5 逢瀬 ☆ジェイド視点→アルフォンス視点
何となく予感はしていた。
妙なところで律儀に細かいこの友人が、呼び出しの大義名分をつけずに使いをよこしたあたりから。
「王宮門に近い側の入口で待っていろと言ったのは……」
そういうことか、と声には出さずに目で訴える。
「そういうことだ」
国民に紛れるような軽装をしたアルフォンスは、悪びれるでもなく笑うと隣に立つ女性の背中に手を回した。
はにかんだ笑顔を浮かべてそっと前に押し出された彼女に、仰々しくない程度の礼を送る。
金糸のような流れる長い髪に、薄青の瞳。日の光を浴びたことがないのではないかと思えるほどの透き通った白い肌。
可憐な深窓の姫君といった言葉が似合う彼女は、今日の広場にいる女性達となんら変わらない服装をしていたが、明らかに周囲から浮いていた。
兄と同様に、その自覚はないらしいが――。
「ジェイド様、ごきげんよう」
「ティルトレット様、ご無沙汰しております」
王都第一王女、ティルトレット・G・ランヴェルセン。
アルフォンスの妹だ。
彼女とは何度となく話し、お茶を囲んだこともある。だが特別に親しい間柄というわけではない。
それでもこの毒気皆無の微笑みを前にすれば、誰もが邪険に出来ないと感じてしまうだろう。
「確かに応援は遠慮すると言ったが……」
私の意向を知っておきながら、どういうことかと問いただしたい。
「デートの予定はないのだろう? であれば、少しばかり親友の頼みを聞いてくれても良いのじゃないか?」
「あくまで予定だが、私にもこの後の都合というものがある」
「ほう、ではやはり誘われたのか?」
「いや……私が勝手にここで待つと伝えただけだが」
「なんだそれは。いつからそんな乙女になったんだ君は?」
アルフォンスが肩を落としたところで、王女が「あの」とおそるおそる言葉を挟んできた。
「ジェイド様、だまし討ちのようなことをして申し訳ございません。でも私、どうしても今日、お会いしたかったのです」
「ティルトレット様……」
「少しだけで良いのです。少し一緒に歩いて、話を聞いて下さったらそれで――」
「……大変申し訳ございませんが、私は」
「ジェイド」
正面から両肩を鷲掴みにしてきたアルフォンスが、不敵な笑みを浮かべる。
「観念しろ。残念ながら僕は偏屈な君の性根が本当は心優しいことを知っている。こうして僕が頭を下げて頼んでいるのだから、ほんの一時でよいのでその身を貸してはくれまいか」
「いつ頭を下げた?」
「45度でも90度でも下げてみせるぞ、お望みとあらば」
「望むか、馬鹿馬鹿しいことを」
私に爵位を与え、宰相にした後に妹の婿として迎える。
そんな話を本気で持ちかけられたのは記憶に新しい。だがあれから色々あって、妹とのことは諦めたと言っていたはずだ。
何故今更こんなことを――。
面と向かって断るのは王女には申し訳なかったが、それでも譲るわけにはいかなかった。
私が隣にいて欲しいのは、彼女じゃない。
この際はっきり言っておかねばと口を開きかけたところで、アルフォンスが「断るつもりだろうが、そうはいかん」と遮る。
にやりと口端をあげて、彼は言った。
「残念ながら君に拒否権はないのだよ、ジェイド君」
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僕の親友は結局のところ、優しい男なのだ。
事情を話せば「少しの時間であるなら」と了承してくれると思っていた。
ジェイドと妹が隣り合って中央広場の奥に進んでいくのを、僕はなんとも言えない気持ちで見送った。
我が妹ながら、切ない恋だ。
せめてこの一瞬ばかりは広場に集まる恋人達の一組として、夢を見られたらと思わずにいられない。
ひどく感傷的になってしまうのは、ティルがこのところ泣き暮らしているのを見ていたせいか。
それとも、ささやかな罪滅ぼしのつもりだからか。
ふたりを目で追っていたら、頭上のイルミネーションが一斉に点灯した。
小さな星を散りばめたかのような、美しく暖かい光が無数に広がる。
ジェイドと一緒に足を止め、見上げた妹が花がほころぶように笑った。
その姿に、少しだけほっとする。
「うん、綺麗だな……」
誰が最初に考えたのだか、光の魔力で点灯する飾りを僕も眺めた。
この灯りの下に集う人達は、幸せだろうか。
王都に暮らす民達が、それぞれの小さな幸いを見つけられるようにと願うのはいつものこと。
だが今日ばかりはひとりの兄として、妹の幸せを一番に願ってもいいだろうか。
「すまんな、ジェイド……」
ふたりが人混みの中に消えて、少し経った頃。
頬を上気させてこちらに走ってくる、ひとりの女の子が見えた。
ジェイド、良かったな――。
「ヒスイちゃん」
手を振って声をかけると、少し目を瞠った彼女は僕の前まで来て足を止めた。
「えと……アルフォンス様……?」
「いかにも。覚えていてくれたとはうれしいよ。偶然を装った素敵な再会を祝って、僕とデートでも如何かな?」
「結構です」
「うん、相変わらずの即答が気持ちいいなぁ。逢瀬を邪魔したい訳ではなかったのだが、残念ながらジェイドは今ここにはいないのだよ」
「え……」
「所用があって遅れるということだ。僕はしがない伝言役さ」
「そう……なんですか」
あからさまに曇った顔を見て、罪悪感が湧かないわけではない。
だがここはひとつ、可愛い妹のために心を鬼にしようと思う。
「というわけで、良かったらジェイドが来るまでの間僕と一緒に」
「アルフォンス様って、いつも誰にでもそういうこと言うんですか?」
「女性を見たら口説かないと失礼だろう?」
「すみません、その失礼の基準はほとんどの人に当てはまらないと思います」
僕の身分に気後れることもなく、バッサリとした物言いが愉快な子だ。
妹には悪いが、ジェイドには似合いだと思う。
「ふふふふヒスイちゃん、いいなぁ。もうジェイドなんかやめて、僕の彼女にならないかい? 超お買い得な権利だと思うのだが。今なら異国のスペシャルスイーツBOXが手に入るおいしい豪華特典を付けよう」
「権利のみクーリングオフ出来るのなら考えます」
「返品を前提としたお付き合いなのかい……?」
場を和ませようとたわいもないことを口にしながら、時間を稼いだ。
ティルはうまくやっているだろうか。
そんなことを考えながら、ちらと隣を見下ろす。
寒そうにしているのが可愛そうでも、親友の思い人の肩を抱き寄せるわけにはいかないのが悲しいところだ。
「……本当は、分かってるんです」
ぽつりと、ヒスイ嬢が呟いた言葉に僕は首を傾げた。
「何が、分かってるだって?」
「あなたがジェイドの伝言役で、ここにいるなんておかしいじゃないですか。王子なのに」
「……まあ、そうかもしれないな?」
何を言い出すのかと次の言葉を待っていたら、続いたセリフは最悪なものだった。
「私、見ましたから。ジェイドが綺麗な女の人と歩いているの」
そう言って僕を見上げてきた深緑の瞳は、静かに怒っているように見えた。
あ、これはまずいなと。僕がひきつった笑いを浮かべて何事かはぐらかす前に、彼女は更に続ける。
「……やっぱり。ふたりして私をからかって遊んでいたんですね」
「んん?」
「モテる男の人の悪ふざけなのか何なのか知りませんけど、こういうのって、ちょっとひどいと思います」
「いや、待ってくれるかな。それは違う。ヒスイちゃんはなんだかとてもまずい思い違いをして――」
「もう、いいです」
彼女はずっと手に持っていた小さな袋を僕に押し付けてきた。
思わず受け取ってしまったそれを、目の前に持ち上げてみる。
「……クッキー?」
「あげます」
「でもこれ、ジェイドにあげるやつじゃ……」
「もう帰りますから」
「いやいや、ちょっと待って話を聞いてくれるかな――」
「魔力使いすぎて疲れたんで帰ります! ジェイドにもそう言っておいてください!」
そうぴしゃりと言い放つと、ヒスイ嬢は身を翻して足早に立ち去ってしまった。
引き留めようと伸ばしたものの、行き場のなくなった手をじっと見て「まずい」と呟く。
「これは本格的に、氷漬けにされるかな……」