20 そんなの知らない
「――さん!」
……うるさい。
「ヒスイさん……!」
ちょっと、そんな近くから叫ばないで。
頭が痛いのよ。
ノドも痛いし、あちこちヒリヒリするし、目も開けたくないくらい気分最悪なの。
「アルフォンス! 魔法士はまだか!」
「もう呼んだ。すぐに来るから少し落ち着け。君らしくもない」
誰だろう……
周りがざわざわして、人がいっぱいいる気がする。
「救護班来ました!」
「こっちだ! 頼む!」
おでこにふわりと暖かい空気が触れた。
なんだか春の日だまりの中にいるようで気持ちいい。
頭が痛かったのも、ノドが痛かったのも和らいでいくみたい。
「良かった……顔色が戻った。礼を言うぞアルフォンス」
「礼ならば救護班の魔法士に言ってやってくれ」
「君、ありがとう助かった。ついでに申し訳ないが、そこの幻獣も手当してやってくれないか。怪我をしているんだ」
「承知いたしました」
……幻獣?
「しかしジェイド……君はいつからハンスとデュポンの関係を調べていたのだ? もしや僕が頼む前から色々と把握していたのじゃないか?」
何の話だろう。どこかで聞いたような名前だなぁ……
まだ夢の中のような気分で、ぼんやりと声に耳を傾ける。
「ハンスを調べていたのは2ヶ月くらい前からだ。マスグレイヴが一次審査を通ったと聞いて、貴族がバックにいることが分かったからな。他ブランドに圧力をかけている件で調査していたが、公爵との繋がりに気付くのにそう時間はかからなかった」
「ではハンスが例の商品を今日携帯していることは、どの時点で把握していたのだ?」
「把握していたわけじゃない。然るべき場所で奴を捕縛出来れば、持っていようがいまいがどちらでも良かった。例の商品が納めてある倉庫の所在は、もう突き止めてあるからな」
話している人の声に、聞き覚えがある気がする。
頭がはっきりしないせいで内容はよく分からないけれど、ところどころ聞いたことのある単語が聞こえてきた。
「君という男は……とことん根回しの良いヤツだ」
「早々に悪の芽を摘みたかったんだろう? 王太子殿は」
「それはそうだが、何故最初から話してくれなかった? 公爵と繋がっているのはマスグレイヴで間違いないと、僕が協力を要請した時点で分かっていたのじゃないか? 即座に捕縛するということも可能だったのだろう?」
「ハンスの商品が麻薬だと分かったのは、君に話を聞いてからだな。すぐに捕縛しなかったのは……ハンスが、ただ君に捕まるだけでは気が済まなかったからだ」
「……何だって?」
「この手で制裁を加えるまで、君に身柄を持って行かれる訳にはいかなかった。ハンスはピースを狙った。ヒスイを狙ったも同然だ。そして実際に倉庫を荒らし、彼女の心に傷を負わせた。これは万死に値するだろう?」
……んんん?
「だろう? って、君。そんな理由をよくも涼しい顔で僕に言えたな……恐ろしく個人的な私情に同意を求めないでくれるか。いつもの思慮深いジェイドはどこへ行った?」
「さあな。私は目的のためなら使えるものは使う主義だと、言っておいたはずだが?」
「うわ……開き直りおったな……」
待って。今ピースの倉庫が荒らされたって件で……
なんか、すごいセリフを聞いた気が。
「な゛――」
「おおっ、元気になったか幻獣。しかしすごいダミ声だな」
「彼女の飼っている愛玩幻獣だよ。可愛いだろう?」
「可愛い……そうだな、目を見なければ毛玉らしく可愛いと言えないこともない」
「な゛――」
あ、この声……ルーシーだ。
「……ルー、シー……?」
私はそこでやっと、乾いたノドから声を出すことが出来た。
重たい瞼を開けて最初に飛び込んできたのは、少し見開かれた銀色の瞳。
少しずつ安堵に緩んでいく表情が、やけに顔が近いな、と思う。
「ヒスイさん、良かった……気分は?」
「……ジェイド?」
ここ、完全に野外じゃない?
視点からして寝ている状態だと思うんだけど。なんで?
ふと、背中が温かいのに気付いた。
「え……」
意識がはっきりしてきたところで、片膝を立てたジェイドに抱えられているのだと理解した。
「きゃ……きゃああっ! ど、ど、どういう状況?!」
ガバッと体を起こして、危うくジェイドに頭突きしそうになりながら私はその場に立ち上がった。
「な゛――!」
ぼふっ、と柔らかい感触に包まれたと思ったら、視界はクリーム一色に染まっていた。
「ルーシー?」
毛皮から香った焦げ臭さに、一気に現実に引き戻される。
そうだ、私、地下牢で火をつけられて――。
「な゛――」
「……ルーシー、生きてる……」
まずその事実に涙がにじんだ。
いつものもふっとした感触に、ところどころ焼けて縮れた毛が痛い。それに気付いてまたツンと鼻の奥が痛くなる。
「良かった、どこも問題なさそうですね」
穏やかにかけられた声を振り返った。
意識を失う前に見た取り乱したような表情ではなくて、すっかりいつもの涼しい顔……
そうだ。ルーシーが私を助けに来てくれて、でもふたりして死にかけて。
この人が来てくれたんだ。
「……ジェイド、あの時の氷の魔法。あなたなの?」
呆けた顔で尋ねた。
まさか、本当にジェイドが助けてくれたんだろうか、私達を。
「ええ、ルーシーが場所を教えてくれなかったら間に合わなかったかもしれない。無事で本当に良かった」
「どうして……」
なんで、この男が私を助けるのだろう。
だって、この商売敵は――
「ハンスと手を組んで、ピースを潰したかったんじゃないの……?」
一瞬通っていった静寂の後、ジェイドがわずかに顔をしかめた。
「……誰がですか?」
「あなたが」
「…………」
無言で額に手を添え、下を向いてしまったジェイドを横から楽しそうな手がバシバシと叩いた。
「はははは! 傑作だなジェイド! もうあきらめた方が良いのじゃないか?!」
「……黙れ、アルフォンス」
お腹を抱えて笑う男には、見覚えがあった。
「あっ、あの時の不審者!」
ハンスの店の帰りに出会った、イケメンの不審者だった。
商売敵に救われて九死に一生を得たことよりも、この二人が知り合いだという事実に「?」が駆け巡る。
「改めまして、はじめまして美しいお嬢さん。僕はアルフォンス・G・ランヴェルセン。彼の無二の親友にしてこのランヴェルセン王国の第一王子だ。だがそんな身分にはかまわず気さくに話しかけてくれるとうれしい。ああ、先日言った彼女募集中なのは本当であるからして、可愛いお友達がいたら是非紹介いただけると二重にうれしい」
「は……?」
「アルフォンス? いつ彼女に接触したんだ?」
「それは企業秘密だ」
名乗られた身分に理解が追いつかず、口を開けたままふたりを眺めてしまった。
護衛らしき人達が周囲に神妙な顔で控えているのを見れば、高位な身分の人だってことは理解できた。
第一王子? そんな人が街なんか歩く?
親友? ジェイドと王子が??
呆けたままの私を楽しそうに見た後、ジェイドに向き直ったイケメンの不審者……もとい、王子は言った。
「しかしあれだな、今日の君を見ていたら妹とのことは諦めた方が良さそうだな」
わざとらしく肩を落としてみせる王子に、ジェイドが「分かってもらえてうれしいよ」と感情のこもらない声で答える。
「だが、もうひとつの件は諦めていないからな」
「それも諦めてくれると、私は心穏やかに過ごせるんだがな」
「そうはいかん。君には輝かしいトップの椅子が似合いだ。僕を支える宰相になると首を縦に振るまで、どこまでも諦めんぞ」
宰相?
宰相って、あの、宮廷の中で一番えらい、王様の次に権力のある、あの宰相……?
「さ、さ、さいしょおぉー?!」
「おお、そうなのだ、聞いておくれよヒスイちゃん。この偏屈な男は年下の美女には優しいのに、同い年の親友の誘いには滅法冷たいのだ。彼を心から必要としていると僕が訴えても一向になびいてくれないときた。ブロークンハートだろう?」
「え! 男が好きな人なんですか?!」
「んー、彼のことは怪しい肉体関係抜きで真剣に愛しているのだが、僕が好きなのはあくまで君のような可愛い……」
「アルフォンス、その口を閉じて彼女から離れろ。穢れる」
「ほら、聞いただろう? このムッツリは涼しい顔して本当はこんな感じの性悪男だから注意した方がいいとご忠告申し上げよう」
「そろそろ黙ってくれないか。せっかくお望み通りしっぽを捕まえたのだから、大元のネズミを一掃するためにこれからやることがあるだろう。いい加減仕事に戻れ」
ジェイドに背中を押されてその場から追いやられると、王子は「ではまた、今度3人でゆっくりお茶でもしようじゃないか」とウィンクして行ってしまった。
「騒がしい友人ですみません……ハンスは捕まりましたから、安心して下さいね」
ため息まじりにかけられた声に、長身の顔を見上げる。
私と視線が合うとジェイドは困ったように笑って続けた。
「私はマスグレイヴとは何の協定も結んでいない、とだけ弁明しておきたいのですが、信じてもらえるでしょうか」
「……そうなの?」
「商売の神に誓っても良いですよ。私があなたを害するわけがありません」
静かな銀色の瞳は、嘘を言っているようには見えなかった。
彼が私とルーシーを助けてくれたのは事実だ。でも。
「だっ騙されないから! だって、今まで散々私の邪魔してきたじゃない!」
それだって事実だ。急に信用なんて出来るわけがない。
「それは、あなたとの約束があったからですよ」
「……約束?」
「そうだろうとは思っていましたが、青の会の時の約束、やはり覚えていないのですね」
約束って……?
誰が誰と、何の約束したって?
「あの時既にかなり酔いが回っていましたから、無理もありません。私もあなたが頑張っているのを近くで見るのが楽しくて、つい確認を失念していました」
「それ、なんの話……ふぇっ」
へくしょっ、と私の口からクシャミが出て話の流れが止まった。
なんだか肌寒い。そう言えば後何時間かすると夜明けだったわ……
ジェイドはコートを脱ぐと、流れるような手つきで私の肩に回しかけた。自分のものとは違う重量感のある暖かさに、小さく心臓が跳ねる。
「城の魔法士に治癒魔法をかけてもらいましたが、いつまでもこんなところに立っていると風邪をひきますね。送りますから、帰りながら話しましょう」
「……あ、うん」
ジェイドは私の肩に手を回すと、馬車の待つ方へと歩き出した。
一瞬「こいつは商売敵」と心の中で呟いたものの、気遣う優しい手が何故だか悪い気はしなくて。
思わず寄りかかりたくなってしまったのは、きっと疲れすぎていたせいだ。
帰り道。ジェイドが説明してくれたのは、色んな意味で開いた口が塞がらなくなるほど衝撃的な内容だった。
まさか、私の方から妨害上等と啖呵を切るほどの喧嘩を売っていただなんて。
まさかまさか、この商売敵に結婚のための条件を出していたなんて。
パパがジェイドのことを褒めていて気にくわないって話まで、お酒に酔った勢いで本人にぶつけてしまったとは……!
私の行く先々で邪魔をしていたのは、そういうことだったの?
嫌味としか思えなかった商品講義や、私のうかつなところへの指摘も全部、約束あってのことだと分かった。
オマケに、本気で妨害したことがあるのはそのまま成立するとピースが困ることになる、怪しい商談だけだったという事実も。
……実は助けられてた?
いちいち説明されれば腑に落ちることが多すぎる。
それにしたって、嘘でしょ?
私はずっと「くっそ性格悪い商売敵」だと思っていたのよ?
「まさかハンスの仲間と思われるまで敵視されているとは思いませんでした……これでも頑張っていたのですよ」
そう言われて、どちらかというとすっかり約束を忘れていた私の方が悪かった気さえしてきた。
がっくりうなだれて、心身共に疲弊した状態で家に着いた。
こんな夜中に何故か鍵のかかっていない玄関をくぐる直前、「いや、このまま帰っちゃだめでしょう」と思い直し、ジェイドを振り返る。
まだ分からないことがあった。
なんでこの人は、そんな馬鹿馬鹿しい約束の為に1年以上も私につきまとっていたんだろう。ピースを自分のブランドに取り込みたいとか、何か商売的な利得があるんだろうか。
そう思いながらも、視線が合ったら聞くのがためらわれて。
かろうじて「なんか……色々、ありがとう」とお礼を言えた私に「どういたしまして」とジェイドは答えた。
玄関の取っ手に手をかけたところで、反対の手首を軽く掴まれて引き留められた。
「ヒスイさん――」
振り返ると、引き寄せられた指先に唇が寄せられて。
そっとキスが落とされた。
「ゆっくり休んでくださいね」
微笑んだジェイドに、残っていた平常心は死んだ。
(……な、な、なに? え、貴族の挨拶??)
向き合ったのは、私の「なんで?」に答えるような優しい銀の瞳だった。
その目を見て、彼の言葉を聞けば聞くほど動かしがたい本当のことが分かってしまう気がして。
恥ずかしさのあまり、あわてて手を引っ込めると身を翻して玄関に飛び込んだ。
後ろ手に閉めた扉の音よりも、自分の心臓の鼓動がうるさく聞こえる。
帰ってきた安堵なんて、どこかに飛んでしまっていた。
「どうしよう……」
こんなの反則だ。
ほだされてしまうかも、しれない。