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4 ふみにじられた宝物

 隣国に商談に行ってから少し時が流れ。

 メルトリック・メルトンの祭典を2週間後に控えて、私達の準備は順調だった。

 朝っぱらから書類部屋に鳴り響いた、1本の着信があるまでは。


「え……それ、どういうことですか?」


 連絡用通信機を握りしめた私の声が、低く強ばった。

 周囲で朝の打ち合わせをしていた従業員達が、不穏な気配を感じて振り返る。

 通話の相手は先日アクアマリンを発注した宝石商だ。納品日の連絡かと思えば、内容は思ってもいないものだった。


『ですから、こちらも困っているんですよ。先日からどうしても譲って欲しいと食い下がられていて』

「でも、それはうちのオーダー品ですよね? 譲るなんてありえません」

『まぁそうなんですが……セミオーダー品は、店頭のカタログにも載っているんですよ。もう今手持ちのアクアマリンでグレードの高いのはお譲りする4点しかないもので。もちろんお断りしたのですが……ピース様の倍の価格を出しても良いからと言われてしまって』


 話はこうだ。

 メルトン出品用の衣装に使う予定だったアクアマリン、大中小合わせて4つの宝石を是非譲って欲しいという商人が出てきたという。

 店主はもう持ち主の決まっているものだからと断ったものの、目の前に大金をちらつかされて心が動き、うちに「キャンセルする気はないか」と聞いてきたのだ。


「とにかく、キャンセルなんてしませんよ。そういうお話があるのなら、納品後に多少上乗せした金額をお支払いしてもかまいませんから、絶対に渡さないで下さい」

『はぁ、しかし……』

「信用商売なんですから、そこのところはきっちりお願いします!」

『……分かりました』


 ガチャン、と黒い通信機を置くと、私ははーっと盛大なため息を吐いた。

 話の内容を聞いていた背後の従業員達が「大丈夫ですか?」「何とかなりました?」と聞いてくる。


「大丈夫よ、その変な商人がどう言おうと渡す気はないし、納品予定日はもうすぐだから」

「お嬢さま、アクアマリンの納品が遅れたり、手に入らなかったりしないですよね? もう全てアクアマリンの色味に合わせてデザインを仕上げてしまっています。今更他のものに変更は……」


 アクセサリー担当のデザイナーであるリリーが、心配そうな目で聞いてきた。

 私は力強く頷いて返す。


「もちろんよ。納品が遅れるようならこっちから出向いて受け取ってくるわ」

「そうですか、ありがとうございます」


 ホッとした表情のリリーを見て、何が何でも渡すもんか、と思う。

 みんなはこんなくだらないことに惑わされず、良い作品を作ることに集中して欲しい。

 裏方の面倒なことは私が頑張れば良いのだ。


 それにしても何なんだろう。よりにもよってメルトンに使う予定の宝石を欲しいだなんて。

 ……まさか、ジェイドの妨害だったりしないよね?


 私は先日、ランチをご馳走してくれた商売敵の顔を思い出した。

 ライバルといっても、あの男が私の邪魔をしてくるようになったのは、ここ1年くらいのことだ。それまでは面識があっても会話すらほとんどなく、向こうも紳士らしかった気がする。

 このところ静かだから、メルトンの支度で忙しいんだろう、ざまあみろと思っていたのだけれど。


 考え始めたら、何だかモヤモヤしてきた。

 そうだ、ジェイドは私が隣国の宝石商に向かうことを知っていた。それを妨害するために追ってきたと、本人が言っていたじゃないか。

 致命的なダメージがなかったとはいえ、今までにもことあるごとに嫌がらせされてきた。


 私が怒っていても楽しんでいるだけに見えたので、くっそ性格の悪い男だとは思ってもあまり深刻な障害だとは考えていなかった。

 でも、もし、ジェイドが本気で『ピース』を潰そうとしてくるのなら?


 思い当たったことに、血の気が引いた。

 日頃からパパが褒めるくらい頭の良い男のことだ。私の脳ミソで立ち向かっても敵う気がしない。


(メルトンを前にして……本気でうちを潰そうとしてる?)


 でも、商売の話をしている時はジェイドも楽しそうだった。

 あれは油断させるための演技?

 潰そうと思っている相手に、ご飯なんかおごるだろうか?


(分からない……)


 敵の真意が、分からない。

 その時、けたたましい音を立てて部屋の扉が開け放たれた。


「……お嬢さん! お嬢さんいらっしゃいますか?! 大変です!!」


 飛び込んできたのは、倉庫番の男だった。


「ど、どうしたの?」


 ただ事でない様子に驚いて聞き返すと、青い顔の倉庫番は切れた息を整えながら話し始めた。

 早朝の見回りに行った第5倉庫から走ってきたという。


「倉庫に誰かが入った……?」


 工房から少し離れたところにある5番目の倉庫は、来春用に作られた女性向けのレディ・メイド品や服飾のパーツ類をストックしている場所だ。


「今はもうひとりが見張っていて、俺が来たんですが……かなり商品が荒らされていて……」

「荒らされていてって……え?!」

「明け方のどこかで入られたみたいなんです。旦那様は一足先に被害状況を確認しに行くと……俺は、お嬢さんに報せに……」


 被害状況。

 その言葉は生々しくて、私を一気に不安にさせた。


「馬車を回します。ご一緒に」


 うまく状況が飲み込めないまま頷く。

 倉庫番の男が玄関先に回した小型馬車に乗り込んで、私は第5倉庫に向かった。


 到着した倉庫は一見いつも通りだった。けれど……窓ガラスの一部だろうか。砕けた破片が地面に散乱しているのが見えた。

 馬車から降りた私に、倉庫番が苦々しく呟く。


「見回りの時間の間を狙われたようで……あそこから入ってやられました」

「なんてこと……」


 私は開いている入口から飛び込むと、倉庫の真ん中に立っている人に向かって声をかけた。


「パパ!」

「ヒスイ、来たか……ひどいことになった」


 もうひとりの倉庫番と話していたのはパパだった。

 難しい顔のまま私を見て、壁の棚を見上げた。


「持ち出されたものはどの程度把握できている?」

「工房に今日運ぶ予定で選別してあった、メルトンに使うパーツ一式がやられましたね」


 パパと倉庫番の男が話している内容が耳に入ってくる。

 入ってきたけれど、感情がうまく動かなかった。目の前の、倉庫内に広がった惨状がひどすぎて。


「ひどい……」


 からっぽの胃に重たい何かを押し込まれたようだった。

 おそらく刃物で裂かれたのだろう、色とりどりの布が辺り一面に散らばっていた。

 引きちぎられたアクセサリー。踏み荒らされたレースやリボン。

 傷つけられたのは商品なのに、自分自身が取り返しのつかない傷を負った気がした。


「他に盗まれたものは?」

「持ち出されたものはそれほど多くないようで、高価なものが残っているんです。メルトンの品しかやられていないところをみると、物取りと言うよりは嫌がらせのような……」


 パパと倉庫番の男の会話に、恐怖よりも怒りが湧き上がってくる。


 嫌がらせ?

 そんなくだらない理由で、ここの商品はこんなになったっていうの?

 きっと誰かを喜ばすことが出来ただろう商品たちが、こんな風に誰の手にも取られないうちにダメになってしまうなんて。


「誰が……」


 やったかなんて、分かってる。

 うちに嫌がらせして得する人間なんて、決まってる。心当たりがありすぎて、それしか考えられないもの。

 やっぱり、アクアマリンの件もあの男の仕業に違いない。


「……許せない……!」


 今までの嫌がらせとは違う。今回のこれは、あまりにもひどい。


「絶対に許さないんだから……!!」


 私は弾かれるように倉庫を飛び出た。大通りの方向に向かって走ろうとしたところで、追いかけてきたパパが私の腕を掴んだ。

 否が応でも足を止めて振り返る。


「ヒスイ! どこへ行くんだ?!」

「犯人に……犯人に直談判してくる!」

「犯人? 何を言ってる、まだ何も分かっていないというのに……」

「いいえ! よく分かってるわ!」


 だって、絶対にあの男しかいない。

 犯人はジェイドしかいないじゃない。


「落ち着きなさい。お前が今しなくてはいけないのは、犯人に抗議しにいくことじゃない。この現状を一刻も早く把握して、影響が最小限になるように動くことだ。一番大切なことを見誤るんじゃない」


 ぴしゃりと言われて、私は固まった。


「犯人捜しは王都警察に任せるんだ。私達は私達に出来ることをしよう」

「……パパ」


 パパの言うことは正しい。

 私がしようとしていることの方が、間違ってる。分かってる。

 でも、悔しいんだ。

 みんなの作品が、これから作品になろうとしていたものが踏みにじられて。


「パパ……商品が。みんなの作ったドレスが――」


 言葉にしたら、ボロボロ涙がこぼれてきた。

 悔しい。悲しい。

 こんなのひどすぎる。

 パパの胸にしがみついて、嗚咽と一緒にそう吐き出した。


「私も悔しいよ。だが、こんなことに負けるみんなやお前じゃない。だから……大丈夫だ」


 子供のように泣き続ける私の肩を抱いて、パパは優しく頭を撫でてくれた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ひどい、許せない。負けるなヒスイ。どんな状況でもさらにいいものを作って、鼻を明かしてやりましょう! いくらでも援護しますよ! こちらからは、いつでもプリンと肉を用意できますからね!
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