18 消えた宝石 ☆ジェイド視点
フレデリックからその報告を受けた時、一歩遅かったと己の甘さを悔やんだ。
もっと早く、せめて今朝の内に彼女に護衛をつけておくべきだったのだ。
「確かに公爵の屋敷を出たのか、彼女は」
ヒスイの居所が分からないという事実に、焦りが湧き上がる。
「はい、間者の話では馬車で公爵の屋敷に赴き、ハンスと邸内に入ったということです。金銭と引き替えにメルトン参加を辞退するよう持ちかけられ、交渉は決裂。まもなくヒスイ嬢だけ屋敷を出られたと。その後、徒歩で街を歩いている姿を複数の人間が確認しています」
「では、帰宅途中になにかあったか……」
自宅には戻っておらず、王都警察が来ていると言う。
王都警察が絡んでいる以上、公爵、いやハンスの差し金には違いないのだ。
彼女に何が起こっている――?
「お待ちくださいジェイド様、間者から連絡が入りました。繋ぎます」
フレデリックが握っていた小型通信機のスイッチを入れて、口元に近づける。
「私です。詳細は分かりましたか?」
『――王都警察は家族に説明がてらの事情聴取に来たようです。護衛対象は三番街の雑貨店において窃盗の疑いがあり、身柄を拘束されたとのこと』
「窃盗……ですか?」
『盗品は小物だそうですが、事情を聞こうとしたところ暴れて抵抗したために通りかかった兵士が魔具を使って捕縛し、王都警察本部へ連行したとのことです』
「では現在は勾留中であると?」
『はい、本部である城へ向かう護送馬車を確認しています。兵士の説明によると、明日取り調べを行うまでは勾留するということでした』
フレデリックが判断を促すように、私の目を見た。
「ヒスイが窃盗など、馬鹿げている。公に拘束の口実が欲しかっただけだ」
「はい、おそらくは」
「明日まではと期限付きであるところも憎らしい。そのくらいの時間であれば、すぐさま抗議に乗り込もうとする家族を足止めすることも出来るだろう」
「……ヒスイ嬢を拘束した目的は、再度の交渉をするためでしょうか。それとも……」
「そうだな、もし再び彼女が断った場合……口止めということも考えられる。ハンスがどういう対応に出るか、考えたくもないな」
ヒスイの性格上、何度持ちかけられたところで汚い裏取引などに応じないことは明白だ。
「では」
「急ごう。アルフォンスに連絡を取る。王都警察内であれば私も手が出せない。彼の力を利用させてもらうしかないだろう」
「そこはせめて、力を借りる、と仰ってください」
そこからは全てがもどかしかった。
逆の立場ならいざ知らず、夜間、王宮内にいるアルフォンスに連絡を取ることは容易ではない。
あらゆる伝手を使って王宮内の侍女とコンタクトを取り、内々にアルフォンスへ「例の件で至急連絡を取りたい。兵を動かすことは出来るか」と直筆の手紙を送った。
焦る気持ちを抑えながら待ち、しばらくすると王宮の護衛兵が暗闇に溶けるような黒い馬車でやって来た。侍女がうまくやってくれたのだろう。
「お連れするように仰せつかってきました。どうぞ」
フレデリックには別行動するよう指示を与え、私は馬車に乗り込んだ。
王宮までの道を馬車が駆け始める。リックコルドン家の屋敷が見える通りに入ったところで、その方角を見やった。もう深夜と呼べる時間だが、邸内には灯りがついている。
王都警察は帰ったろうが、あの両親や従業員達はさぞかしヒスイの身を案じていることだろう。胸の痛いことを考えながらその場を通過しようとした時、疾走していた馬車が急激に速度を落とした。
相当な勢いで停車したため座席から転げ落ちそうになったが、何とか堪えて御者に繋がる前方の連絡窓をぴしゃりと開ける。
「どうした?」
「も、申し訳ありません! 道の真ん中に大きな生き物が飛び出してきて……!」
うろたえた御者の見ている先、月明かりに照らされたクリーム色の丸い塊が見えた。道の真ん中で進路を塞いでいる。
「あれは……」
ヒスイの幻獣だ。
私は馬車の扉を開けて外に出ると、クリーム色の毛玉に近付いた。
羊に似た柔らかい毛並みを撫でてやりたいところだが、今は遊んでいる暇などない。
「ルーシーと言ったか。そこを通してくれないか……急いでヒスイのところに行かなくてはいけないんだ」
「な゛ー」
幻獣は私を見るとモフモフと体を揺らしながら道の端に避け、進路を譲った。
「良い子だ。お前の主はきっと連れて帰るからな」
「な゛ー」
私が乗り込むと、馬車は再び走り出した。
人通りのなくなった街中を遠慮なく駆け、まもなく王宮に到着する。
打ち合わせてあるらしく、馬車は兵士用の通用口から静かに王宮内に入り込み、直接厩舎について止まった。
「ご案内します、どうぞこちらへ」
御者の護衛兵が開けてくれた扉から外へ出ると、馬車の隣に馬車と同じくらいの大きさの毛玉が座り込んでいた。
「な゛ー」
「ルーシー……ついてきたのか?」
馬車についてくるとは、さすが乗用幻獣だけあって足が速い。「追いかけて来てしまったようです」と護衛兵は困り顔だ。
「主が心配なのは分かるが……お前は目立ちすぎる。いいか、私が戻るまでこの厩舎でおとなしくしていろ。王宮に幻獣が入り込んだとなれば間違いなく捕まるか、始末されるぞ」
手を伸ばして耳の後ろを撫でながら、私は忠義な幻獣に言い聞かせた。
「な゛ー」
分かったのか分からないのか不明だが、ダミ声が返された。
いつまでもこうしているわけにはいかない。私はルーシーをその場に残し、護衛兵の案内に従って王宮の奥へ進んだ。
入り組んだ道を通り中庭に出ると、動きやすい軽装に身を包んだアルフォンスの姿があった。護衛兵らしき男達が数人、周りを取り囲んでいる。
「殿下、夜半に申し訳ございません」
声をかけると、アルフォンスは首を横に振った。
「ジェイド、ここにいるのは融通の利く僕の忠臣ばかりだ。遠慮はいらない。まどろっこしい喋り方はやめて、用件を話してくれたまえ。何が起きた?」
「捕り物に、付き合ってもらいたい」
私の一言に、彼は意外そうな顔で顎を撫でた。
「それはもしかすると例のしっぽのことか? いくら君とは言え、少しばかり対応が早過ぎやしないか?」
「ハンスが城に入ったと、先ほど間者から連絡があった」
「ほう、公爵閣下と夜に紛れて楽しい闇取引ときたか。だが今この時間に、デュポンが城に滞在しているとは聞いていないぞ」
「公爵と会うのじゃない、ヒスイが捕らえられているんだ。王都警察に勾留されていると聞いた。彼女がどこにいるか分からないか?」
「何? 何の話だ?」
「ハンスは勾留中のヒスイのところへ行った可能性が高い。早く見つけないと彼女が危ない」
私は要点をかいつまんで手短に事情を話した。
彼はすぐに、王都警察の留置所にヒスイが捕らえられていないか、確認のための兵士を回してくれた。
「本部に個人を捕らえておくための留置所はそう多くない。すぐに見つかるさ、安心しろ」
しかしアルフォンスの言葉通りにはならなかった。
つぶさに調べてきたという兵士達は戻ってくるなり、全員が首を横に振った。
「いない……? ヒスイは城に捕らえられているのではなかったのか?」
「ジェイド、彼女は本当に城にいるのか?」
「王都警察に連れて行かれたのは確かだ。目撃者も、城に向かう護送馬車も確認されている。他に人ひとり勾留出来そうな場所はないのか?」
「その条件だけで言うのなら城内には腐るほどあるだろう」
「なるべく人目に付かないようなところだ。王都警察しか出入りしないような場所で、そこで何かあっても公爵の力でもみ消せることが条件だ。ないか?」
「いくつか心当たりはあるな……ちょっと待て」
アルフォンスが難しい顔で考えを巡らせていると、私のポケットの中から鈴のような音がした。
フレデリックからの通信連絡だ。
「――私だ。何か見つけたか」
『はい、間者と合流し、ハンスが本日使用していた馬車を確認しました。私も今城の近くにおります。場所は王都警察の通用門から東方面へ少し進んだ林の中。ハンスは既に中に入ったようで、今は御者が一人、主人の帰りを待っています』
「やはりここに来ていたか……すぐそちらへ向かう。待機していろ」
『御意』
ハンスはどこかに捕らえられているヒスイのところへ向かったのだろう。
「それで、どうするんだ? ジェイド」
「決まっている。捕り物だと言ったろう」
私達は数名の護衛兵を連れて王都警察の通用門近くにいるという、フレデリックの元に向かった。
林の中に、ひっそりと隠れるようにして馬車が駐まっている。
一人呆けて主人の帰りを待っている御者の男を、手早く拘束した。
「ハンスはどこへ行った?」
「お、オーナーは……城の中へ……どこへ行ったかまでは分かりません!」
フレデリックが真っ青になった御者の懐から、小型の通信機をつまみ出した。
それを横目に、私は続けて尋ねた。
「お前、ハンスと付き合いは長いのか?」
「は、はい?」
御者の男は訳が分からない顔で聞き返してきた。
「ハンスのところで働いて、長いのかと聞いている」
「いえっ、私は公爵様のところの下働きで……ここにお連れするようには言われましたが、マスグレイヴのオーナーとお会いしたのは今日が初めてで……!」
「なら声では判別がつかないだろう。かけろ、フレデリック。場所を聞いて呼び戻せ」
「御意」
すぐに通信が繋がる。低い声が応えた。
『私だ』
「――オーナー、公爵様の間者から連絡がありました。先ほど、王都警察本部にアルフォンス王太子殿下が姿を現したそうです。今どちらに?」
『何?』
今どこにいるかという質問にハンスは返答しなかった。御者が追求するわけにもいかないだろう。フレデリックは最低限の会話で、ハンスに帰還を促した。
愚かな小悪党は『すぐ戻る』と返答した。
通話が途切れる。
「申し訳ありません、現在地が確認出来ませんでした」
「いや……仕方ない。戻ってくるのを待つしかないだろう」
そう返したものの、胸の内が嫌な焦りで満たされるのを押さえることが出来なかった。
今この瞬間にも、彼女が危害を加えられるのではないかと思うと、焦燥感で胸がしめつけられる。
彼女は何ものにも変えられない私の希望だ。
万が一にでも、その命を失うことなどあってはならない。
どうか無事であってくれと。神など信じない己が祈るような気持ちになってしまうのを、笑うほどの余裕もなかった。
時間にしてわずかだったのだろうが、ハンスが姿を現すまでの間が永遠にも感じられた。
ハンスが通用門をくぐろうとした瞬間、護衛兵達が一斉に躍りかかった。
あっという間に捕縛され、取り押さえられる。
「王太子の兵か!」と叫んだ口から、罵る言葉が次々と飛び出した。
「――くそっ、何故ここに……お前がアルフォンス王太子か?!」
ハンスは怒りで顔を歪めたまま、アルフォンスを睨み上げた。
ふたりがかりで腕を捕られ、その場に力尽くで跪かされる。
「こんばんは、ハンス・グレイヴティ君。僕のことは知っているみたいだね? 実は君に聞きたいことが――」
アルフォンスが話し始めるのを遮って、私は前に出た。
見上げた憎しみの視線が、私の視線と絡んだ瞬間、ハンスは小刻みに震えだした。
その額から玉のような冷や汗がにじみ出てくるのを、蔑んだ目で見下ろす。
「時間が惜しい。ヒスイはどこにいる? 答えろ」
「ぐ……あ、く、苦し……」
「お、おいジェイド」
隣からアルフォンスが私の肩を掴もうとして、弾かれたように手を引っ込めた。
私の特性である闇の魔力が彼の手をしびれさせたからだ。
漏れ出ている力が、睨む相手の呼吸を困難にさせる程には頭に血が上っていた。
今なら向ける憎悪の念だけで人を殺せそうだ。
「ジェイドやめろ! 殺す気か! その男には聞きたいことが山ほどあるのだぞ?!」
「答えろ」
アルフォンスを完全に無視した低い声に、ハンスは恐怖の表情を不気味な笑みに変えた。
「へ……は……は、はは……」
「答えろと言っている」
「そんなに……大事か……? たかが女ひとりが……」
「不要な問答をすれば殺す。答えなくとも、殺す」
「ジェイド! やめろ!」
制止を聞くことなく、私は黒い魔力をハンスに浴びせ続けた。
「もう遅い……あのお嬢さんなら……今ごろ、火の海の中を泳いでいるさ……」
そう吐き出した後、狂ったように笑い始めたハンスに、本気でその心臓を潰してやろうと思った瞬間。
「な゛――――!!」
聞き慣れたダミ声が、辺りに響き渡った。
「な゛――――!!!」
ダミ声はものすごい速さで近付いてくると、一瞬で私達の前を通り過ぎて行った。
護衛の兵とアルフォンスが目を丸くして見送る。
「な、なんだあの生き物は?」
ヒスイの幻獣だ。
「アルフォンス! あの方向には何がある?!」
「――今はほとんど使われていないが、野党などを集団で勾留するための地下牢が、あるな」
聞き終わらないうちに、私は幻獣の後を追って走り出した。
間に合ってくれと、祈りながら――。