1 らくがき発見
新年が明けると、書類部屋の壁にかけてあるカレンダーは新しいものに変わった。
日課である朝のミーティングが終わって、皆が部屋から出て行く。
「謎だわ」
ひとりその場に留まった私は、誰に言うとでもなく呟いた。
みっちりとスケジュールが書き込まれているのはいつものこと。
それとは別に、このシンプルな装飾のカレンダーには見過ごせないところがある。
私は今月の24日の欄を、指でとん、と突いた。
日付に被せるように描かれている、赤いハートマークに羽が立ったイラスト。
この印が意味するもの、それは"聖ギビングデー"に他ならない。
王都では新年が明けるとすぐ、恋する乙女にとっての一大イベントがある。
年に一度、女の子が意中の男の子にプレゼントを贈る日。
すなわち、公然とした「告白デー」だ。
お世話になっている男性にも感謝の気持ちを贈るけれど、本命の男の子に贈るプレゼントには目印になる羽飾りをつける。
羽つきのプレゼントがイコール、愛の気持ちってわけ。
(で、誰よ。仕事のカレンダーにこんなマークつけたのは)
独り身の乙女に対する嫌味だろうか。
それとも仕事のカレンダーにこんなものを書き込んでしまうほど、浮かれた予定のある乙女がいるんだろうか、うちに。
「ヒスイお嬢さま、どうされました? カレンダーに向かってため息なんて」
「え?」
「今日、何か嫌な予定でもありました?」
まだ残っていたのか、いつの間にか隣に来ていたアクセサリデザイナーのリリーが、不思議そうに私とカレンダーを見比べていた。
「そういうわけじゃないんだけど……ここにハートマークつけたの、もしかしてリリーだったりする?」
「え? ……あら、いいえまさか。針子の子達でしょうか」
可愛いですね、とほわっとした笑顔で返されて、なんだか毒気を抜かれてしまう。
「もう、誰なんだろう……ホント」
「今年の聖ギビングデーは、中央広場を豪華に装飾するんですよね? 私、今から見るのが楽しみなんです」
「ああ、今年から服飾協会のイベントとしてやることになったのよ。うちも主催者になってるわ」
「まあ、そうだったんですね。お嬢さまは当日、ノースバーグ様と一緒に見に行かれるんですか?」
「はあっ?」
涼しげに笑う商売敵の顔を思い出して、私は裏返った声をあげた。
なんでさらりとその名前が出てくるのだ。
「ちょっと、やめてよね?! なんで私があんなヤツと……!」
「え? まさか秘密だったんですか? でもこのところノースバーグ様は工房にも顔を出されるようになりましたし、職人達もすっかり顔見知りですし……もう皆が知っていますよ。お嬢さまとブランズハックのオーナーが恋仲だって」
出た! リリーの悪意なき爆弾発言!!
「違うわよ! 大体工房にも顔を出してるって何?! デザインとか技術とか盗まれたらどうするのよ! あいつは商売敵なんだからみんなもうちょっと危機感をもって――」
「そうは言いましても。旦那様が案内されていましたし、そもそもノースバーグ様は、そんなことをされる方には見えませんよ」
「……」
なんなのリリーのこの信頼感。
パパが工房案内?
あの商売敵は私の外堀から埋めていくつもりなのか。
苦虫を噛み潰したような顔になったところで、扉が開いてジルが入ってきた。
「お嬢さん、何すか、変な顔して……旦那様が呼んでるっすよ」
「ジル、ちょうどいいとこに来たわ。これ、あなたじゃない?」
いかにもこういういたずらをしそうな人物は、私の指さしたカレンダーを確認して「いや? 俺じゃないっす」と首を横に振った。
「仕事のカレンダーに何描いてるのよ」
「だから、俺じゃないっすよ。俺こんなに綺麗なハート描けないっす。奥様じゃないっすか?」
「ママがこんなもの描くわけないでしょ?!」
「じゃあ針子の子達っすかねぇ? 別にいいじゃないっすか。ハートくらい」
「良くないから聞いてるの!」
だってこれじゃ、まるで私がこの日を楽しみにしているみたいじゃない。
そんなこと勘違いされてたまるもんですか!
「お嬢さんはどうせイケメンオーナーとデートなんすから、細かいこと気にしなくても……」
「誰がデートなのよ?! ジルまでリリーと同じようなこと言って!」
「ええ? だって付き合ってるっすよね?」
「付き合ってない!!」
赤くなった顔で思いきり否定したら、何故かふたりの視線が生温かい。
「付き合ってないっすか……」
そういうことにしておきたいんだ、ふーん、みたいな副音声が聞こえてくる。
「違うのに……」
こんな誤解が生まれたのも、元を辿ればジェイドがみんな悪いのだ。
あの商売敵はメルトン以降、パパとすっかり仲良くなってお互いの店を行き来するようになった。
そして何かにつけて、私のところにも色んな誘いを持ちかけてくる。美味しいランチとか、勉強会とか、博物館の展示会とか、すごく美味しいランチとか。
つい昨日もうちにやって来て、遠方の国から届いた伝統織物のパターンを「うちのイメージには合わないけれど、ピースのデザイナー達ならうまく使ってくれそうだから」と惜しげもなく置いていってくれたばかりだ。
珍しい形の草模様は今、デザイナー達の間でちょっとした話題になっている。
競合相手のくせに、そうやって少しずつピースの中になじんできている商売敵をどう扱っていいのか、私だって困っているのだ。
「そうだお嬢さん、旦那様が呼んでるっす。裏の染め物小屋んとこで」
「はぁ……分かったわ」
むきになって否定すると余計に色んな副音声が聞こえてきそうなので、それ以上反論せずに私は書類部屋を出た。
リックコルドンの敷地は森に近く、工房の裏手には天然の小川が流れている。
染め物工房を持つピースには、欠かせない清流だ。
さらさらと冷たく流れる小川の横、芝生も青さを失った冬の庭にパパがいた。
地面に投げられた細長いひものようなものを、ひとりで引っ張っているようだ。
「パパ」
「ああヒスイ、こっちだ。来てくれ」
私に気付いたパパに小走りで近寄ると、その足下に見たこともないくらい長く黒い紐が、幾重にも重ねておいてあった。パパはどうやらこれの絡まりをほどいているらしい。
紐にはいくつもの丸いガラス細工がついている。お世辞にも綺麗とはいいがたい、変な飾りだ。
「パパ、これ何?」
「光球の束だよ、服飾教会から預かってな。イルミネーションというやつだ。見たことはあるだろう?」
「イルミネーション……ああ」
新年や感謝祭の時に中央広場に飾られる、ピカピカしたやつのことね。
「このガラス玉が光るの?」
「そうだ。光源には光の魔力が必要らしくてな。年末の寄付金のお礼といって、いつもは教会の神官やシスターたちが手伝ってくれるんだが……今年の聖ギビングデーは規模が大きいから、全部を光らせるには人手が足りないようなんだ」
その説明でピンときた。
「私が手伝えばいいの?」
「ああ、そうなんだ」
私は一応、生活魔法以上の光魔法が使える。
光魔法は敵を攻撃するには向かないけれど、光源として使うには十分役に立つものだ。イルミネーションを光らせたことはないけれど、話を聞いた限りでは手伝えるだろう。
「すまないが頼めるか?」
「もちろんいいわよ。別にすまなくないでしょ? 服飾協会のお仕事なんだから」
「ああ、まあそうなんだが……当日を仕事にしてしまったらかわいそうかと思ってな。お前もイベントを楽しみたかっただろうに」
その説明にもピンときた。
「ジェイドとは何にも約束してないからね?! パパまで変なこと言わないで!」
「いや、何も変なことは……」
「あたしは嫁になんか行かないんだから! 商売敵とは仲良くしないわよ!」
「……そうか」
困ったように笑うと、パパはしゃがみ込んでもう一度絡まっている部分をほどき始めた。
鼻息も荒く、その向かいにしゃがみ込んだ私も、同じように紐を手に取る。
「……だがな、ヒスイ。私はヒスイの気持ちが一番大事だと思っているんだよ。ジェイド君とのことは、家のことを気にせずに、自分の気持ちに正直に決めなさい」
「そんなこと――」
馬鹿言わないで、と怒鳴ろうとしたけれど、妙に寂しそうな横顔にそれ以上何かを言い返す気にはなれなくて。
結局「分かってるわよ」と小さく答えてしまってから気まずくなった私は、もくもくと手だけを動かし続けた。