21 勝負の行方
「うああああ……ダメ、この時間が一番緊張するの……!」
「お嬢さま、やめてください。私まで震えてきました……」
「ふたりとも、しっかりするっす。今からそんなんじゃもたないっすよ。もうちょっとで発表なんすから、リラックスして」
手を取り合って控え室の椅子に座り込んでいる私とリリーを、ジルが苦笑いで見下ろしている。
今日はメルトリック・メルトンの開催日。
王都は国外からも観光客が押し掛け、一昨日くらいからお祭りの雰囲気で賑わっていた。
メインの舞台発表も先ほど終わり、今は各ブランド、控え室で結果発表の支度が整うのを待っているところだ。
あと少しで運命の時間になる。
ステージに戻ってスポットライトを浴びるのは、どのブランドなのか……みんなの努力が実るかどうか、もうちょっとで決まってしまう。
ここでの結果はこの先の1年を左右する。毎年恒例とはいえ、私が緊張でガチガチになるのも無理はないと思う。
周囲では針子やデザイナー達が互いをねぎらいつつ、舞台発表の話に華を咲かせていた。
「アクアマリンのヘッドドレス、光の反射が綺麗でしたねぇ」
「海色のドレスはマーメイドで間違いなかったわよ。トレーンを引きずる度に波が返すようで、理想的な仕上がりだったわぁ」
「うちのテーマ、海の女神のイメージそのままだったもの。120%の完成度よ」
「そうよ、ブランズハックの大地の象徴には負けないわよ!」
「でもあのアースカラーの統一感、秀逸だったわ……」
「本当にねぇ……」
すり替えられたアクアマリンと盗まれたパーツ類は、マスグレイヴの隠し倉庫から発見された。
デザイン通り衣装を仕上げることに成功した私達は、晴れて作品を出品することが出来たのだ。
メルトンの舞台発表。近年はどのブランドも腕を上げてきていて、今年もまた一段と素晴らしかった。
遙か大陸の果てにあるという、神木をイメージしたブランズハックの幻想的なデザインを見たときも、ため息をもらしてしまったくらいだ。
あれは「勝てるだろうか」と自信が揺らぐくらいには素敵な作品だった。
でも私達のピースは、どのブランドにも負けるわけにはいかない。古くから続く、王都トップブランドの歴史と誇りにかけて。
コンコン、と控え室の扉を叩く音がした。
ジルが「はい」と開けると、執事らしい身なりの男が入ってくる。
「ノースバーグ家が執事、フレデリックと申します。ヒスイ・リックコルドン様、お休みのところ恐縮ですが、お話したいことがございます。こちらへご足労願いたいのですが、少々お時間をいただけませんでしょうか」
身なり通りきちっとした男は、礼儀正しく訪問の理由を説明した。
どこかで見た顔だと思ったら、ジェイドのところの執事か。
「かまいませんけど……」
「ありがとうございます、それほどお時間はいただきませんので。オーナー、お嬢様をお借りしてもよろしいでしょうか?」
向き直って頭を下げる執事に、パパはやんわりと答えた。
「娘の命の恩人からの誘いでは断れないな。ジェイド君に、今度は私とも飲もうと伝えておいてくれ」
「確かに承りました。感謝いたします……ヒスイ様、では主のところまでご案内いたします」
「あ、はい」
丁寧な所作で執事は私を連れ出した。
フレデリックと名乗ったいかにも仕事の出来そうな執事は、斜め前を音も立てずに歩いて行く。
「発表前の貴重なお時間をいただいてしまい申し訳ございません。ジェイド様がどうしても今お話しされたいと、わがままを言うものですから」
「はあ……あの人も発表を待っているところですよね?」
「ええ、結果が出る前にヒスイ様にお話したいことがあるそうなのです」
結果が出る前にって……何の話だろう。
心臓が落ち着きをなくしていくのは見ないフリだ。
メルトンの支度で忙しかったのもあって、あれからジェイドには会っていない。
あの日、商売敵の口から思ってもいなかった事実を聞かされたけれど、あまりにも色々なことがあった一日だったからか、全部夢だったんじゃないかとすら思っている。
廊下の先、通用口の扉を開けて執事は外に出るよう促した。
「どうぞ、ヒスイ様」
廊下が薄暗かったので、外に出た瞬間、昼間の光の眩しさに目が眩んだ。
明るさに慣れてくると、常緑樹の垣根と可愛らしい街灯が並んだ小さい広場が見えてくる。
宮廷のアーティストホールの裏手にこんなところがあったなんて、今まで知らなかった。
レンガ敷きの広場に一人立つ長身の人影が、こちらを振り返った。
「……では私はこれで失礼いたします」
礼儀正しい執事は、綺麗な礼とともに建物の中に戻っていった。
……このタイミングで呼び出されるってことは、メルトンに関係があるんだろうけれど。
「ヒスイさん、お呼び立てしてすみません」
すぐ目の前まで歩いてきたジェイドが微笑む。肩口から濃い藍色の髪がさらりと流れた。
くぅ……その少し首を傾げたポーズはやめて欲しい。この男はどの角度で人を見下ろせば一番格好良く見えるか、理解してやってるんじゃないだろうか。
「……用件は何?」
違う。そうじゃない私。
ここは「先日はありがとう」とか言わなきゃいけないところでしょう。
もう嫌な態度取る必要はないんだって、分かっているはずなのに。改められないのは何故?
「先日の後日談からお話しても?」
「いいわよ」
ジェイドはハンスが持っていた"商品"が、宮廷内で使われた毒物と一致して、芋づる式にデュポン公爵へと取り調べの手がのびていると説明してくれた。王都警察を含む宮廷内は今大変な騒ぎになっていて、あの王太子は大忙しらしい。
「おかげで悩みの種が一掃出来そうだと。ヒスイさんによろしく伝えてくれと言っていましたよ」
「そう……良かったわね」
そうは言っても、私、捕まっただけで何にもしてないんだけどね。
あの嫌な公爵もハンスと一緒に法の裁きを受けるのなら何よりだ。
「それで、先日お話した約束の件ですが……」
「ま、待って! 無効よ! それは無効っ!」
約束、の言葉にいち早く反応すると、かぶせるようにジェイドの言葉を遮った。そんな約束を持ち出されても困る。
いくら誤解が解けたからって、私は嫁に行くわけにはいかないんだから。
目下、この男に敵うところなんて私の中には見当たらない。
悔しいけれど商才から頭の良さから見た目まで全敗だ。そんな無謀な勝負にしらふで挑めるほど度胸は据わっていない。
青の会の時の私を止められるなら止めてきたいわ。
「ええ、無効で結構ですよ」
「えっ? いいの?」
また理路整然と何を言われるかと思っていたので、拍子抜けして答えた。
「私も出来れば商売の邪魔などしたくはないので。もっとまっとうな勝負であなたに認めてもらいたいと思っています。そこで、お願いがあるのですが」
「お願い……? な、なに?」
「もうあと数分で、今年のメルトンの結果が出ます。もし、うちのブランズハックが優勝したら……」
ジェイドはそこで、言葉を切って私の目を見つめた。
何だろう、心臓がすごい速さでリズムを刻んでいる。そんなに整った顔で真剣に見つめられたら、どうしていいか分からない。
「正式なパートナーとしてでなくとも構わないので……まずは私とお付き合いいただけませんか?」
「優勝したら……?」
「ええ、時間をかけてもあなたにちゃんと認めてもらいたいので。まずはそういう対象として見ていただけないかと」
私に勝ったら、付き合って欲しいってこと? ……ビジネスのために、そんなまどろっこしいことまでするのね。
ん? ちょっと待って。それって、ようするにピースが負けたらってことよね?
それは、うちに対する挑戦とみていいわね??
「いいわよ! 受けて立つわ! 絶対うちが勝つから問題ないもの! その代わり私が勝ったら……」
「何ですか?」
「ピースが勝ったら……」
どうしよう。何言うか考えてなかった。
「――私に……商売のこと、もっと教えなさいよ!」
突きつけた指の先。きょとん、とした顔のジェイドがいた。
うん、何言ってるんだこいつ、って思うよね。
私もそう思った。
「……なるほど、それも悪くないですね」
ぽつりと、ジェイドが呟く。
悪くないっていうか、なんか間違えた気がするのは気のせいかな……
「まっ、負けないからね!」
「ええ、私も負けませんよ」
ふたりしてそう言い合った時、建物の中から、わあああああ! と歓声が上がるのが聞こえた。
結果発表の時間だ。
ジェイドと私は建物を振り返って、小さく聞こえてくる司会の声に耳をすませた。
ごくり、とのどが鳴る。
『――今年度の優勝は……"大地の象徴"の……ブランズハックです!』
おめでとうございます! と響いたアナウンスに耳を疑った。
嘘……負けた?
負けた……ピースが。
この数ヶ月、頑張ってきた従業員のみんなの顔が次々と浮かんでくる。
肩を落としかけた瞬間。
『そして、同点で優勝を飾ったのは……"海の女神"のピース!!』
「「え?」」
ジェイドと私の声が重なった。
同点……優勝?
「ってことは……」
引き分け?
「引き分け……って」
勝たなかったけど、負けなかった。ってことになるんだろうか。
嬉しいけれど、悔しい。悔しいけれど、嬉しい。
なんだろうこれ。複雑な気分だ。
「……引き分けでしたね。残念です」
「そ、そうね。おあいにく様っ」
仕方なさそうに笑ったジェイドを勢いよく振り返ると、私は無意味に胸を張った。いや、勝ってないから威張るのおかしいけどさ。
大体、残念だと言う割に楽しそうなのはなんでなのよ? もっと本気で残念がりなさいよ。
そうじゃないと……ちょっと、傷つくじゃない。
何でそんな気分になるのか分からないまま「でも」と私は続けた。
「でも、か、かわいそうだから……友達にだったら、なってあげてもいいわ」
口をついて出てきたのは、そんなセリフだった。
「……友達?」
「そ、そうよ、友達。思ったより悪い人じゃなかったみたいだし、そのくらいなら許してあげてもいいわよ」
いや、なんで私上から目線?
友達って許すとかそういうもんだっただろうか。すごくおかしなこと言ってない?
「それは、光栄ですね」
くすくすと笑われて、何だか無性にいたたまれなくなった。
よくよく考えたら、私がこの男に譲歩する必要なんてあるんだろうか。
「では私も友達として、商売のことを教えて差し上げますよ」
「……それなんだけどさ」
ふと疑問だったことを思い出して、私は尋ねてみた。
「あの変な王子に、城勤め誘われてるんじゃないの? 本当にこのまま商人続けるの?」
「ああ、彼は大学時代の友人ですよ。誘われているのは確かですが城勤めの予定はありません」
「宰相に……なるんじゃないの?」
「なりませんよ」
「じゃあ、魔法士になるの?」
「なりませんよ」
あっさりと否定された。そんな馬鹿な。だって、あの氷系魔法。見たことないくらいすごい上級魔法だったじゃないか。あんな商人がいてたまるもんですか。
腕を買われて、頭脳を買われて、何が不満なんだろう。
私を嫁にしてブランズハックを拡大するより、そっちを選んだ方が絶対よくない?
「なんで? 宰相って、宮廷のトップでしょう? ならないの??」
「なりませんよ」
「どうして?!」
「意外なことを聞きますね……ヒスイさんは商人が好きでしょう?」
「へ?」
「私が宰相になっても嫁いでくれるというのなら、考えますが」
目が点になるって、きっとこういうことをいうんだろう。
「は? え??」
「あなたはきっと、商人を伴侶に選ぶだろうと思うので。私は商人のままがいいんです」
「はあぁ??」
待って。意味分かんない。それじゃまるで、宰相の地位よりも私を選ぶと言っているように聞こえるよ?
私を嫁に欲しいのは、野心とか、地位とか名声とか……ビジネスのためじゃないの??
頭の上に大きく「?」をつけたまま、涼しい笑顔を見上げる。
「……何言ってんの? 宰相だよ?」
「宰相の椅子に価値がないとは言いませんよ。ただ、私が欲しいものとは違うだけです」
伝えられた内容が飲み込めないでいると、伸びてきた手がそっと頬に添えられた。
その指の冷たさに、自分の頭にこれ以上ないくらい熱が上がっているのを自覚してしまう。
「私が本当に欲しいのは、あなたですから」
「ふ……ふぇえ?」
情けない声の後、はくはくと口だけが動いた。
私を見下ろすジェイドの視線から、目がそらせない――
「もうずっと前から……愛していますよ、ヒスイさん」
綺麗な笑顔で吐き出されたセリフに、飽和状態の頭が完全ショートした。
自分の頬がどれだけ紅潮してるか、鏡を見なくても分かる。
「友人、というのも悪くはないのですが……」
頬に流れた髪をすくわれて、見上げたらジェイドの顔がやけに近い。
というか、現在進行形で近付いてきていて……
ギリギリ唇にかからない頬に、私より低い体温が柔らかく触れた。
「?!」
完全に硬直した私を、至近距離から銀色の瞳が見つめていた。
「な、な、な……」
何すんのよ、と続けようとしたけれど、余計に熱の上がってきた頭はとうに限界値を超えた。
そんなことをする友達がどこにいるっていうのよ……!
「欲しいものは必ず手に入れる主義なので」
言葉を失ったままぷるぷる震える頬を、長い指がするりと撫でる。
「これからもあなたを手に入れるために、私は最善を尽くします」
「……っ」
「覚悟しておいてくださいね?」
色気たっぷりにそう微笑まれたところで、私はやっと頬に添えられた手を掴んで引きはがした。
「や、やっぱりナシ! 友達ナシ!! ほだされないんだからー!!」
真っ赤な顔で叫んだ私を、やっぱり意地の悪い商売敵が楽しそうに笑って見ていた。
ほだされるのは、時間の問題――。
お忙しい中、駆け足連載にお付き合いいただいた皆さま、大変ありがとうございました!
全ての読者さまに心から感謝の意を!!
(続きまして、企画の趣旨とは別に、後日談に移ります)