこにいたのは予想通り村の人間ではあったが、やや意外な人物だった。




