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料理と乙女

エレスはじっとリリアの様子を見て、ふむ、と呟いた。

人ではおよそ到達できない領域の美しい顔に、なぜか煽情的な色が見え隠れする。


「よく熟れて美味しそうだ。料理の前にこちらを食べてみるのもいいかもしれんな」


「え……?」


リリアがその意味を理解する前にエレスはまた、今度はリリアの頬に柔らかくキスをする。


「……っ!」


ま、まだするの!?


エレスは精霊の口づけは祝福だと言っていた。

だがそれは最初の一回だけではないのだろうか。

それとも精霊教会に通っていなかったリリアが知らないだけで、精霊の口づけは何度もするのが普通なのだろうか。


だとしてもリリアはもういっぱいっぱいだった。


そしてエレスが頬に唇を触れさせたまま口を開けた気配を感じ、リリアはついに我慢できなくなって手を滅茶苦茶に振り回し、叫んだ。


「やめてちょうだい! こんなの、は、は、」


「くしゃみか?」


「破廉恥よっ!」


エレスは振り回した手をひょいと軽く避けてしまう。

掃除では結局何もしなかったので疲れなかったが、今のキスでどっと疲れてしまったリリアだった。


掃除の時にはエレスの事が小さい子供か子犬のように見えていたから油断していた。


……これなら泥を投げられた方がまだ冷静でいられるわよ。


愛情や幸福に慣れていないリリアはついそう思ってしまう。

それ程に、リリアは今幸福を感じているのだった。






エレスの『祝福』から気をそらしたいリリアは慣れている事……つまり家事である料理に集中する事にした。

そもそもエレスは距離が近い。

常に遠巻きにされていたリリアは、自分以外の体温が近くにある事に対しての感情の置き場がなく困惑し通しだ。


暖炉の火は消えていた。

一度びしょ濡れにしたのだから当然だろう。

下の方は濡れていないので薪を入れ替えれば大丈夫そうだった。


「料理をするのか? 私も……」


「座っていてちょうだい!」


薪を入れ替え、おが屑に火打金で火種を用意する。

エレスはそんな様子を興味深そうに、これまた至近距離から観察していた。

また「味見」をされてはたまらない、という緊張感から中々火はつかなかった。


リリアは火の加護を受けた人と同じくらい火起こしが得意なのが密かな自慢だった。

なのになぜか今は上手くいかない。

いつの間にかエレスは隣で同じようにしゃがみ込み、頬杖をついてリリアの様子を見つめていた。


「火を起こしたいのだろう。なぜ私を頼らない」


確かに。もしかしたら火が付きにくいのもさっき全体的に小屋がしっとりしたからかもしれない。

だがリリアはさっきのキスの件でエレスの不思議な力に頼るという選択肢が頭から抜けていた。


「普通の人はエレスみたいに不思議な事は出来ないの。

生活の手順の中にないから忘れちゃうし、どう頼っていいのか分からないわ。

それに、私さっきのお掃除で何の役にもたっていないもの」


「役に立ってない?お前は色々と教えてくれただろう」


「そんなの私でなくとも教えられるわ」


「精霊王である私に何かを教えようなどという人間がそういるとは思わんがな」


エレスはくつくつと笑う。


言わんとする事は、精霊事情に疎いリリアにも何となく分かる。

精霊王であるエレスの言葉であれば、そもそもこんな村はずれではなく王都で最重要の預言として扱われるはずだ。

そんな存在に掃除の仕方を教える人は、確かにあまりいなさそうに思える。


私ったら何をしてるのかしら。


なんだか急に恥ずかしくなってきた。


「……おそらく私は調理が苦手だ。今から仕事をするのは私の乙女なのに、その手伝いもさせてくれないのか?」


ああ、また子供だか子犬のような目だ。

だが相手はそんなに可愛いものではない。

困ったように寄せられた眉も、リリアを真摯に見つめる潤んだ瞳も、美しい男のものなのだ。

至近距離では否が応でもキスを思い出してしまう。


「……火を付けてもらえる?」


根負けしてリリアが頼むとあからさまに機嫌がよくなり、あけすけに笑う。

あんなに苦労していた火はあっという間に灯り、炎は薪の上で気持ちよさそうにゆらゆらと燃えていた。




フライパンに二人分、燻製肉のエーコンをそぎ落とし、焼いて油を行きわたらせる。

ジュウジュウと油が跳ね、良い感じに焼き目のついたエーコンを皿に移動させる。


空いたフライパンでピクルスのみじん切りといくつかの香草を焼いたらそこへ溶き卵を流し入れ、さっきの野菜と香草を巻き込みながら形を整えていく。


それも皿へ移すと、今度は余った油に小魚の塩漬けであるロンチョビを三切れと小麦粉を一つまみ。

みじん切りにした香草と火にんにくを油と絡ませながら解してソースにしていく。


エレスの顔を思い浮かべ、美味しく出来るようにと祈りながら。




うん、我ながらいい香りだわ。


リリアは掃除もだが料理も得意だった。

孤児院に回ってくるような食材はあまり状態が良くなく、それでも美味しく食べてもらいたいと思って試行錯誤した成果だ。


そのおかげかはどうか分からないが、孤児院ではリリアの作る食事には好意的な反応があった。

そもそも温かい食事というのはそれだけで美味しい、といつも最後に食事をとっていたリリアは思う。


それにしても誰かを拒絶し叫んだの何ていつぶりだろう、とリリアは考える。

確か最後に叫んだ時、周りが怯えてしまった事がショックで大きな声は出来るだけ控えるようにしたのだ。

「無加護が何かするのではないか」という緊張感と恐怖が、鈍いリリアにも伝わってきた。


それなのに、昨日今日と随分自分を抑えられていないと感じる。

さすがに原因はエレスにある、と思っているが。


それでも出会ったばかりのエレスに随分甘えている事に、リリア自身が一番戸惑っていた。




出来た香草ロンチョビソースをオムレツにかけ、大人しくテーブルについているエレスに声をかける。


「さあ、出来たわよ。あなたの口に合うかどうかは分からないけど」


一食を随分豪勢にしてしまったわ……。


卵は早々に食べるつもりでいたが、干し香草やピクルス、燻製肉をこの調子で使っていくとすぐ無くなってしまうだろう。

だがエレスにはリリアの一番を食べてほしかった。それに精霊の王にはそうしてしかるべき存在だと思っている。

荷車に硬い黒パンがあったが、それを出すのは気が引けてしまったのだ。


「良い香りだな」


食前の祈りを済ませ、朝と同じように向かい合って食事をする。


味見もしたし味はそう悪くないはずだ、とは思うがさすがに精霊に食べてもらうのは初めての事でドキドキする。

反応を見るまでは食事が喉を通りそうになく、伺うようにエレスが食べる様子を見る。


エレスはナイフとフォークを見つめた後、優艶な所作で操る。

透き通るような色の長い指と、手作りで削り後の目立つ木のカトラリーが対比されてなんだか現実感がなかった。


あまりに絵になる様に、自分の作った料理が王城で饗される食事にも思えてきた。

リリア思わずほう、と見とれてしまう。精霊王は全く音を立てずにオムレツを一口サイズに切り、口に運ぶ。


「…………」


だがエレスからの反応はない。


意外に男らしい喉が嚥下したのを確認出来ても、エレスの表情は動かず、ナイフとフォークも動かない。

どこからか吹き込む風にそよぐ髪以外、ピタリと動かなくなった精霊王に美しい食事風景に見惚れていたリリアも、サアッと血の気が引いた。


「お、美味しくなかった……?」


今朝は果物を美味しそうに(実際美味しかった)食べていたエレスだ。

気に入らないのだとしたらリリアのせいにほかならない。


「まってて、今何か……、!」


慌てたリリアは果物を入れていたバスケットに手を伸ばす。

するとその手が誰かに掴まれた。

見るとエレスが両手でリリアの手を握り込んでいる。

美形が無表情で黙ると凄みが増して非常に怖い、という事をリリアは今知った。


「私の乙女」


真摯な声だった。


「ひゃい……?」


「乙女の手は精霊を祝福する」


様子のおかしいエレスにリリアは戸惑うばかりだ。

手がどうとか祝福とか、一体どういう事なのだろう。


「あの、エレス?言ってる意味がよく分からないんだけど……」


「ああ、そうだったな。だが説明する前に食べてもいいだろうか」


あ、子犬の目。


「ええ、冷めない内にどうぞ……?」


わけが分からない。


エレスは愛おしそうにリリアの手を改めて握った後、名残惜しそうに離してまたナイフとフォークを握った。

そしてまた一口食べ、二口食べ。


優雅な所作はそのままに、パクパクと美味しそうに食べている。

不味くはなかったのだろうか。

良く分からないが、冷めてしまうのでリリアも自分のご飯を食べる。


うん、美味しいわ。


しばらくしてソースまで綺麗に食べ終わったエレスは幸せそうにじっとリリアを見つめる。


「ありがとう私の乙女、リリア。とても美味しかった。初めてだ、こんなに満ちた気持ちになったのは」


「あ……良かったわ。急に固まるから美味しくなかったのかと思っちゃった」


「そんなわけはないだろう。素晴らしい料理だった」


エレスはふわりと、本当に嬉しそうに微笑む。

美形の沈黙は怖いが、屈託のない微笑みもまた眩しすぎて落ち着かないものだ、とリリアは一つ学んだ。

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