14 彼女との今にいたる訳 ☆ジェイド視点
夜会用にあつらえた濃紺の燕尾服に身を包み、私は馬車から降り立った。
夏の終わりに開催される毎年恒例の夜会。
上級魔法を扱うことの出来る第2階層の魔法使いと、貴族が一同に会する社交場。
通称を「青の会」という。
16歳の時に出席したきりだから、実に7年ぶりの参加ということになるか。
公爵の邸宅へ入ってすぐ、会場内にヒスイの姿を見つけた。
ホールの隅にひとり浮かない顔で立ち、司会者の声も耳に入っていないようだ。どこだか分からない場所を見て、時折小さなため息をもらしていた。
胸元の開いた夜会用のドレスが見慣れなくて、何故だか心が波立つ。
王都警察の責任者でもある公爵の長々しい挨拶が終わると、メイド達が運んでくる飲み物を各々が手に取った。
「未来ある青の魔法使い達に、乾杯!」
公爵の声で、皆がグラスをあおった。
ゆったりとした音楽が流れ始め、すぐにざわざわと人が動き始める。立食式のパーティーなので、雑談を交えつつ食べ物のテーブルに向かう者が多い。
人混みに紛れてしまったヒスイを探そうとしたところで、ぽんと肩を叩かれた。
「やぁ、ノースバーグの。青の会に参加とはどういう風の吹き回しだい?」
「おや、本当だ。君が来るとは珍しい」
そう言って話しかけてきたのは貴族の跡取り達だ。
「たまには顔を出しておきませんと。日頃不義理にしているものですから」
「ははは、そうだな。君はどちらかと言えば付き合いの良くない方だものな」
商売以外で夜会の場に積極的に出て行かない私を見つけて、各方面から人がやってくる。
挨拶を交わしてはたわいもない世間話をし、いたずらに時間が過ぎていった。
やっと一通り顔合わせが済んだかと思えば、パーティーは予定の半分ほどの時間が過ぎていた。
私はヒスイを捜した。まだ帰ってはいないはずだ。
「……あ」
いた。金色のゆるやかなウェーブが、庭園に張り出したテラスの入口付近で揺れている。
(あれは……)
すぐ側に立っているのは、今日一番に挨拶を交わした侯爵家の3男坊だったか。
彼は馴れ馴れしくヒスイの腰に手を回すと、ふたりでテラスへと出て行った。
その光景に胸がざわめいた。あの男は女性に関していい噂を聞かない。
人波を縫ってテラスに近付く。庭園にも多少人が出て賑わっていたが、ふたりの会話は聞こえてきた。
「今度一緒にディナーに行かないか」
「ディナーですか?」
「ああ、良い店を知っているんだ」
軽薄な誘いの文句に、胸の内に生まれた正体不明の不快感がさらに広がる。
「お互いを知る時間を、もっと作ろうじゃないか」
男がさりげなく彼女の肩を抱いて、自分のほうへ引き寄せる。
傾いた顔が身長の低い彼女の顔に近付いたところで、私は背後から声を投げた。
「――失礼、マルギス殿。向こうに貴殿を捜されているご婦人がおられましたが……もうお会いになりましたか?」
思い当たることが多すぎたのだろう。
彼はすっと身を引くと「ああ、ノースバーグじゃないか。誰が私を捜していたって?」と、ヒスイの肩に置いていた手も引っ込めた。
「お名前は存じ上げませんが、大層美しい方でした。一言お伝えしておこうかと……」
名前どころかお前の恋人だということも知っているが、教えてやる義理もない。
「そうか、ありがとう。ヒスイ嬢、今日はこれで失礼するが、また後日に連絡しよう」
ヒスイは3男坊の言葉に、ぼうっとした表情で「はい」と答えた。
一瞬、邪魔をしてしまったのではないかと考えた。だが、止めない選択肢はなかった。
彼女に何をしようとしたのか。あの男の恋人の前で問い詰めてやりたいくらいだ。
……不愉快極まりない。
ヒスイは私の存在などないかのように、テラスの柵にもたれかかって景色を眺め始めた。
邪魔者がパーティー会場に消えたところで、彼女の隣に立った。
「こんばんは、ヒスイさん」
声をかければ「……あー、あなた……」と眠そうな目で見上げられた。
自分の目線よりも下、頭ひとつ分違う彼女の背丈は、隣に立つとやはり小さく感じる。
「『ブランズハック』のジェイドでしょう? パパがいつもあなたのこと褒めるから知ってるわ。何々? 私に何の用?」
「いえ、人のことは言えないのですが……珍しいところでお会いすることもあるものだな、と……」
ピースのオーナーが私を褒めていたというのは初耳だったが、今はそれをよく考えることまで頭が回らなかった。
「青い札を、手に入れられたのですね」
自分の声がかすかにこわばっているのが分かった。
彼女の口から「やっぱりお城に行くことにしたのよ。その方がいいに決まってるでしょ」などという言葉は聞きたくない。
だが、確かめずにはいられなかった。
何故緑の札ではなく、青い札を……城の魔法士として、確実にスカウトが来るだろう認定をもらったのか。必要ないと、そう言っていたはずなのに。
「そうよ。青い札……」
そう返した彼女の真意が、小さい声からは読みとれなかった。
私は言葉を変えて再度尋ねた。
「緑ではなくて、青い札を選んだのですね」
理由を知りたい。
どんな理由があれ、このまま真実を知ることなく、彼女が城に行ったなどという話は聞きたくなかった。
「……選んだ? 違うわ。本当は緑がもらえるはずだったの……」
「……と、言うと?」
「だから、失敗したの」
失敗とは、どういうことだ?
「クシャミのせいよ」
「……はい?」
「仕方ないじゃない、風邪気味だったのよ! あの時、クシャミがでなければ数値が上がらないまま終わってたはずなのに……つい力が入っちゃって……!」
……クシャミ?
それが、理由?
「……では、やはり緑の札をもらうつもりでいたのですか?」
「当たり前じゃない! それがなんでか青い札に……しかもパパが『挨拶をかねて最初くらいは参加しないと失礼だ』って言うからこんなところにまで来る羽目に……! もう! 私のバカバカ!」
予想外の答えに一瞬思考が停止しかけたが、すぐに肩の力が抜けた。
「……ふっ」
「あっ、笑ったわね?!」
「ふ……はは、ははは。ああ……すみません。ホッとしたら何だかおかしくなって。ふふっ」
「私は真剣に落ち込んでるのに嫌な人ね?!」
本気で怒った彼女に「すみません」ともう一度謝る。
「大丈夫ですよ、あなたはもう自分で選べる年だ。面倒ごとは増えるでしょうが、城からスカウトが来ても断ればいいだけのことです」
「当たり前よ、即断るわよ。私はピース以外には行かないんだから」
口をとがらす彼女に、自然笑みがこぼれた。
変わらない言葉に、安堵が広がっていく。
この人の真っ直ぐな答えは、いつも私の心を凪いだものにしてくれるのだ。
「あとね、城だけじゃなくてお嫁にも行かないわよっ」
バン、と手すりに両手を打ち付ける彼女のセリフに、違和感を覚えた。
「……先ほどの男に、何か言われましたか?」
「ケッコンを前提にお付き合いしましょうって言われたわ」
どくん、と心臓が嫌な風に揺れた。
そうか、もうそういう年頃なのだ。
貴族に見初められたとしても不思議ではない、人形にも似た端正な顔立ち。魅力溢れる女性的な曲線を改めて眺めてしまい、実感が湧いてきた。
彼女はもう少女ではない。
そんなことはとうに分かっていた。
だがそのことを再認識して動揺しているのは、何故だ。
幼いときから見てきたヒスイの姿は、変わらない内面とは裏腹に大きく変わっていた。
そこに立っているのは、ひとりの美しい女性だった。
「それで……何と答えたのですか?」
乾いてきたのどから、そう言葉を絞り出した。
「婿に来てくれるのなら考えてもいいって」
それは普通なら貴族相手に言うセリフではないだろう。
しかし侯爵家とはいえ、3男坊ならあり得ないことではない。
「でも失礼しちゃうのよ『それはちょっと無理かもね』って言うのよ」
「ああ……まあ、そうでしょうね」
結婚か。
そうだな。彼女は誰かを婿に迎えて『ピース』の跡を継ぎ、商売を続けていくことになるだろう。それがおそらく、彼女の望みでもある。
夫となった男に変わらない笑顔を向けて、幸せに暮らしていくに違いない。
ちくり、と何かが胸に刺さった。
気持ち悪い何かを飲み込んでしまったかのように、途端に胃が重くなった。
(……?)
そのことを、許容出来ないと考える自分がいる。
急激な焦りとともに、自分の奥から湧き出した「誰にも渡したくない」という言葉に、自身で驚いた。
(馬鹿な……)
これは嫉妬か?
私の中にそんな気持ちがあるわけがなかった。しかも、彼女に対して。
今までに女性から好意を向けられたことは一度や二度ではない。中には成り行きで交際を始めた相手もいた。
しかし私は彼女らの誰にも特別な感情を持てなかった。
だから自分は、誰かを愛するなど出来ない人間なのだろうと思っていた。
だがしかし――この、誤魔化しようのない気持ちは、間違いなく……
「――ヒスイさん」
気付けば彼女の名を呼んでいた。
私は幼い頃から論理的に思考する習慣が身についている。そう育ってきた。
だから冷静に状況を見回した時に、明らかに無茶だと思えるようなことを実行するはずがない。
感情だけを先行して、言葉にするなど。
「私では……駄目ですか?」
愚かだと知っているのに。
「ダメって、何が?」
全く意味が分からないという顔で聞き返す彼女に、言葉を重ねる。
「婿になれるかどうかはともかくとして、私はあなたのパートナーになれないでしょうか」
「……はあ?」
「あなたがピースのオーナーとして仕事をしていくことを妨げないのなら、私はあなたの相手にはなり得ませんか? 貴族よりもよほど商売のことを分かっていますし、資産もあります」
「ええ? ちょっと待って、あなたブランズハックのオーナー……じゃなかった?」
「そうですよ」
「……意味分かんない」
正直なところ、私自身がそう思う。
だがもし、それが叶うのなら。
「……分かったわ! 私を騙してピースを潰そうってつもりでしょう?!」
ああ、確かに。
彼女からすれば親しくもない商売敵の私からいきなり交際を申し込まれれば、そういう思考にも辿り着くか。
「騙してなどいませんよ」
「いいわ! 受けて立つわよ!」
「いえ、ですから……」
この流れはまずい。ここで愛の言葉など囁こうものなら、完全に詐欺師扱いされるだろう。
やはりもう少し考えてから口にするべきだった。
「そんなに言うのなら正々堂々と勝負よ!! 私を『参りました』と言わせられるなら嫁に行ってやるわ!」
「……え?」
「うちの妨害でもなんでもしてみなさいよ! 絶対に負けないんだから!」
薄赤く染まった頬でそう勝ち誇る彼女に、軽く頭痛がした。
それは――違う気がする。
「商売の妨害は、さすがにどうかと……」
「何? 私と勝負出来ないって言うの?! あなたになんか負けないわよ! 私の方がすごいんだってパパに認めさせてやるんだからー!!」
ああ……そういえば、先ほどオーナーが私を褒めていると言っていたか。
だとしたらこれは、本気で私に敵対心を抱いているということになるのか?
「……私が、あなたに勝てば良いのですか?」
「そうよっ」
「あなたが私に敵わないと、そう認めてくださったらパートナーとしても認めてくださると?」
「そうよっ」
「……分かりました」
本意ではないが、そういうことなら仕方がない。
「ふふふ、楽しみねっ! あなたより私の方がすごいって、パパに……」
そう言って歩き出そうとしたヒスイが、変な方向によろけた。
さっと手を伸ばして、倒れ込む前に支える。
「ヒスイさん? 大丈夫ですか?」
「あれぇ? おっかしいわねぇー、地面が揺れてるー」
私に体重を預けたまま、彼女が笑う。
まさか。
「もしかして、お酒を飲みましたか?」
「んー? うん、飲んだわー。かんぱーい! ってしたでしょ? その後で赤いのと-、白いのとー……」
指折り数える彼女の姿に、またも頭痛がした。
ヒスイはアルコールに弱い、と新しい情報を脳内にインプットする。
この状態では、はたして今私と交わした約束を覚えていられるかどうか……
「ジェイド、私と勝負よー」
目の前に突きつけられた指に苦笑した私は、そのまま彼女を家まで送っていくことになるのだった。