2 決戦に向けて
朝、寝返りを打とうとしたところで、もふっとした感触に目が覚めた。ルーシーに埋もれて寝ていたらしい。
体を起こすと、上から見覚えのないオリーブ色のブランケットがかけてあった。
誰のものかはすぐに分かったけれど、持ち主の姿はもうない。
「……帰ったのかな?」
昨晩はあれから、ジェイドと2人で遅くまで商売の話をしていたはずだ。
でもいつ眠ってしまったのかはよく覚えていない。
普段私が宝石やドレスの話をし出すと、家の人間は生温かい目で「また始まったよ」的な雰囲気を醸し出すのに、ジェイドは実に根気よく聞いてくれた。
それどころか彼は、自分が独自に学んだ商法について惜しげもなく教えてくれたのだ。
顧客ロイヤリティを上げる具体的な方法。
適切なアプローチで収益増加につなげる方法。
その他商法的な裏技の数々まで、事細かに話して聞かせてくれた。
理想論というだけじゃなく、未来へのビジョンがしっかりとある、説得力のありすぎる話を聞いて思った。
ジェイドは顔と学歴が良いだけじゃない。商売人としても一流だ。
なんというか、ものすごい敗北感だった。
「どうせ私は気合いだけで突き進んでるわよ。マーケティング戦略についてはパパや店のブレイン達に丸投げよ。悪かったわね」
そう毒づくくらいしかできない私を見ながら、ジェイドはずっと楽しそうで。
ふと気づけばやたら近い距離に、無駄に緊張してしまったのはナイショだ。
さらに言えば、意外と話せる奴なんだと認識を改めてしまったことも、もちろんナイショだ。
気にくわないことに、パパはジェイドのことをよく褒める。
私のことはあまり褒めないくせに、彼のことは手放しで褒めるのだから気に入らない。
でもそうね、パパの言っていたことは合っている。ジェイドはすごい。
まあ、そんなことは口が裂けても言わないけどね!
あの男が商売敵であることに違いはないから!!
外に出ると吹雪はすっかり止んで、お日様が顔を出していた。
もう目の前だった隣国には難なく到着して、目的の取引先を訪問することが出来た。
ここは新しい取引先だった。最近王都でも有名な宝石商で、グレードの高い商品を他よりも安値で取り扱っている。
今回私がここを訪れたのは、うちとの取引を始めるにあたって契約書を交わしにきたから。
店主と最終的な打ち合わせをして、合意の署名捺印を済ませる。
すぐにでも取引を始めようということで、私は来月末に行われるファッション祭典の話を持ち出した。
「なるほど、メルトリック・メルトンの参加作品ですね」
商売人らしい鋭い眼光の店主が、頷いて答えた。
「ええ」と私も頷いて返した。
メルトリック・メルトン。
それは年に一度行われる、王都の一大イベント。
ファッション界最大のイベントと言っても過言ではない。
王都中から服飾メーカーが集まり、各ブランドがこぞって推しを売り込む一夜限りの華々しい祭典。
セレブ貴族達が次の流行を追う場でもあり、宮廷の芸術家達が選ぶトップ・ブランドに輝けば、名実ともに王都一のブランドとなれる。
もちろんうちのピースは受賞常連ブランドだ。
「今年のテーマは『自然の美』ですから、うちは海のイメージで青を基調としているんです。それでヘッドドレスに、前回カタログで見せていただいたアクアマリンを追加したくて」
祭典に出品予定のドレスが描かれた原画を見せて説明すると、店主はトン、トンと指で他のアクセサリー類を示して見せた。
「それは良いですね。揃いでこちらのネックレスとバングルの大きさもご用意出来ますよ。加工に少々お時間をいただきますが、今日選んでいただけるのでしたら、2週間後にはお届けしましょう」
「本当ですか?! ありがとうございます!」
とんとんと商談がまとまり、目的のひとつだった良質な宝石を確保することに成功した。
道中の予定が多少狂ったとは言え、今回の仕入れは結果的に順調だ。あきらめて帰ったのか、あれからジェイドの邪魔も入らなかったし。
自分の仕事をちゃんとこなして、両親に吉報を持って帰れることがうれしかった。
何を隠そう、今回のこの仕事は私にとって初めての契約なのだ。
パパとふたりでこうして出かけることはあったけれど、単独でこんな遠くまで来て商談をするのは初だった。
任された初仕事は、うまくいったと思う。
それは自信になったし、すごくホッとした。
私はそんな満足でウキウキな気分のまま、帰路についた。
王都に帰ってからは、両親にうまく交渉できたことを褒めてもらい、新しい材料を提供してくれる協力者を得てきたことを工房のみんなに報告した。
「やるじゃないすか、お嬢さん」
「お嬢さま、宝石差し替えですって?」
デザイナーや針子達がわいわいとやって来て、すぐに私の周りは賑やかになった。
「そうなのよ~、アクアマリンのSグレードが手に入ったのよ~!」
「マジですか?! 今はめっきり手に入りにくくなったからあきらめてましたけど、ギリギリ間に合いそうじゃないですか!」
「そうなのそうなの」
「お嬢さんえらい!」
「もっと褒めて!」
工房が併設している家の一階は、いつも従業員や商人が出入りしていて賑やかだ。
小さい頃からこの雰囲気に慣れて育ってきた私が、宝石や服飾の世界が大好きになるのは必然だったと思う。
私と同じくピースを愛している職人達に可愛がられ、絶えず触発され、私は育ってきた。
だからみんなを含めて丸ごと、私はピースが好きなのだ。
ちなみに、私にデザインセンスはない。
針子としても到底使える腕じゃない。
出来ることと言えば裏方の仕事だけだというのに、それについても修行中。
今はパパがオーナーとして経営を担当しているけれど、その仕事はいずれ私が引き継いでいく予定だ。
家族とも言えるみんながピースを守り立てていけるように、私は商人として陰で尽力するのよ! と意気込んでいるのだけど。
目下、営業と目利き以外では役に立っていないので、商売のあれこれについてはもっと真剣に学んでいかないとダメなんだろうなぁ、と痛感している。
「じゃあここの珊瑚を控え目にして……」
「こっちのチュールはこのままいこう」
ひとしきり喜んだ後、真面目な顔で修正の打ち合わせをはじめた職人達を見て、思わず笑みがこぼれてしまう。
曾々々々おじいさまからの代が築き上げた、一家のブランド。
うちのピース。
次代は私が守ってみせるのだ。
メルトリック・メルトンの祭典はもうすぐだ。
去年はブランズハックに負けた。その前は同列1位。その前はピースと、ほとんど交互に賞を取っているけれど……
祭典が始まってから、28戦12勝4引き分けの今年。
トップブランドの栄冠は必ずピースが獲ってみせる!
ブランズハックにもその他にも、絶対に負けないわよ!
私は固い決意を胸に、ひとりグッと拳を握りしめた。