13 悪いことは続くもの
深夜の地下牢には音がなく、黙ってこれからのことを考えていると気がおかしくなりそうだった。
腕時計のおかげでかろうじて時刻が分かるものの、ずっと同じ明るさしかないこの場所は時間の感じ方を狂わせる。
取り調べとやらはいつあるんだろう。
明日になったら出られるだろうか。
私は無実だと、ちゃんと訴えなければ。
(早くここから出たい……)
パパやママが、きっと心配してる。
今すぐにでも家に帰りたい。
トイレに行くと言って逃げだそうかとも思ったけれど、階段までは距離があって、走ったところで簡単に捕まってしまいそうだった。
それに、あの上がどうなっているのかもよく分からない。
そうこう考えているうちに、身元がバレていることも分かってしまった。
そうなれば、もう逃げるという選択肢はなくなった。
(どうして、私が泥棒だなんて……)
正解がないまま考えを巡らせる作業は、ただ疲れるだけだった。
衣装はレースを除いて仕上がっただろうか。アクアマリンをつける予定の飾りはジル達の手によって完成したろうか。
そんなことばかり考えながら、外の状況も分からず時間だけが過ぎていく。
(のど乾いたし、お腹空いたな……)
こういうの、監禁とか軟禁とかいうんじゃないだろうか。
心身共に疲弊したところで、取り調べという名の尋問があって、何を答えても有罪にされるのかもしれない。
そんなほの暗い考えが浮かんだ。
座るところがそこしかないので、簡易ベッドの上で膝を抱えて顔を埋める。
どうしよう、これからどうすればいいだろう。
しっかりしろと自分を叱りながらも、肺の奥からため息がもれた。
カツン、カツン……
誰かが階段を下りてくる音だ。
見張りの交代時間だろうか。そう思っていたら足音は段々近付いてきて、私のいる牢の前で止まった。
顔を上げて、そこに立つ人物を見た。
「……あなた……!」
ガバッと立ち上がると、私は鉄格子の前に走った。
「ハンスさん……?!」
「こんばんは、ヒスイさん。昼間ぶりですね。たった半日で何だかやつれたように見えますが、ご機嫌如何ですか?」
変わらぬ紳士的な笑顔で挨拶するハンスに、なんとも言えない気持ち悪さが広がる。
「ご機嫌良い訳ないでしょう?! 何故あなたが来るの? ここは王都警察なんじゃないの?!」
「ええ、れっきとした王都警察の、犯罪者を拘留しておくための城の地下牢ですよ。地上には処刑場なども併設しています。何人かをまとめて収容する牢なので広いでしょう? 今はあなた専用のホテルといったところでしょうか」
のんびりと答えると、ハンスは「さて」と世間話の口調のまま切り出した。
「再度の取引といたしましょう。あなたがそこから出られるか、出られないかの瀬戸際ですから、よく考えてから返答くださいね」
「……なんですって……?」
「メルトンへの出品を諦めてください。そうすれば、窃盗の一件は間違いだったということにして、そこから出して差し上げます」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
何故、王都警察でもないハンスにそんな権限があるのか。
「お忘れですか? 私の背後にはデュポン公爵閣下がおられます。彼は王都警察のトップですよ」
その一言で、全てが腑に落ちた。
そうだ、確か青の会であの公爵の顔を見たことがあった。王都警察のトップで責任者……
だから、こんなことが可能なのだ。
罪をでっち上げて人を牢に放り込むようなことが。
「信じられない……! 卑怯者!」
「どう思われようとも結構ですよ。さあ、どうなさいますか? よほどの馬鹿でなければ、この状況でどう返答すれば良いか分かると思うのですが」
「……冗談じゃないわ! 正々堂々と、商品で勝負してきなさいよ……!」
「何故そんなことをしなくてはいけないのか、私には理解出来ませんね。生来お金や力で解決できることは手っ取り早く済ませたい性格なものですから」
ふつふつと溜まっていくこの感情を嫌悪と言うのなら、売りさばけるほどありそうだった。
こんな理不尽なこと、我慢ならない。
「もう一度聞きます。これが最後だと思って下さい」
ふっと、笑みを深めてハンスが言った。
「メルトンへの出品、特待枠での舞台発表、どうなさいますか?」
「……何とかしてやるわよ。倉庫を荒らされたって、牢屋に入れられたって……あんたの思い通りになんか、なるもんですか」
「おや、倉庫の件もちゃんとご理解いただけていたのですね?」
「これだけされて、そうじゃないと思う方がどうかしてるわ!」
「なるほど、そうですね。では、交渉は決裂ということで、よろしいですか?」
「一昨日来やがれ、よ」
「……残念です」
その時、ハンスのスーツの胸ポケットから、不思議な音が鳴り始めた。
不吉な警戒音に聞こえて、私は眉をひそめる。
ハンスは灰色に光る金属の塊を取り出して、ふたつ折りになっていたそれを広げると口に近づけた。
持ち運び用の通信機だ。
「私だ」
『――オーナー、公爵様の間者から連絡がありました。先ほど、王都警察本部にアルフォンス王太子殿下が姿を現したそうです。今どちらに?』
「何? こんな夜中にあの王子が……? 尋常ではないな……何かかぎつけられたのか?」
『分かりませんが今は本部の中央棟にいます。じきにこちらにも来るかもしれません。至急お戻りいただいた方がよろしいかと』
「ああ、分かった。すぐ戻る」
『お待ちしております』
ぶつり、と通信が切れた音がした。
ハンスは元通り通信機をしまうと、私の方に向き直った。
「お聞きの通り、私は戻らなければなりません。そして困ったことに、少し風向きが怪しくなってきたようですね」
そう言うと、ハンスは肩に提げていた大きな皮バッグの中から重たそうな何かを取り出した。
異様に大きい四角い水筒……いや、タンク――。
上部についているキャップをひねって、フタを開ける。
「今は大事な商談がまとまった時期でしてね。私も閣下も、王宮に余計な詮索を入れられたくないんですよ」
傾けたタンクの口から、茶色く透き通った液体が流れ落ちた。
「そういう訳で、少しでも情勢が不利になりそうなものは排除しておこう、というのが共通の意見でして。素直に分かったとさえ言ってくだされば、こんなことをしなくてもすんだのですがね……」
「こんなことって……何、してるのよ……」
「ああ、承知したフリをしてここを出てくださっても良かったんですよ? メルトンに参加したところで、ピースは当日に大恥をかくだけですから」
くくくっ、と気味の悪い笑いがハンスの口から漏れた。
「大恥? どういうこと?」
「参加作品に使用するアクアマリンは、貴石であると証明書付きで出展するでしょう? それが偽物だと分かったら、老舗トップブランドとしては致命的な汚点になりませんか?」
「……偽物?」
「ええ、即席にしては色も形も、大変よく出来ていたと思いますよ。如何でしたか?」
私は無言で、ハンスが薄茶色い液体を床に流すのを見ていた。
話している内容にも、その行動にもいい知れない恐怖が湧いてきて、続けようとした声を詰まらせた。
「宝石商の店主を丸め込むのには苦労しました。どうしても売れないというものですから、代わりにすり替え用の偽物を用意したらやっと譲ってくれましてね。とんだ手間でした」
「な……なんの話なの?!」
「結果としてははすり替えて良かったですよ。ただ奪い取っては代替えのもので何とかなってしまうかもしれませんからね。愉快じゃないですか? 天下のピースが、偽物の宝石を本物と称して祭典に出品するんです。あなたがいなくなっても、お父上はメルトンに出ますかねぇ……どちらに転んでも私は構いませんけどねぇ……」
そんな馬鹿な、という思いが全身をこわばらせた。
ハンスの声が現実のものとして聞こえてこない。悪夢の中の出来事を語っているようだった。
「嘘よ……あのアクアマリンが、偽物ですって……?」
「ええ、あなたが受け取ったものは、私が用意した偽物です」
「嘘よ!」
「ヒスイさんのご期待に添えれば良かったのですが、残念ながらこれが真実です。ですから、例えあなたが何もなくここから帰ることが出来ていたとしても、レースが手に入ったとしても、ブランドに恥じない商品を出品することは不可能だったんですよ」
すり替えられた宝石。そんなところまで手を回されていたなんて――。
なんで、どうして、そこまでして……
床に縞模様のように流されていく茶色い液体に視線を落とした。
それが何かは、香りで分かった。
「……獣油?」
「ええ、少量でも長い時間よく燃えますから」
なんの為にそれを流すのか、想像した答えを正解だとは思いたくなくて。
混乱しきった頭のまま、私は床に落ちた油から目が離せなくなっていた――。