5 親友からの呼び出し ☆ジェイド視点
今日の予定に「登城」などという項目はなかった。
呼び出しのおかげで仕事を中断することになったのは、この際仕方ないこととして。
彼の用件にいい予感がしない。
私は巨大な門の前で足をとめると、見事な装飾の数々を見上げた。
城に併設した王宮は、いつ来ても煌びやかな場所だ。
初代王の頃からあるとされる、幻獣ドラゴンの像が右門と左門を渡るように垂れ下がっている。
この中心を通って良いのは王族のみで、客人である私はいつも右門から入り、左門から出る。既に勝手知ったる王宮のしきたりだ。
その王宮門をくぐって最奥に近い場所は、民草が入り込めない区域だ。
静かに進む侍女2人の後ろから、磨かれた石敷きの廊下を歩いていく。
響く衣擦れの音が、大きな扉の前で止まった。
「お待ちかねのお客様でございます」
侍女と扉を守る兵士が言葉を交わし、確認が取れると部屋の中から扉が開いた。
「どうぞ、ノースバーグ様」
侍女達に促されて、黒味をおびた深く艶やかな紅色のカーペットに足を進める。
窓の側に立っていた人物が振り返ると同時に、「やあ来たか」と人懐こい笑みを浮かべた。
歳は私と同じ24。ブロンドの髪に透ける空のような水色をたたえた瞳。
身長は私よりもいくらか低い。下がり気味の目尻が細められれば柔和な雰囲気はさらに深まった。
その場にいるだけで華が咲くような存在感は、彼がもつ王太子の肩書きに相応しい。
「火急のお呼びとあって参上いたしました。殿下におかれましてはお変わりなくご健勝のご様子。衷心よりお慶び申し上げます」
儀礼的に腰を折れば、当の王太子は「参ったなぁ」と楽しそうな笑いをもらした。
「君こそ変わりなく偏屈そのもので何よりだ。急に呼びつけて、そう迷惑な顔をされたかったわけじゃないのだが、友と世間話がしたくなってね。悪かった。まあかけてくれたまえ」
「この数日、お加減がよろしくないと伺っておりましたもので」
「そうそう、持病が出たのだ。僕ってほら、病弱だろう? その間にいくつか面白い話を仕入れたから、君にも聞かせてあげようと思ったのだよ。ああ、もういいよみんな。お茶の支度が出来たのなら呼ぶまで下がっていてくれ」
彼がパンパン、と軽く手を鳴らすと、侍女達は一礼をしてさわさわと扉から出て行った。
劇場のような遮音効果を備えた、重い扉が静かに閉まる。
「僕の王都大時代における一番の成果は、君という親友を得たことなのだよなぁ」
向かいのソファーに沈み込みながら、気安い口調で彼が言う。
「大変光栄なお言葉を賜り、感謝の言葉も、ございません」
「最後のところを強調するのはやめてくれよ? あと、いつものように気楽に話してくれ。そのための人払いだ」
「……私を呼び出したのは、メルトンに関係があるのかい?」
立場的には許されるものでないが、この友人がオブラートに包まない言葉を期待しているのも事実だ。
今は大学時代からの友人として話をしたい、ということで黙諾する。
「直球で来たな、話が早い。だが答えはイエスで、ノーだ」
「アルフォンス、謎かけをして遊びたいのなら私以外を当たってくれないか。こう見えても忙しいんだ」
そう諭すと、友人であり王太子であるアルフォンスは「すまないすまない」と両手をあげた。
「祭典に直接関係のある話じゃないが、全く無関係でもないということだ。君の事業には申し訳ないが、僕にとってメルトン開催は二の次なんでね。実は……宮廷内にこのところ怪しい動きがあって、それを調査しているのだが」
「その為の病欠か」
「病弱設定はそのためにあるのだから仕方ない。まさか心配したか?」
「まさか」
アルフォンスは大学時代から公務以外でもまとまった休みを取ることが多かった。その理由の大半は『持病の発症』である。
だが少なくとも私の認識下において、彼は世間一般に考えられているような病弱な王子ではない。
今までにも何度か彼の厄介ごとを解決するために協力してきた。
地下街の住人のデモを鎮めたり、王都近くに溜まってしまった魔物退治に駆り出されたり、彼の頼みを一度聞くと、とにかく疲れることが多い。
しかし突然王宮内に呼び出されるのは、今までに覚えのないことだ。
何か自分にも関わりのあるトラブルが起きたのではないか、そう考えた私はメルトンと関連づけたのだが……
「今回は何の問題があったんだ? 宮廷内ということであれば、君のお父上が動く話では?」
「通常であればそうしたいところだが、問題のある一派は表面上、父上の信頼が厚く権力の強い方面でね。訴えるにも証拠を揃えてからでないと厳しそうなのだ」
「その怪しい動きとやらを要約すると、何になると?」
「つまらない話、職権乱用と横領、宮廷内殺人未遂といったところか」
あっさりと言ってのけた彼に、私はわずかに目を細めた。
「それは大事になっているのか?」
「国家予算の流用も含まれているから、まあいいかと流せるレベルではないのだよなぁ。城や街で責任ある立場の人間が、裏の商人として権力を持っているのも問題だ」
「国の予算が闇に流れていると……?」
「ああ、そうだ。殺人未遂に関しては、派閥争いのなれの果てといったところだが、この国で手に入らない毒物が使用されていた時点で見過ごせるものでもない。ごく少量を吸うだけならば麻薬の類いだ。宮廷から国内にそんなものを流行らせては洒落にならないだろう」
世間話のような気軽さで語られる内容は、これまでとの面倒ごととは種類が違う。国政に関わる重大事だ。
寝耳に水だったが、彼が冗談でこんなことを私に話すわけがない。
この友人は態度こそふざけた男だが、国民のため、信念の元に政治を行う気骨のある人物なのだから。
「それでだ、僕は早々に黒幕のしっぽを捕まえて悪の芽を摘んでしまおうという心づもりなのだが」
「ああ」
「これがなかなかしっぽを捕ませない。だがつい最近、本体と離れたところでチョロチョロしているしっぽの先がいるらしいことを突き止めてな」
「しっぽの先……?」
「ああ、メルトンの参加ブランドの中に、そのしっぽの先がいるようだ」
「……確かな情報なのか」
「僕がこうして君に話す時点で、不確かなものであるわけがない」
私は黙して考えた。
アルフォンスは持病を理由に自ら動き回る男だ。既にその参加ブランドを特定し、様々な情報を掴んでいるに違いない。
この国のものでない、麻薬になる毒物。
おそらく彼が一番重要視しているのはそこだろう。その類いは内部から国家を腐食させる。
商人の裏ルートを使って、国内にそんなものをばらまくことを看過できるわけがない。芽の内に摘んでしまいたいのはもっともだろう。
(しかし……少々面倒なことになったな)
私は彼の言うその「しっぽの先」に心当たりがある。
証拠が揃い、王宮が乗り出し即捕縛するということになれば、私にとっては歓迎できない事態だ。
誰にでも、伏せておきたいことのひとつやふたつはあるのだから――。
友の分かりにくい顔色を窺いながら、話す声に耳を傾けた。
アルフォンスは問題の人物と関わりのある参加ブランドを、出来れば現行犯として捕まえた上で、芋づる式に宮廷内にいる諸悪の根源を引きずり出すつもりらしい。
「うまくやらないとしっぽは切られる可能性があるからな。メルトンの内情に詳しい君に協力を仰ぐのはそういうわけだ」
「概要は分かった。私に出来ることがあるのなら、友人として協力しよう」
「おお友よ! ありがたくも心強い言葉だ。君に頼みたいのは監視と、いざと言うときの戦力……かな?」
「戦力は勘弁して欲しいな。戦いは苦手なんだ」
「それは謙遜に見せかけた嫌味か? 城の魔法士を負かしたことのある上級魔法使いが何を言う」
「戦いが好きじゃない、というだけの話だよ。私は美しい物を鑑定したり愛でたりしている方が性に合っている」
そう答えると、アルフォンスは「ふーん」と口端を上げた。
「では頭脳明晰、眉目秀麗に文武両道と、世のご婦人方に向けて魅力過積載の君に質問だ。欲しかった"例の宝石"は手に入れたのかね?」
唐突な質問に、私はわずかに表情を曇らせた。
例の宝石。
何故、今そんなことを尋ねる……?
「……まだ手元にはないが、近いうちに手に入れるつもりだよ」
「それは、手に入れる見通しが立ったということか?」
「ノーコメントだ」
「おーおー、君は相変わらずケチな秘密主義だなぁ」
「君は相変わらずよく喋るな」
「言葉の足りない君とバランスが取れていてちょうど良いだろう? ところでそんな魅力的なジェイド君に朗報だ」
このタイミングで何の話題か。私は彼の次の言葉を待った。
「うちの妹、先月20歳になった。このままでは婚期を逃しかねないと両親が騒ぎ始めていてな。兄である僕が言うのもなんだが美人だぞ。性格も悪くない。しかも君を慕っているときてる。大変良いお話だと思うが如何か?」
話の流れが分かったところで、そういうことか、と息をつく。
「妹の幸せを願うのなら、もっと相応しい男を捜してやれ」
「僕にとっての相応しい男は、君がダントツ一位なのだがなぁ……父上も爵位を与えたくて仕方ないようだぞ。世襲などもう古い。これからは非世襲だ。実力のある者がのし上がるやり方に君なら賛同してくれると思っていたのだが……なんてな、そういう理屈ではないのだよな。分かってはいるのだが、言わずにはおれないのだ。許せ友よ」
だが、その気になったらいつでも言ってくれたまえ。そう付け足すと、アルフォンスは握った拳を私に向けて突きだした。
「なあジェイド、僕を友人だと思ってくれるのなら、たまには頼ってくれないか。君を頼ってばかりでは格好がつかないからな」
ほんの少し寂しさをにじませたその言葉に、私は苦笑すると握った拳を軽く彼の出した拳に当てた。
「もとより、目的のためなら使えるものは使う主義だよ。その時がくれば力を借りるさ」
私の答えに満足したように、友人は微笑んだ。