2 昼下がりのカフェで ☆ジェイド視点
「休暇とは、他者によって剥奪されるためにあるのじゃなかろうか?」
現れるなり愚痴とも偽りのない心情ともとれるセリフを吐くと、親友はどかっと私の前に座り込んだ。そのままカフェのテーブルに行儀悪く頬杖をつく。
少しだけわざとらしい庶民の仕草は、街で隠密活動をするうちに身につけた彼なりの技術だ。
それなのに昼の光に薄く透ける金の髪と、整った甘いマスクを隠すこともしないのだから理解に苦しむ。今も彼を気にしながら横を通過する婦女子の一団に、微笑みを返しては色めき立たせていた。
「それほど悲観的にはなれないが、全く違うとも言いがたいな」
アッサムの香るティーカップに顔を近づけて、私は答えた。
「そうか、薄情な奴め。人の半分の時間で3倍の仕事をこなすような人間に、凡人の気持ちは分からないということだな」
「この国の王太子は凡人ではないだろう」
「君を見れば誰でも道端に転がる石ころの気分になるというものだ」
「貴重な意見だな。覚えておくよ」
近況報告という名目で、彼に突然呼びつけられるのは珍しいことではない。
このところの激務で街歩きを楽しめなかったアルフォンスは、人を巻き添えにつかの間の開放感を味わっているようだった。
呼び出されたことに不満はない。とは言え、もっと他に有意義な時間の使い方はなかったのかと呆れるところだ。
そもそもこの国における正統な王位継承者が、流行りのカフェで私とお茶を囲っていること自体がおかしい。今更だが。
少し離れた場所からこちらを窺ういくつかの気配と、さりげなく隣に座ったカップルを横目で見やる。こんな散歩に護衛として付き添わなくてはいけない、彼の忠臣達を少しだけ憐れに思う。
「しかし花がないな、花が。何が悲しくてこのお天道様明るい昼間から男がふたり、顔を突き合わせてカフェでお茶などせねばならんのだ?」
以心伝心、というわけではないだろうが……私の心情を代弁したあと、アルフォンスは椅子に反り返って天を仰いだ。
「同感だがそれは君の行動の結果だろう。ところで私は今まさに、他者によって業務時間を剥奪されている最中のようなのだが、それに関してはどう思うんだい? アルフォンス」
「つれないことを言うな。僕はただこの半日限りの休暇を満喫しに、親愛なる友人の顔を見に来ただけだ。冷たい苦情より優しいいたわりの言葉をくれないか」
「まさかその役目を私に?」
「おかげで人選ミスを痛感しているところだ」
真顔で失礼な発言をすると、アルフォンスは3つ向こうの席でこちらを見ている婦女子のグループに向かって軽く手を振ってみせた。
黄色い歓声が聞こえてくる。
「ああ、愛が足りないなあ……もうすぐ聖ギビングデーだというのに、心の中までもが寒空だ」
「引く手数多だろうに、何を訳の分からないことを」
「政略結婚の見合い話に心が沸き立つ訳がなかろう。僕はもっとこう、情熱的な恋がしたいのだ。そういう意味でも君が羨ましいぞ、ジェイド」
「……そうか」
「服飾協会は24日に向けて中央広場を飾るのだろう? 祝い事を盛り上げるのは基本的に賛成だ。ティルが楽しみにしていたしな」
つい先日、そのイベントのために資金を援助してくれた妹君の名を口にすると、彼は目の前に運ばれてきた青磁のカップに手を伸ばした。
聖ギビングデーには毎年各協会が協力して、宮廷前の中央広場に装飾を施してきた。何年前から始まったのか定かではないが、一夜限りの恋人達の聖地として王都の名物にもなりつつある人気の催しだ。
今年から服飾協会が一手に引き受けることになったこのイベントには、うちも主催者として参加している。受け持ちは主に中央広場につながる大通りだ。
「場所によっては王宮からもイルミネーションが見えるだろう。ティルトレット様に、援助いただいた資金のおかげで賑わいそうだと伝えておいてくれ」
「ティルは本当なら君と楽しみたいのだろうがなぁ」
妹とのことは諦めた、と言っていたはずなのに。上目遣いにのぞき込む水色の瞳が、隙あらばと言っているようで面白くない。
「ヒスイちゃんからは誘われたのか?」
続く言葉を予想はしていたが、やはり面白くない質問が彼から投げられる。
「……彼女は、当日も仕事の可能性がある」
年が明けてからもイベントの名を口にしないヒスイのことを思い出し、私は苦々しく答えた。
聖ギビングデーは女性から男性を誘う行事だ。今時期はどの男も意中の彼女からの誘いを待っていると言える。私もそのうちのひとりであることを否定はしない。
「切ないなぁジェイド……見込みがないのなら、当日くらいは誰か後腐れの無いきれいどころと遊んできたらどうだ? 誘ってくれる女性はいるのだろう?」
「君と一緒にするな。ここに来る前に11人目の誘いを断ってきたところだ」
「ほほう、相変わらず嫌味な男だな……しかしそうか。決意は固いのだな。その純愛を僕は面白おかしく応援するぞ」
「君が絡むとろくなことにならなさそうだから、面白くなくともかまわないので応援は遠慮させてもらおうか」
「何を言うのだ、親友の幸せの為に僕は一肌でも諸肌でも脱ぐ覚悟だというのに」
「勘弁してくれ」
そう話しながらも「ベンチ席の右から2番目、可愛いな」などと笑顔でささやくのを見れば、本気で関わって欲しくないと思うのも当然だろう。
「そうだ、手紙では話したが、デュポンは完全に失脚したぞ。平たく言えば終身刑だ。王宮のトップ達は保釈金で罪を免れないことになっているから、もう二度と日の目を見ることはないだろう。僕が王になった時にあの男の顔を見ることがなくなって清々した」
「ああ、君の希望通りにことが運んで何よりだ」
アルフォンスは続けて、王宮内の情勢やいくつかの重要機密について話し始めた。宰相にはならないと言っているのに諦める気はないらしく、こうやって何かにつけて内部情報を私に植え付けては意見を仰ごうとする。
長話になるかと思いきや、ある程度説明を終えたところでアルフォンスは「さて」と唐突に席を立った。
「後顧の憂いは絶ったことだし、僕は残りの休みを満喫するとするか」
「……ほどほどにしておけよ。王太子が城の外で女性に刺されたなどという事件は御免だからな」
「大丈夫だ、その為に護衛がいるのだから」
「君は護衛の存在意義についても考えを改めた方がいい」
隣のカップルがうんうん、と頷きあっている。
まったく悪びれることもなく私の肩をポン、と叩くと、アルフォンスは婦女子のグループの席に向かって歩いていってしまった。
隣のカップルが仕方なさそうな笑みを貼り付けて、さりげなく場所を移動する。ご苦労なことだ。
深いため息をひとつ吐くと、私もカフェを後にした。
聖ギビングデーを目前にして、街にはハートマークのついた羽飾りが溢れている。
その昔、慕っていた男神に鳥を使って想いを告白した女神の神話から広がった風習らしいが、このメルヘンチックなイベントが気にかかることなど今まではなかった。どちらかと言えば、わずらわしいものという程度の認識だったのだ。
だが今年ははじめて、他の男達の気持ちが分かるような気がした。
(ヒスイは、誰も誘うつもりがないのだろうか……)
年頃の女性だというのに、仕事が一番、という信念を忘れない彼女の姿勢は好ましい。
だがいつまでもそれだけ、というのも少々困りものだ。
面と向かって想いを告げて以来、分かりやすくアピールしているのだが、彼女は未だに仕事と食べ物の話以外に積極的ではない。
その理由もなんとなく予想はついているのだが……
(一度、強制的にでも話を聞いてもらう必要があるだろうな……)
改まってそういう話をしようとすると逃げるか話をそらすかするので、まともに話が出来ないのだ。
彼女から羽飾りをもらうことなど、現時点では夢物語であるが。
何も諦める気が無い私は、もしかするとアルフォンス以上にしつこい人間なのかもしれない。
すべて最後には自分の思うとおりにことが運ぶのだと、そう信じているのだから。