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17 大切な主と主の大切なもの ☆フレデリック視点

 メルトンの開催も押し迫った、とある日の午後のこと。


「ハンスは昼過ぎから人目に付かない裏手で、こそこそと馬車の用意をしているようですぞ」


 見張りに付けていた間者が、中途報告のため仕事部屋に姿を現した。

 どこにでもいそうな老年期の男。少し腰の曲がった彼の実年齢は分からないが、与えた仕事は確実にこなしてくれる貴重な裏の従業員だ。


「そうですか。外出の予定がある、ということでしょうか」


 私が返すと、そうだというように頷いた。

 昨日から彼を見張りにつけているマスグレイヴの本店には、臨時休業であるにもかかわらずオーナーのハンスが来ているらしい。


 ハンスは昨日ピースの一人娘に接触した。

 メルトン関係で何かしらの圧力をかけるためだろうと予想はつく。

 だとすれば、こちらにも何らかのアクションがあって良いはずなのだが、今のところその気配はないようだ。

 喧嘩を仕掛ける相手を選べるほどには、頭の回る人物ということか。


「ご苦労様でした。引き続きターゲットの監視を頼みます。馬車で外出した際は彼を追えますか?」

「へい、小型で取り回しのきく馬車を一台用意してますから、問題ないです」

「分かりました。あと通信機を携帯してください。いちいち報告に戻ってくるのは大変ですし、時間が惜しい。数が足りなければ手配しますが」

「持ってはいますが、どうにもその通信機ってヤツは操作が苦手で……使った方がいいですかね?」

「そうですね。こちらから発信することもあるので、そうしてもらえるとありがたいです」

「承知しました」


 小柄な間者の男はそれだけ言うと、音もなく部屋の扉から出て行った。


 私の名はフレデリック・レオバルト。

 大体執事の家系で、父もこのノースバーグ家で長いこと執事を務めていた。


 自分の屋敷を持たず、近しい親戚もいない私にとって、このノースバーグ家が我が家も同然だ。

 母は私が幼い頃に他界した。先代が馬車の事故で亡くなった際に同乗していた父も、もうこの世にはいない。

 当時まだ執事という仕事を学んでいる途中の、学生だった私を拾い上げてくれたのがジェイド様だ。

 行き場のなかった私を雇ってくれたことには恩義を感じている。


 しかしそのこととは関係なく、私は主に忠誠を誓っていた。

 知性と商才に溢れ、強く完璧で、それが故にどこかで歪んでしまった子供時代を修復できないまま大人になってしまった主を、私はどこまでも支えたいと思っている。


 若くして……いや、幼くしてと言った方がいいか。12歳という年齢で事実上、ブランズハックのオーナーになったジェイド様は、日々ポーカーフェイスで仕事をこなしていた。

 表面上は何も問題は無いという素振りであったものの、その小さな肩が負うには過重な負担だということは誰の目にも明らかだった。

 だがジェイド様にはなまじ能力があった為に皆が頼らざるを得ず、誰もそれを止められなかったのだ。

 何者も頼れない、己が家を守るのだと、主が影で歯を食いしばっているのに気付く瞬間は辛かった。


 それが変わったと思えたのは、御年16歳くらいからだろうか。

 言葉遣いが柔らかくなり、ふとした瞬間に笑うことが増えた。


 そんな主の変化を私はとても喜ばしく思っていた。何が主をそう変えたのか。

 挙動に注意を払い、その視線を追っていればさほど苦労もなく答えは出た。

 笑みがより柔らかくなるのは、一人の少女を見ている時だった。


 どういう経緯で彼女に凪いだ感情を持つようになったのかは不明だったが、救いになるものを見つけた主の姿にホッとしたものだった。


 そしてつい1年ほど前のある日、主は私を呼んで言った。

「お前には言っておこうと思う」と。


「――あらたまってどうされましたか?」


 私は淹れ立てのコーヒーカップをデスクに置くと、傍らに立って問いかけた。


「……欲しいものがあるんだ」

「ラグバロックの鉱山でしたら、買収の目処が立っておりますが?」

「いや、そうじゃない。仕事の話ではなく、プライベートなことなんだ」


 珍しく歯切れの悪い主に、私はピンときた。


「リックコルドン家のお嬢さまのことですか?」


 ぴくり、と肩を揺らすとジェイド様は横目で私を見上げた。


「……何故分かった?」

「おや、見くびられたものですね。伊達に10年以上あなた様を観察してきてはおりませんよ」

「私は観察対象か」

「ええ、とても興味深く、大切な主ですので」


 穏やかに微笑んで返すと、ジェイド様は気まずそうにそっぽを向いた。少しだけ子供っぽい仕草に感情の緩みを感じて、心が温かくなる。


「しかし……どのように手に入れるおつもりなのですか? 正直なところピースとうちの関係性を考えれば容易なことではないと思われますが」

「約束をしたんだ。彼女と」

「約束、ですか」

「商売で私には敵わないと……彼女が認めてくれたら、パートナーとしても認めてくれると」

「それはまた……曖昧な判定基準ですね」


 聞きようによっては、永久に認めないつもりだといえないこともない。

 そんな賭けに乗ったのか。この冷静な主が。


「それで最近、ピースの仕入れ状況や従業員のことを調べるように仰っていたのですね」

「そうだ。参りましたと言わせるために、商売の妨害でも何でもしてこいと言われたんだよ」

「……まさか、本気で妨害なさるおつもりなのですか?」

「するわけがない。だが彼女が多少困って、今のやり方では私に潰されずともいずれ同じことだと、悟らせる必要はあると思っている」


 主の言葉に、なるほどと思った。

 ピースのブランド力は、その歴史と、誠実さにおいて王都一と言って良い。

 確かな品質と流行に左右されすぎない「良いものを作る」という確固たる信念を持っているのは評価出来る。

 だが時に、馬鹿正直なやり方としか思えない商売をしているのも見かけた。

 これまではそれでも良かったのだろうが……

 今の王になって、王都ランヴェルセンは諸外国の文化が入ってくることに忌避感を持たなくなった。

 ここ15年ほどの間に、王都は随分と変化した。


 外から次々と新しいブランドが入ってきている今、もはや「老舗」の看板だけでは色あせて見えることを否定出来ない。

 ブランズハックはジェイド様の先見の明により新しい施策や商品を生み出し、変化の波の最先端にいる。だがその流れに乗ることの出来ないピースの業績は、この2~3年ほどの推移を見る限り思わしくなかった。


「敵方に救済の手を、ということでしょうか……?」

「馬鹿な。商売は慈善事業ではないよ」


 だが、と主はデスクの上に組んだ自分の手に視線を落とした。


「このままピースが商戦の場から去って行くのを、ただ見ているのは忍びないんだ……彼女が家業を守り立てたいと奮闘しているのを、夢で終わらせたくない」


 随分と普段の主からは乖離した感傷的なセリフのように思えて、だからこそ真実の思いなのだろうと理解できた。


「しばらく様子を見ながら、何か上手い方法がないか考えてみたいと思っている」

「ご多忙のところ、さらに仕事を増やすおつもりなのですね」

「学業がなくなったのだから、そのくらいの余裕はあるさ。アルフォンスを負かす楽しみがなくなったのは残念だけれどね」


 ランヴェルセン王室、王太子であるアルフォンス様はジェイド様の学友だ。

 王族らしい凜としたタイプというよりは大変ユニークな方で、あの方が友人としてジェイド様と懇意にしているのは、類は友を呼ぶというほかない。



 アルフォンス様のことを思い出したところで、私は意識を昔の記憶から現実に引き戻した。


 ジェイド様はこの数日、そのご友人と厄介なことに首を突っ込んでいるようで、昨日はアルフォンス様自らがノースバーグ家を訪れた。

 元からメルトンがらみでマスグレイヴの動向を調べてはいたが、そこからはオーナーのハンスを24時間監視するように指示が下った。商戦と言うよりは何かきな臭いものを感じる。

 アルフォンス様からの依頼が絡んでいるらしいが、私もまだ詳細を聞かされていない。


「――フレデリック、そこにいるか? フレデリック」


 すぐ隣の書斎からかけられた声に「はい、ここにおります」と答えてドアを開けた。


「御用でしょうか」

「例の男に何か動きはあったか?」


 ペンを置いて主が尋ねる。


「本店は臨時休業のようです。馬車で出かける支度があるそうなので、追跡するよう伝えてあります」

「そうか、公爵のところに行くようなら商談内容が何か確認したい。見張りにつけている間者は魔力持ちか?」

「緑札ですが、"聞き耳"の特殊能力を持っております」

「よし、その間者が帰ったら私も報告を聞こう」

「かしこまりました」


 用件が済んだかと思いきや、まだ何か言いたそうな主を見て、そちらが本題かと私はその場に留まった。


「時に……やはりヒスイの方にもひとり、間者をつけたいと思っているのだが」


 ぽつりと提案された内容は、おおむね予想通りだった。


「無断で他家のご令嬢に護衛をつけるとなると、あまり尋常でない気がしますが」

「先日の倉庫荒らしの件もある。万が一に備えての警戒だ」

「心配性でらっしゃいますね、ジェイド様は」

「ハンスは目的のためなら手段を選ばない非道な人物だ。ピースに圧力をかけるのなら、ヒスイが一番狙いやすいだろう」

「仰る通りです。では、間者を1人派遣いたしましょう」

「ああ、頼んだよ」


 話は済んだとばかり、再びペンを握った主に内心ため息がもれた。

 つい先日も、ヒスイ・リックコルドンが「はじめてのおつかい」に行くからと、まるで心配性な父親かという過保護ぶりを発揮したばかりだ。


 メルトンを前にして、マスグレイヴが他ブランドに干渉し始めていたとはいえ、隣国へ商談に行く彼女の後を自らが追うと聞いたときは、正直頭が痛かった。

 明確な危険はないと判断して、最後までつけ回さずに帰ってきて下さったのは良かったが、この主ならもっとうまく立ち回れるはずなのに、と思わざるを得ない。


 最近の主を見ていると、保護者のような気持ちで見守っていた期間が長すぎて、恋愛感情を拗らせてしまっているのではないかという気すらしている。

 だがそんな姿すら微笑ましいと思ってしまう私も、どうかしているのかもしれない。


「……なんだ?」


 口元の緩んだ私を見て、主は不可解そうに眉をあげた。


「いえ、御用は以上でしょうか」

「ああ、間者の手配を急ぎ頼むよ」

「かしこまりました」


 書斎を出た私は自分の部屋に戻り、本棚の一画を探った。

 奥から出て来た通信機を手に取る。特殊なコードを入力して、繋がった先はノースバーグ家専用の裏窓口だ。

 護衛対象を伝え、すぐにリックコルドン家へ向かうように指示する。

 現地に着きターゲットを確認出来たら、いつも通り間者本人から一度連絡がくる手はずになっていた。


 しばらくして、派遣した間者から連絡が入った。


『護衛対象ですが、外出しており行き先が不明です。捜索しますか?』


 ヒスイ・リックコルドンが不在だという連絡だった。

 大方例のレース探しなのだろうが……行き先の見当もつかず闇雲に捜すのは悪手だ。ひとまず待機して帰宅を待つように告げた。


 その後またしばらくして、ハンスにつけていた間者から連絡が入った。

 公爵の屋敷で「とある商品」に関する商談が行われ、商品受け渡しの日時などが決められたという。

 そしてその商談の前に、ハンスに連れられてきたヒスイ嬢に向けて、メルトンに関する取引が持ちかけられたらしい。

 彼女はそれを断ってひとりで帰った、という報告だった。


 私はリックコルドン家で待機している間者へと連絡を入れた。

「護衛対象はじきに家に戻るだろう。そのまま待て」と。


 その日の夜。

 ヒスイ嬢の護衛に向かわせた間者から、また連絡が入った。


「護衛対象は未だ帰らず。現在、王都警察がリックコルドン家を訪れています」と。

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― 新着の感想 ―
[一言] 王子とジェイドの出会い、面白かったです。王子様いい性格してますね。これは将来が有望です。そしてジェイド、絶対宰相向いているのに、宝石が欲しいから……。悶えます。ヒスイちゃんが知らないところで…
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