3 お仕事といつものランチ
聖ギビングデー前日。
午前中から装飾の作業をしていた私は、広場の片隅にあるオブジェの裏にいた。
板で囲われたこの道具置き場には、イルミネーション点灯用の魔道具が設置されている。
「この黒い箱に、魔力を流して溜めておくんだよ」
そう言って、水汲みバケツ大の黒い四角形をぽん、と叩いたのは、服飾協会のメンバーだ。
ハタチくらいだろうか。毎年イルミネーションの飾り付けを手伝っているので、顔は見知っていた。
広場の光球を点灯する大役を任された私に、イルミネーションの仕組みを教えてくれている。
それにしても、今日は基本肉体労働のはずなんだけど……
帽子から靴まで、流行のファッションで武装している彼はある意味すごい。お洒落に対する心がけは見上げたものだけど、動きにくくないんだろうか。
「中央広場の分はヒスイちゃんひとりに任せることになってるけど、大丈夫?」
「うーん、多分ね。これってどのくらいの魔力がいるものなの?」
「自分は魔力持ちじゃないから詳しくは分からないけど……」
男は装置についた赤いランプを指さす。
「一度満タンにするとここが緑ランプになるんだよ。そしたら一晩は持つって話」
「へえ。ずっと魔力を送ってなくていいのなら楽そうね」
「でも今年のはいつもの3倍は長いから、もしかしたらちょっと大変かもなぁ」
私は箱から延びている長いコードを目で追って、頭上を見上げた。
先日パパとふたりでほどいた黒コードは、広場の周囲にカーテンのように張り巡らされていた。先ほど服飾協会のメンバー達で全体の飾り付けも終えたところだ。
後は明日の夜のイベント開始を待つばかり。
私は日が落ちた頃に、この箱に魔力を流すことになっていた。
ここにぶら下がっている光の球が一斉に光るのかぁ。きっと綺麗なんだろうな……
その光景を思い浮かべたら、少しだけワクワクした。
「ところでヒスイちゃん、このあとヒマ?」
説明を終えた彼が、そう言って急に距離を詰めてきた。
オブジェの影で肩が触れそうなくらいになって、それとなく後ずさる。
「帰れば仕事はあるけど。今日はこっちの作業をするからって、午前中は皆に任せてきたの。お昼過ぎくらいまでならなんとかなるわ。まだ他にすることあった?」
「そうじゃなくて、お昼ご飯、一緒にどう?」
「どうって……皆と?」
「違うよ、ふたりで。俺さ、前からヒスイちゃんのこと、ちょっといいなと思ってたんだよね」
「え?」
なんとなく悪寒の走る笑みで、男が更に距離を詰めてくる。
一歩下がったところで、背中にオブジェが当たった。
あれ? これ、もしかして意図的に追い詰められてる?
「ちょ、ちょっと待って……もう少し離れ――」
「お試しでいいからさ、このあと少しだけつき合ってよ。それで良かったらさ、明日もどう?」
さっと手を取られて、握られる。
なにこれ、交際申し込み? というわりには軽すぎるよね??
全然ときめかないどころか、握られた手を振り払いたい気分だ。
「――残念ですが」
突然、どこからか冷え冷えとした声が割り込んできた。
「ヒスイさんには今日も明日も予定があるので、あなたとはつき合えないですね」
振り向いた男が「げっ」とうなって私の手を離した。
肩越しに、冷笑を浮かべた長身のシルエットが見えた。
今日は彼も肉体労働なのだろうか。山吹色の目立つ羽毛ジャケットから襟無しの黒シャツがのぞく。そしてまさかの黒ジーンズスタイル。
長い紺色の髪は後ろで無造作に縛っていた。すごく見慣れないラフな格好のジェイドは、流行のファッションに完全に勝っている。
うん、見なければ良かった。何着ても格好いいだなんて……この男は存在そのものが反則だと思う。
「ノースバーグさん、大通りの方はもう終わったんで……?」
おそるおそるといった感じで男が尋ねると、ジェイドは「ええ」と笑みを深めた。
「最終チェックまで済ませましたから問題ありません。というわけでヒスイさん、ランチに行きましょうか」
「ど……どうして、私がジェイドと……」
そんな予定はない。と言おうと思ったのに。最後まで言わないうちにジェイドが言った。
「いつもの創作料理の店、本日のランチは『芳香鶏とキノコのスペシャルロースト バルサミコ仕立て』だそうです」
「分かったわ。行きましょう」
即答してしまった。でもそれは食べないわけにはいかない。
あの店めっちゃ美味しいんだもん。
「ええ? ヒスイちゃん、まさか『ブランズハック』のオーナーと……?」
「え? ちがっ」
「ええ、そういう訳ですので、今後は考慮下さいね」
かぶせるように言ったジェイドに、無理矢理後ろから肩を抱かれてその場から連れ出されてしまった。
変な誤解を与えてしまった気がする……けど。逃げられたからいいだろうか。
男が見えなくなったところで、私はジェイドの手をつまんで肩から引きはがした。そそっと数歩距離を取る。
心臓の音が聞こえないくらいに離れなければ。
「あ……ありがとう。助けてくれたのよね? 助かったわ」
「私の都合ですよ、礼には及びません。ですが、余計なことをしてと言われないで良かった」
ふっと笑うと、ジェイドは隣に並んで歩き出した。
頭ひとつ分身長の高い彼は、私と歩くとき必ず歩調を合わせてくれる。一緒に過ごす時間が多くなってから、そういうさりげない気遣いに気付くことが増えた。
ちらと横を見上げる。髪を結んでいるから整った横顔がよく見えた。心臓が更に落ち着きを無くしていくのが分かった。
「なにこれ。イケメン効果怖い」と心の中で呟く。
「……今日はいつもとちょっと雰囲気違うのね」
「TPOに合わせただけですよ。元々私は自分の着るものには頓着しない方なので。本当はこういった肩肘張らないカジュアルなファッションも嫌いじゃないんです」
未だかつて、こんなに隙の無いカジュアルがあっただろうか。
ただでさえモデルが裸足で逃げ出すほどの美青年だというのに。飾り立てなくても尋常でない雰囲気を醸し出してしまっている。
「反則よね……」
「何がですか?」
「放っておいて。世の不公平を感じているだけだから」
ジェイドとこの店に来るのはもう何度目だろう。
いつもの創作料理の店の、茶色い看板を見上げる。
落ち着いた雰囲気の店内は温かみのある木造りで、高級感を前面に押し出していないのが好きだ。出される料理は妥協がなく、洗練されていて一流だと思う。
だから誘われる度にしっぽを振ってついてきてしまっている自覚はある。
だって何食べてもすごく美味しいのよ、この店。
私達はすっかり店主とも顔見知りになっていた。
「こちらは期間限定のケーキです」
本日のランチを堪能した後、しぶいイケオジのマスター自らそう言って出してくれたのは、ハート型のケーキにホワイトチョコの羽が刺さったデザートだった。
「わあ~、かわいい!」
「今これが女性客に人気なんですよ。よろしければお召し上がり下さい」
「ありがとうございます!」
サービスのケーキに目を輝かせると、私は早速ぱくついた。
「この赤、フランボワーズかと思ったらグレナデンシロップなのね。甘くて美味しい~。幸せ~」
「ヒスイさんはいつも美味しそうに食べますね」
紅茶のカップを揺らしながら、前に座るジェイドが笑う。
「美味しいものは美味しいもの。料理はこういう見た目も大事だけどね」
「……そうですね」
最後まで残してあったホワイトチョコの羽飾りをフォークで引っかける。食べるのがもったいないくらいかわいい。そう思いながら口に入れようとしたところで気が付いた。
分かりにくいけれど、ジェイドの表情がほんの少しだけ、いつもより暗い。
「……どうかした?」
微妙な顔で私が食べるのを見ているジェイドに尋ねる。
「いえ、明日のことを考えていただけです」
明日のこと。
私と違ってイルミネーション点灯するわけじゃなし、ジェイドの仕事はもう終わったんじゃないだろうか。
「ヒスイさんは、イルミネーションの点灯を終えた後、何か予定がありますか?」
「ないわよ? 片付けは次の日でしょ?」
「仕事の話じゃありませんよ」
仕事の話じゃないっていうと……。
ジェイドが見ているのは私の手元。すなわちフォークにぶら下がっている羽飾り。
そこまで視線を追って、気が付いた。
そうか。すっかり主催者の仕事モードで忘れていたけれど、よくよく考えれば私もうら若き乙女なのだった。
「な、ないわよ。予定なんて……」
思い当たったことに動揺する。誰かと会うのかと聞かれていたのだ。
もごもごと答えると、ジェイドは「良かった」と目を細めた。
「でしたら、仕事のあとでかまいませんから、私とデートしませんか?」
「え?」
「普通は女性から誘われるものなのでしょうが……予定がないのでしたら私が誘っても問題ないですよね?」
「え、いや……問題ないとかそういうことじゃない気が……」
「明日の夜までに決めてくだされば大丈夫です。イルミネーションが点灯した後、王宮門に近い広場の入口で、待っていますから」
「……でも、私」
「私が勝手に待ちますから、ヒスイさんが嫌でしたらなかったことにしてくれて良いですよ」
「……」
そこまで話したとき、ジェイドのバッグから「チリリン」と鈴の音のようなものが鳴り出した。
最短の動作で取り出された小型通信機が、彼の指に押されてカチリと黙り込む。
「すみません、呼び出しのようです。会計は済ませておきますからゆっくりしていってください」
「あ……ありがとう」
「明日、ヒスイさんの光らせるイルミネーションを楽しみにしていますね」
「……うん」
ジェイドはそれだけ言って、店を出て行った。
取り残された私は、少し考えてからぱくりと白い羽を口に入れた。
せっかくのチョコレートの味は、よく分からなかった。