12 彼女とのその後 ☆ジェイド視点
ヒスイと出会ってから月日は流れ、私は16歳になっていた。
あの日と同じようにひとり、私は宮廷に向かった。
男性は18歳、女性は16歳で成人とされるこの国で、私にとっては最後の魔力鑑定になる。
魔力は増えることはあっても減ることはない。既に第2階層の証である青い札を手に入れてしまった私は、緑の札をもらうわけにはいかないだろう。
祖父はもういない。
「魔力を抑えて嘘の鑑定札をもらえ」と、誰からも指示は受けていない。
その気になれば、本当に一握りしかいない頂点の赤い札も手に入れられると分かっていた。そうなればもう商人でいるという選択肢はなくなる。城が放っておかなくなるからだ。
下手をすれば最年少で城の高位魔法士あたりに抜擢されるかもしれない。
誰もが羨む栄光ある職業につけることは、間違いないだろう。
だが、そうしようという気は起きなかった。
待合には13人の子供がいた。その中に、ヒスイ・リックコルドンの姿もあった。
彼女が魔力鑑定を受けると聞いて、同日に申し込んだのだから当然だろう。
確かめたいことがあった。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、この3年間ずっと「これで良いのか」と自分へ問い続けてきた答えが欲しかった。
会場の片隅にいる彼女の姿をそっと眺める。
あれから3年、今は9歳だろう。
変わらぬ好奇心に満ちた深緑の瞳、太陽の光を集めたかのような金色の長い髪。
6歳の可愛らしい少女だったヒスイは、さらに美しい少女へと成長していた。
私は見守っていた。あの時と同じように最後方から、彼女の鑑定の一部始終を。
「前回より数値が少し上がっているが、生活魔法の初級レベルだな。緑札だ、おめでとう」
そう言って鑑定員から渡された緑の札を、彼女は満足そうに受け取った。
そう、彼女はまた前回と同じ事をしたのだ。
魔力をセーブして、実力よりも低い鑑定札をもらった。
何のために?
その答えはきっと……変わっていないのだろう。
「まだ、家業を継ぐつもりでいるのか?」
鑑定式後、私はエントランスホールにいた彼女を呼び止めた。
彼女は私のことなど忘れていたのだろう、初めて会った人間を見る目で「え?」と聞き返してきた。
「君なら少なくとも、青い札は手に入れられるはずだ。魔力をセーブしたのは緑の札が欲しかったからだろう? まだ、城勤めはしたくないと言うつもりなのか?」
私の言葉に、警戒心を顕わにした顔でヒスイは一歩後退した。
「……あなた誰? なんでそんなこと」
「君が自分で言ったんだ。『大きくなったらみんなと仕事をしたいから、城には行かない』と。魔力が豊富なことを知られると不都合なのだろう?」
「私が自分で……?」
ヒスイがいぶかしげに聞き返す。
全く覚えていないのも無理はない。あの時の彼女は小さかった。
「ひとり娘だそうだな。父親から言われているのか? 跡を継げと」
「何ですって?」
「万年魔力不足の城から熱烈なスカウトを受けたら困るのだろう? それは家を継ぐように言われているからじゃないのか? 商家に生まれた不運なお嬢様が、家業を継ぐために城勤めの夢をあきらめる。理由はそれくらいしか考えつかない」
「な……何あなた?! 失礼な人ね!」
ちらと、私の手にある青い札を確認してから彼女は睨み付けてきた。
「いい? よく聞きなさいよ?! 家を継ぎたいのは私の意思よ! 誰に言われたからじゃないわ、私が好きでそうするの! 勝手に勘違いしないで!!」
「……だから、今回も緑札なのか」
「そうよ。私はこれでいいの。これ以上は要らない。なんなら無札でも良かったけど、さすがにそれはバレると思ったから緑にしたのよ。城の魔法士になんてならないんだから」
「……君が、家の人間や服飾の仕事が好きだからか」
「そうよ。当たり前でしょう?」
それ以外に何があるのだと、真っ直ぐな瞳が語っていた。
「……そうか」
聞いて、思わず笑みがもれた。
3年経ったのに、彼女は何も変わっていなかった。
「な、何よ……変な人ね」
「いや、すまない」
私は、この答えが聞きたかったのだろう。
変わらぬ彼女の言葉を。
私に欠けているもの、失ってしまったもの。欲しかったもの。
その全てを持っている彼女の言葉を。
「君は……真っ直ぐな人だな。少し、うらやましい」
「え?」
薄汚いことも多いこの商人という仕事に、そんな真っ直ぐで変わらぬ思いを抱くことを、もう愚かしいとは思わない。
「どうかそのまま、変わらないでいてくれ」
そう言葉を残すと、私はその場を去った。
私も、そんな風に出来たなら良かったのだ。
義務感とか、責任感とか、追い詰められたような気持ちだけでなく、自分がしたいからそうするのだと、そう誇りを持って言えたのなら。
自信を持って「好きだからやっているのだ」と。
(そんな風に……言えるだろうか、私も)
すぐ側を、緑の札を手にした子供が親と笑いながらうれしそうに通っていった。
次の鑑定でもう少し魔力が増えたら青い札も夢じゃないかもしれない。よくやったわね。そんな会話が聞こえてくる。
私はどうだ。家業から逃げるために、自由になるために、本当は城勤めがしたいのか?
魔法士という華々しい職業につき、上を目指し、はては国の政治に関わるところにまで登り詰めて、皆から羨まれる存在になりたかったのか。
休まる時など、自由などないも同然の商売の世界と手を切って、一握りの人間だけが味わえる愉悦へと手を伸ばしたかったのだろうか。
(いや……違うな)
そんなものには興味がない。
きっと、私もこの仕事が好きなのだ。
うちの商品を手にとって笑う顧客の顔を見るのは好きだ。
ひとつの商品を作り上げるのも、戦略的なマーケティング術も、嫌いじゃない。
「城勤めがしたいか?」とこの3年間、己に問うてみたが、家のこととは関係なく、魔法士という職業は私にとってなんら魅力を持たないことが今では分かっている。
私は私なりに、商売の世界にいたいのだろう。
その答えは、私にこの上ない安堵を与えてくれた。
私は自分の意思で選択したのだ。
きっかけがどうであれ、私は自らの意思で動いている。だから、もう憤ることも悩むことも、ましてや嘆くこともないのだと。
そんな風に考えられるようになったのは、彼女のおかげだ。
ヒスイは、私の心に大きな変化を与えてくれた。
10歳になったあたりから、ヒスイは父親について商売の席に姿を見せるようになった。
いつでも興味深く辺りを見回し、色んなことを吸収しようと頑張っていた。
コロコロと変わる表情は、見ていて楽しかった。
「ジェイド様、最近よくそのお顔をされるようになりましたね」
ふいに投げられた言葉に、知らず緩んでいた頬を引き締めて隣を見る。
「……なんの話だい?」
「このところ、雰囲気がとても柔らかくなりましたよ。お言葉遣いを改められたのも、心境の変化からですか?」
今年26歳になった秘書兼執事のフレデリックが、出来る男の余裕を見せながら微笑む。彼が動かした視線の先には、希少鉱石の展示物を指さして笑うヒスイの姿があった。
ああしてもうかなりの時間、父親に説明を受けながら展示会場を回っている。
私はそっと隠していたものを見つけられた気分になり、気まずくなって反対方向へと足を向けた。
「ああいったのがお好みですか?」
「馬鹿を言わないでくれ、初等部だぞ」
「おや、私は希少鉱石のことを話したつもりでしたが……人間でしたか」
くすり、と笑った秘書に小さく舌打ちする。
「……お前は、性根が悪いな」
「主に似たのかもしれません」
どこにいても彼女の姿を捜すようになったのは、いつからだったか。
大店の会合の時にも、何かしらのイベントの時にも、競りの場にもあの金色の髪と深緑の瞳を探していた。
フレデリックが言うような俗な気持ちではない。
私はまるで保護者のような目線で、彼女を見ていたのだと思う。
笑って、元気にしている姿をみるだけで心が温かくなった。
そうしてまた、年月は過ぎる。
私は成人し、23歳になっていた。
「青の会? もうそんな時期だったか……」
有能な執事が手にした封筒を横目に、私は興味なさげに呟いた。
「ええ、夏の終わりに夜のガーデンパーティーだそうですよ。今年はデュポン公爵のご邸宅が会場です」
「王都警察のトップ、デュポンか……」
封を切って差し出された中身を手にとる。
青の会は、青い札の認定を受けている魔法使い達が参加する、年に一度のパーティーだ。魔力の多い魔法使いが高位の貴族と縁を結ぶためにある、政治的な意味合いの強い催しだった。
一応書いてあることを確認した上で、フレデリックにカードを返す。
「今年は例年より参加者が多いとか。ご出席なさいますか?」
「聞くまでもないだろう? 出るつもりはないよ」
「ジェイド様は今までに一度しか出席されておりませんね」
私は2度目に青札をもらった16歳の時に、この青の会に参加している。
もちろん義理で顔を出したに過ぎない。
どんな内容の会かも分かったので、それからは欠席で通している。
商売のこと以外で城にコネを作りたいわけではないので、わざわざ時間を割いて面倒なパーティーに出席する必要はない。
「分かっているなら、そう返事を出しておいてくれないか」
「本当に欠席でよろしいのですか? リックコルドン家のヒスイ嬢も出席するようですよ」
「……何?」
フレデリックの言葉に、冷えた水を浴びせられた気分になった。
ヒスイが青の会に出るなど、考えられない。
それは彼女が緑札でなく、青札を手にしたということで……それが意味するところは、私にとって信じがたいことだった。
「馬鹿な……彼女は、緑札だったはずだ」
「16歳ですからね。魔力が増えたのでは?」
「……本当に、出席するのか? 彼女が」
「はい。名簿の中から確認しております」
「……」
どういうことだ?
ヒスイは家業を継ぐことをやめたのだろうか。
13歳の時も彼女は緑札を取った。
その後も私はヒスイを見ていた。彼女に変わったところなどなかったはずだ。
それとも、この最近に何か心境の変化でもあったのだろうか……
「やはり……出席しよう。返事を出しておいてくれ」
「かしこまりました」
動揺に揺れる私の声に、フレデリックはわずかに眉をひそめて頭を垂れた。