4 素直にはなれそうもない
聖ギビングデーは女性から男性へ、愛や感謝の気持ちを伝える日。
プレゼントにその人の好きな物を買う子は多いけれど、手作りのものを渡す風習もあった。
というわけで私は毎年、男性従業員のみんなにクッキーを焼くことにしている。
「よーし、作るわよ!」
朝食の後片付けが終わったあと、厨房に立った私は女性職人らと一緒に腕をまくった。
「今年は何セット作りますか?」
「とりあえず袋クッキーは30セットね。そっちの箱はお得意さん用の分よ」
「じゃあそれプラス私達の人数分ですね~」
聖ギビングデー当日は、毎年こんな風に午前中からみんなでクッキー作りをする。
今年は紅茶クッキーに決めた。色んな形の型で生地を抜いてオーブンで焼く。
みんな手慣れたもので、バターを練る係、天板とオーブンの用意をする係など、役割を分担しながら手際よく作業が進んでいく。
途中でママがのぞきに来て「あらあら、いいわねぇ」とニコニコしながら激励を送り、去って行った。
オーブンで焼いて、また型で抜いて焼いて……
繰り返すうち、お昼頃にはすっかり人数分が焼き上がっていた。
昼食にはおばちゃんシェフが作ってくれたサンドウィッチをみんなでほおばった。こういうの、女子会みたいで楽しい。
お腹が膨れたところで午後はラッピング作業だ。
「ハート、ダイヤ、帽子、クマ、星……」
「あ、そっちのウサギとって」
「待って、その詰め方おかしいわ。数合わないし」
「えー」
和気あいあいとしているうちに、30以上のクッキー袋と10の化粧箱が作業台に出揃った。
今日は仕事終わりに、男性従業員にこれを配るのだ。
そして作業を終えた女の子達はそれぞれひとつずつ、羽飾りがついた袋を抱えている。
特別なプレゼントは意中の人に渡すもの。
みんなしっかりと自分の分を確保していた。リリーも胸の前に抱えている。誰に渡す分かはなんとなく分かってるけど、まだちゃんと聞いたことがない。
「お嬢さま、じゃあ私達は仕事に戻りますね」
「ええ、お疲れさま」
「お嬢さまはこれから大店回るんですよね? 気を付けていってらっしゃいませ」
「うん。みんなも残り時間、作業頑張ってね」
大切そうにクッキーを抱えてみんなが厨房を出て行く。それを見送ったあと、私は作業台の上に並んだ化粧箱を手に取った。
ひとつずつ紙袋に入れると、これも出来たてホヤホヤの新春カタログを一緒に詰める。
全部ひとつのカゴに入れて抱え上げれば、なかなかずしりとした重量だ。
これを徒歩で配って回るのは厳しい。助手が必要ね。
私は賃金代わりに作ってあった、魚型の特大クッキーも手に取った。
玄関を出たすぐ横に、可愛いくも巨大な毛玉が転がっている。
「ルーシー、お仕事よ」
あの地下牢での火事以来、この幻獣が一回り小さくなったような気がするのは、焦げた毛を刈ったせいだ。
針子の子達が上手にカットしてくれたので、クリーム色の毛並みはすっかり綺麗になっている。
少しだけ毛の短くなったルーシーは、モフモフと体を揺らしながら振り返った。
私を見ながらぱたり、としっぽを振る。
「な゛ー」
「はい、ルーシーにもあげるね」
私の顔よりも大きいお魚クッキーを差し出すと、手まで食べそうな勢いでばくん! と食いついてきた。
バリ、ボリ、バリンと、不思議な音を立てて噛み砕いてから、ごくん、と喉を鳴らす。何故クッキーからそんな音が出るのか、謎だ。
「な゛ー」
「美味しかった? じゃ、これお願いね」
私が両手に抱えたカゴを見せると、ルーシーはほんの少しだけ沈黙した。
と思ったら、丸い毛玉は横に、うにょん、とつぶれて伸びた。
私は腕を伸ばして、低くなった頭の上にカゴを置く。
みにょん、と毛玉は元の丸い形に戻った。
「な゛ー」
「それじゃ、手早く配りに行っちゃいましょう」
聖ギビングデイ当日。特にお世話になっている大店に、新春カタログの配布をかねて挨拶に回るのも毎年恒例になっている。
後をついてくるルーシーと一緒に、私はかなり長い距離を歩いた。
「ヒスイちゃん、待ってたよ」
「ルーシーも来たんだね。いつもご苦労様」
顔見知りの店員さんやオーナー達と挨拶を交わし、ルーシーの頭の上のカゴが空になる頃にはすっかり日が暮れかけていた。
街にアフタヌーンティーの終わりを告げる鐘が鳴り響く。
「思ったより時間かかったわね……ルーシー、急いで帰ろう。今日はみんな早く仕事終わるし、クッキー配る前に帰られちゃったら困るわ」
「な゛ー」
うにょん、と横につぶれたルーシーに「よいしょっ」とよじ登ってカゴを抱えて座る。
掴まるところが頭の毛ぐらいしかないルーシーだけれど、馬と違って上下の揺れが殆ど無いので落ちる心配は少ない。
短い足を高速で動かして走る幻獣は、動くソファーみたいなものだ。
空になった荷物の代わりに私を乗せて、ルーシーは馬車道を走った。
結構な距離を苦もなく走りきったルーシーのおかげで、まだ明るいうちに家に帰ることが出来た。
女性従業員達がすでに玄関ホールのところで支度をしていて、帰ろうとする男性従業員も集まってきていた。
いつもはまだ仕事をしている時間だけど、聖ギビングデーの今日はどこのお店も早く仕事が終わる。飲食店はやっているところも多いけれど、普通の職場には「デート時間を公に確保してあげよう」という、無言のルールみたいなものがあるのだ。
「お疲れ様~」
「おっ、やった!今年は何クッキー?」
「紅茶よ、味わって食べてね」
「ありがとう」
「ありがとうございま~す」
みんながクッキーを受け取って帰って行く中、ジルもやって来た。
両手を高く差し出して、頭を下げる。
物乞いのポーズ、と思いつつ、その手のひらにクッキーの袋を乗せる。
「ありがとうございまっす!! お嬢さんはこれから中央広場っすか?」
「うん、行ってくるわ。イルミネーション点けるから、ジルもリリーと一緒に見に来てね?」
「了解っす!」
リリーの思い人の確認が、あっさり終わってしまった。
幸せにしなさいよ、と心の中で呟いておく。
「お嬢さんもイケメンオーナーとのデート、頑張るっすよ」
にやりと笑ったジルの言葉に、思わず頬が引きつる。
「またそういうこと言う……違うって言ってるのに」
「まだ言うんすか? そりゃまぁ、俺らもお嬢さんがお嫁に行っちまうってなったら、嫌ですけど……恋愛は自由だと思うんで。意地張ると後悔するっすよ」
そんなことを話していたら、周りにいた従業員達が割り込んできた。
「え? お嬢さんもうお嫁に行っちゃうんですか?!」
「ノースバーグの若旦那でしょ? ブランズハックに行っちゃうって本当だったんですね?」
「いつ結婚するんですか?!」
いつの間にか私が嫁に行くことになっている。
慌てた私は「ストーップ!!」と叫んでみんなを止めた。
「私はここにいるわよ! もっともっと勉強してパパみたいな頼れるオーナーになるって目標があるのに、どっか行っちゃうわけないでしょ?! みんなして馬鹿なこと言うのやめて!」
「えー?」
「マジですか?」
「でも……ねえ」
なんなのだ、みんなのその微妙な顔は。
「俺ら、お嬢さんには幸せになって欲しいっす」
「だな」
「そうですよ」
口々に言い始める男性従業員達に、不覚にもうるっときた。
みんながどれだけ私を大切にしてくれてるかくらい知ってる。ほとんどが私より年上だもの。妹のように可愛がってくれる人だって、ひとりやふたりじゃない。
「もう……変なこと言ってないで! みんな今日は大事な予定があるんでしょ? ほらほら、もう行って! お疲れ様っ!!」
何だかいたたまれなくなってきて、半ば無理矢理みんなを追い出した。
最後のひとりの背中を押し出して、玄関を閉めたところで「はあ……」と肩を落とす。
いつもなら、これで私の聖ギビングデーはおしまいだ。
でも今年はもう一仕事……
ふと、クッキーの置いてあった台に目をやって「あれ?」と呟いた。
クッキーがひとつ余っている。
おかしい。人数分ぴったりのはずなのに……
私は従業員のいなくなった玄関ホールを見回して、首を傾げた。
念のために工房へ行ってみた。作業部屋の一画に灯りがついている。
のぞき込んでみたら、若い細工師見習いがひとり黙々と作業をしていた。
「まだ残ってたの?」
「あ、ヒスイお嬢さん……!」
声をかけた見習いは、あわててぺこりと頭を下げた。細工用のモノクルが鼻からずり落ちそうになるのを押さえながら「すみません」と謝る。
なんとなく鈍くさい感じの人だなぁ。
「はいこれ、お疲れ様のクッキー。今日は早く上がっていいのよ? みんなもう出て行ったのに、ずい分熱心ね?」
「あっ、ありがとうございます! あの、実は、予定があったんですけど、ペンダントトップの工程が追いついていなくて、それで」
見習いは要領をえない説明をしながら、机の上の銀細工を見せてくれた。
「ああ、それ、来月に店舗に並べるやつね。今日やらなきゃいけないの?」
「はい、俺、単純なベゼルセットの工程まで任されてたんですが……1セットだけかと思ってたら、2セットあるのに今日気が付いて。これが終わってないと明日から彫りに入れないって、ジルさんから怒られちゃって」
ジルは普段ヘラヘラしてるけど、こと細工のことになると恐ろしく細かくて厳しい人だ。
つい先日も「見習いがうっかりミスするから思うように進まないっす」とぼやいていた。
多分こういうことが重なって、さしもの彼も怒ったんだろうと理解出来た。
「そうだったのね。もう終わりそうなの?」
「あ、はい。これで最後なんであと少しだけ作業すれば……」
「分かったわ。じゃあ鍵閉めるのもうちょっと待ってるから頑張って」
「すみません、ありがとうございます」
もう日が落ちる……中央広場に向かわなくてはいけない時間だ。
でもあと少しなら大丈夫。イルミネーションは暗くなってから点灯するし。
私は誰もいない書類部屋に戻って、ふと壁のカレンダーに目をやった。
赤いハートマークに、羽。
「私には、関係ないのに……」
見つめたまま、呟く。
そりゃ私だって素敵な彼氏がいたらな、と思うことくらいある。
でも今はそれ以上に、ピースのオーナーになるため、たくさん勉強しなきゃいけない時期だ。
半人前のままの私が、恋愛なんてしているヒマはない。
そこまで考えて、ジェイドのことを思い出した。
彼はもう、中央広場で待っているだろうか――。
嫌なヤツだと思っていた誤解も解けた今、ジェイドを嫌わなくてはいけない理由はない。
危ないところも助けてもらった。最近はノースバーグ家のサンルームや街のカフェで講義を開いてくれるし、いつも冷たい態度しかとれない私に嫌な顔もしない。
ジェイドのことが気にならないと言えば、嘘になる。
少しずつ違う彼を見つける度に、温かい気持ちが胸の奥で育っていくのを感じていた。
でも、彼だけは絶対ダメだ。
私はブランズハックには行かない。
みんなのいるこのピースを、離れるわけにはいかない。
ひとつだけデスクの上に残っているクッキーの袋。
何で余分に作ってしまったんだろう。未練がましい……
「ん?」
何故かクッキーの横に羽飾りが一枚、置いてあった。
つけろといわんがばかりに。
「……」
ちょっとだけ考えてしまった自分に自己嫌悪して、クッキーの袋だけ手に取った。
袋を持ったままソファーに沈み込む。
「羽なんて、つけられるわけないじゃない……」
もし私が商家に生まれていなかったら……ジェイドの手を取れたんだろうか。
この気持ちをなかったことにしないで、口に出来たんだろうか。
そんなことを考えたのははじめてで。
このところの私は、どうかしているとしか思えない。
(考えるのやめよう……)
そのままそこでうとうとしてしまったのは、ほんのわずかな時間だったはず。
ノックの音で目が覚めた。居残りの細工師見習いが入ってくる。
「お嬢さん、作業終わりました。どうもありがとうございました」
「……えっ? ああ、もう終わったのね?」
「結構時間かかっちゃって、すみません」
言われて、私は壁の時計を見上げた。
「……え?! もうこんな時間?!」
「何かありました?」
「まずい! イルミネーションの点灯!! ごめん、やっぱり工房の鍵閉めてきてくれる?! 帰りにここら辺に置いていってくれればいいから!!」
「あ、は、はい」
私はコートをひっつかむと、手にクッキーを持ったまま家を飛び出た。
中央広場まではそんなに遠くない。
でももうすっかり日は暮れていた。そろそろ大通りにもイルミネーションが灯る。
「まずいわ。もっと早くに出るつもりだったのに……!」
広場に向かう人の人波の中を、私は全速力で走って行った。