16 我が素晴らしき友人 ☆アルフォンス視点
中庭の方からやって来た女の子3人組が、後ろを振り返りながら「きゃあきゃあ」と華やいだ声を上げて通り過ぎていく。
すれ違った僕が視界に入らなかったのか、彼女たちはそのまま建物の中へ入っていってしまった。
「……ふむ」
僕の存在が目に入らないほど、魅力的な男があちらにいるということか。
そんな人物の心当たりは、王都大学広しと言えどひとりくらいだ。
彼と言葉を交わしたことはないが――。
次の講義までは時間がある。気まぐれに僕は中庭へと足を向けた。
外廊下を外れ、小さい噴水のある広場へ足を踏み入れたところで、ベンチに座って本を広げている当該の人物を見つけた。
女性が羨みそうなサラサラ長い藍のストレートヘア。静かに光る銀の瞳。
端正な顔立ちは一見冷たそうに見えて、知性的だった。年は僕と同じ19歳。
専攻が違うので講義が重なることも殆どないが、彼の存在はいつも目に付いた。
その大きな理由は王都大の学生全員が受ける、年に二度の総合学力試験にある。つい先日も結果が貼り出されたばかりなのだが……
1位 ジェイド・ノースバーグ(経営商学部)
2位 アルフォンス・G・ランヴェルセン(国際文化学部)
3位 ……
僕の名前はいつも彼の下にある。
そう、この男の下に。
「こんなところで読書か? 君にもまだ勉強することがあるのだな」
そう声を投げれば、表情を変えずにジェイドは本から面をあげた。
「……学ぶことは尽きないと言えれば良いのだろうが、この本の内容も頭に入ってしまった今、次の講義までの時間をどう潰そうかと考えていた」
これが、嫌味な男の第一声だった。
本人に嫌味の自覚がないところがまた憎々しい。
「私に何か用か?」
「いつも僕の上にいる目障りな男の顔を見に来た、と言えば納得するか?」
僕はやや好戦的に、反問した。
「いや、君は私に喧嘩を売りに来たわけではないだろう、2番君」
「……僕が誰だか知っているのか」
「知らぬわけがない、この国の王太子なのだから」
「それでその態度か」
「不敬罪になるだろうか?」
「いや、それはないが、少々驚いたぞ」
僕に接するとき、人は皆分かりやすい態度を取る。
顔色を窺い、不興を買わないようにし、下手に出て僕を持ち上げようとする。
自分から希望して入った大学ではあるが、周囲に同じ立場の学生として見てもらえることはなかった。そうでなくとも気楽な会話など、無縁だった。
ジェイドは僕の驚きを知ってか知らでか、「あれは、学生を代表して君が挨拶を述べた式典の時だったか」と続けた。
「学内では自分が王太子であることは一切忘れて欲しい、同列の立場として接してもらえるとありがたい、そう君は言ったな」
「……おお」
「私の記憶違いか?」
「――言ったぞ、確かに言った。だがあれを真に受けてくれる学友は皆無でな」
「だろうな。もしや洒落の一種だったか?」
「いや、心底本気発言だったのだが」
「そうか。予想通り面白い男のようだな、君は」
その感想に僕は頬をひくつかせた。
本を手持ちのカバンにしまったジェイドに会話を切り上げようとする気配を感じて、僕は前に立ちふさがった。
「待て待て待て、君に面白い男呼ばわりされるのは甚だ不本意だぞ。何故僕よりも異質感漂う学力モンスターに"面白い"などと評されなければいかんのだ。その評価は熨斗つけて丁重にお返ししたい」
「私はそう面白い人間ではないよ、買いかぶりだろう」
「はあぁ? 何故そうなった? 己の評価はしっかりと受けとめたまえよ。競争の原理に当てはめて考えるのなら僕より君がモテるのは必然だろう。だがどうにもシャクに触るという話なのだ」
僕の言葉に一瞬押し黙ると、ジェイドは切れ長の目をすっと細めた。
「……何故そう思ったのか、説明が必要じゃないか?」
「君に夢中になるあまり、婦女子が3人、僕をスルーしていった」
「……それで?」
「学力からモテ度から僕が君に劣るとなれば由々しき事態だ。全く面白くない。だが僕は君が嫌いではないらしい」
「……だから?」
眉間にシワを刻んだ顔を、愉快に眺めながら僕は言った。
「かくなる上は、僕の友人になる気はないかね? ジェイド君」
そう、僕はすっかりこの男が気に入ってしまったのである。
それからというもの、少々迷惑そうな顔をするジェイドの行く先々に顔を出し、無理矢理親交を深めてきた。
在籍期間中、学力でただの一度もジェイドに敵わなかったことはもう悔しいと思う気持ちすらない。我が友人は最強で最高なのだから仕方が無い。これは開き直りというかもはや信仰心に近い。
そして卒業後も僕達の交友関係は続いた。
卒業した年、新年を迎える王宮のパーティーに、僕は彼を招待した。爵位のないジェイドだが、高位の貴族に混ざってもその立ち居振る舞いは見劣ることがない。やはり彼は一流だ。
僕はそこで、ずっと考えていたことを口にした。
「ゆくゆくは僕の側で、宰相として働いてくれないか」と。
ジェイドは初めてすまなさそうな顔を作ると「それも楽しそうだが、期待には応えられない」と言った。
「何故だ? 君が商人であることを否定はしない。ブランズハックの価値も認めるところだ。しかし君が本当は心の奥底で、知略の限りを尽くした仕事に携わってみたいと思っていることを知らぬ僕ではないぞ。何が足枷だ?」
「それを足枷というのなら、ひどく居心地の良い足枷ということになるな」
苦く笑うジェイドが折れることはなくとも、僕とて簡単に諦めるわけにはいかなかった。
「君にはこの国を支える人間であって欲しいのだ」と言葉を重ねた。
ジェイドは十分にその器であるし、何より僕は彼という友人が好きだった。
彼と共に仕事がしたい。隣で僕を助けてくれるのならこんなに心強いことはない。くだらぬ愚直な思いであるからこそ、それは伝わっているはずだ。
だが彼は首を横に振った。
「……すまない、アルフォンス」
「僕には……分からん。君がそこまで商人にこだわる理由が……爵位が要らないのか?」
「爵位が無価値だという気はない。だが、それ以上に商人の立場を捨てる訳にはいかないんだ」
「何故だ? 理由を教えろ」
「――欲しい宝石があるんだ」
彼の口から出た説明はたった一言で。
その意味不明さにそのまま言葉通り解釈してはいけないと思ったものの、意図するところは分からなかった。
「どうしてもそれを手に入れたいと、気付いたんだよ」
「それは……商人でないと手に入らない宝石なのか?」
「ああ」
「君が欲しいと望んで、手に入らない宝石などあるのか?」
「そうだな……正直難しいだろう」
「ほう――」
うやむやにされた気がしないでもなかったが、決意の固いジェイドを見て、その時の僕は引き下がった。
城では働かないと言った割に、友人は僕の仕事を影からよく手伝ってくれた。
その中で分かったことは、彼は魔力量でも僕の上を行くという事実と、どうしても手に入れたいと言った宝石が、商家の可愛らしいお嬢さんだった、という真実だった。
「悪いけれど、護衛が必要なほど弱くないの」
某日。
そう勝ち誇ると、彼の宝石は路地の向こうへと消えて行った。
ヒスイ・リックコルドン。
『ブランズハック』と並ぶ王都トップブランド『ピース』のひとり娘。魔法使いとしては第2階層に位置する、青の札の持ち主だ。
炎の色からして、特性は光と火か。気の強い子は嫌いじゃない。
いや、さすがに親友の思い人に手を出す気にはならないが。
公爵とつるんでいらぬ商品を売りさばこうとしている小悪党、ハンスの店に様子を見に来たところで思わぬ人に出会ってしまったものだ。
僕は周囲をもう一度見渡して不穏な気配がないか窺う。
今日のところは何もなしか――。
「だが、ジェイドには伝えておいた方が良いか……」
『マスグレイヴ』のオーナー、ハンス自らが彼女に接触をもったのだ。
このまま何もなく終わるとは思えない。
僕はふらりと足をノースバーグ家へ向けた。
そろそろと、少し離れて護衛達がついてくる気配に小さなため息をもらす。
宮廷には様々な職種の人間が働いているが、皆が皆、この護衛達のように忠義に厚い人間というわけではない。
そしてそんな不忠義者の中に、裏社会での動きが活発になっている男がひとり。
王都警察の責任者、デュポン公爵だ。
彼は元よりあまり頭の良い人物とは言えない。コツコツ努力して今の地位を手に入れたというよりは、親の七光りと、軍人として多少腕が立つことから出世した人物だ。
苦労を知らないせいか、世の中の大抵のことは自分の思い通りになると思っている節がある。
なまじ各方面に影響力を持っているせいで、目に余るところがあっても見過ごされるか、もみ消される。
国王である父もそのことは薄々分かっているのだろうが、決定的な不正の証拠でも掴まない限り彼には手を出せない。
叩けば埃が出ることは間違いないので、王都警察風に言うならば「何とかガサ入れにこぎつけたい」と僕は常々思っていた。
だからデュポンが、新進の服飾ブランドから袖の下を掴まされて色々口を利いてやっている、という情報を仕入れた時にはしめたと思えた。
そのブランドもなるほど、長いものに巻かれるのが上手いタチだということが調べて分かった。
そして「麻薬」という新しい商売を、この国で流行らせようとしていることも。
末端から攻め込むには申し分のないほつれだ。
メルトリック・メルトンの参加ブランドであればジェイドにも関係があるだろう。ふたつ返事で協力を約束してくれた友人は頼もしく、僕は近いうちにこの問題も片が付きそうな気がしていた。
いや、きっとそうなることだろう。
出来れば、ひとりの犠牲者も出さずにすませたいものだが――。