11 私は泥棒?
――頭が痛い。
泥の中に沈むような、鈍くしびれた感覚が全身を覆っていた。
何故だろう。すごく頭が痛い。
体を動かそうとしたけれど、全身が重くてまぶたを持ち上げるのもやっとだった。
私、どれだけ寝ていたんだろうか。
「うっ……」
うっすら開けてきた視界の向こうに、見慣れない光景が広がっていた。
ギシリ、と体の下で軋んだ音が鳴る。
簡易ベッドの上に寝ているのだと、気付くまで少しかかった。
「……どこ?」
見えるのは、天井から床まで突き刺さすように並んでいる金属の棒たち。
鉄格子だ。
閉ざされた空間。冷たい石敷きの床。殺風景な板壁と天井。
薄暗いこの場所が、どういうところなのかは一瞬で理解できた。
問題は、何故自分がそんなところにいるのかということだ。
(待って、落ち着いて……どうして……?)
ゆらりと体を起こしたら、薄布を張っただけのベッドがまた軋んだ音を立てた。
頭が痛い。何だか体も痛い。
ふらふら歩いて行って冷たい鉄格子を掴むと、おでこをくっつけて外の様子を眺めた。
目の前の通路を挟んで、向こう側は壁。私のいる側には牢屋が続いているようだった。
通路沿いに目を走らせると、少し先に小さい机と、椅子に座ったひとりの男が見えた。
濃いグレーの制服を着て、こっくり船を漕いでいる。
「ねえちょっと、ここどこなの?!」
私は制服姿の男に向かって叫んだ。
この状況には説明が必要だ。
だって私は、公爵の屋敷を出てから街の中心に向かって……そう、それから――。
私は、あのとき一軒の新しい店の前にいた。
シックな雰囲気の、ハンスの店によく似た手芸雑貨店。
もしかしたらレースを取り扱っているかもと足を踏み入れて……でも結局見つけられなくて。
店を出たところで声をかけられた。
「今盗ったものを出しなさい」と。
訳も分からず「何も盗っていないわ」と返せば、コートを掴まれて引っ張られた。
私のポケットからは、信じられないことに綺麗なビジューと、レースの小さい糸巻きが出てきて……
知らないと訴えたけれど、取り合ってもらえなかった。
店主と言い争っていたら、そうだ。いきなり後ろから頭にしびれるような衝撃があって……
その場に崩れ落ちる前に、魔具を手にした兵士の姿が見えた。
きっとあれで動けなくされて、ここに連れて来られたんだわ。
「……え?! じゃあ、ここ……王都警察?!」
椅子に座っている男の制服が何か気付いたところで、叫んだ。
そうだ、多分私は捕まった。盗ってもいない泥棒の罪で。
「ちょっとそこの人! 何か答えて!」
「うるさいぞ、おとなしくしていろ」
「おとなしくしていられるもんですか! ここから出して!」
「犯罪者は後ほど取り調べがある。その時に出してやる」
「犯罪者じゃないわよ!!」
どういうことなんだろう。
何かの間違いだとしか思えない。
「ちょっと! 切実にここから出してくれないと困るのよ?!」
「……」
「トイレ! トイレ行かせて!!」
「……はぁ……そこだ」
兵士の男が顔をあげて私の正面にある小さい扉を指さす。
「だから! ここから出してくれないと行けないじゃない!」
「……まったく、うるさい」
舌打ちすると、兵士は立ち上がって歩いてきた。
腰に付けた鍵束を引っ張り出すと、その中のひとつでガチャガチャと解錠する。
「言っておくが、逃げようなどと考えるなよ。無駄だからな」
「か、考えてないわよ」
ギィ、と開けられた扉をくぐって私は牢の外に出た。
鉄格子ごしには見えなかった通路の向こうを確認する。
突き当たりには上に登る階段が見えた。
造りから見て、ここは地下らしいということも分かった。
「早くすませろ」
押し込められたのは窓も、余計な装飾のひとつもない簡素なトイレだった。
とてもじゃないけれど、ここからは脱走出来そうにない。
「脱走……」
そもそも、逃げていいのだろうか。
身元が割れていなかったとしても相手が王都警察である以上、逃げたらまずい気がする。
少し考えたけれど痛む頭では良い考えもまとまらず、仕方なく私は用を足してそこを出た。
威圧的に立っている兵士が「早く戻れ」と私の背中を押す。
しぶしぶまた牢屋の扉をくぐろうとしたところで、ぞわりと気持ち悪い感触がお尻を撫でた。
「……やっ、どこ触ってるのよ!」
ガシャン、と背後で閉まった鉄格子を振り返って叫ぶ。
格子の間から、制服の腕がコートを掴もうと伸びてくる。慌てて避けて、奥に逃げた。
兵士はカラカラと声を立てて笑った。
「知ってるか? 犯罪者には何をしても罪にならない」
「は、はあ?」
「お前、どうせここから出られないだろう? 鍵は俺が持ってる。言動はよく考えるんだな」
意味ありげな台詞と笑いを残して、兵士は椅子に戻っていった。
おとなしくしてなかったら、なにかされるってこと?
ぞくりと、二の腕が粟立った。
――何よ、この非人道的な扱い。
「王都警察が……聞いて呆れるわね」
一瞬、怖い、と感じてしまった感情を振り払うように、そう声を絞り出す。
早くこんなところから出たい。今何時だろう?
腕にしていた時計に目を落とすと、すっかり夜だった。
(きっと、みんな心配してる……)
疑いを晴らさないと。
でもどうやって? そもそもどうして、こんなところに入れられる羽目になっちゃったんだろう。
今私に、何が起きてるんだろう。
だんだん心細くなってきて、泣きたくなった。
(泣いてる場合じゃないのよ、しっかりして私……!)
簡易ベッドに腰掛けて、ぐっと拳を握ると状況を整理しようと思い直した。
このところ、私の周りにはおかしなことが多すぎる。
倉庫が荒らされた件も、取引を持ちかけられた件も、もしかしたら繋がりがあるんじゃないだろうか。
だとすると、ジェイドはハンスや公爵と裏で繋がっているのかもしれない。
そして何か企んでいるのかも……
目的は何だろう?
決まってる。ピースを潰したいんだ。
アクアマリンを横から欲しいと言ってきた商人の件だって、あの男の差し金かも。
そしてこの、泥棒の一件も……
(本当に、そうなのかしら……)
動機がはっきりしていて、犯人も目星がついているのに、釈然としない。
だって、私と話している時のジェイドはそんなに悪い人に見えなかった。
(いやいや……よく考えて。あの男は今までにも散々、私の邪魔をしてきたじゃない)
自分に人を見る目がないのは、ハンスで証明済みだろう。
あれが『マスグレイヴ』のオーナー……信用した私が馬鹿だった。
あのいかつい公爵も、高位の貴族のくせしてか弱い乙女を脅す片棒を担ぐとは最低な男だ。
ジルの言うとおり、ちゃんと知っておけば良かった。
もうちょっと情報を集めていたら、事前に警戒することも出来たのかもしれない。
今更言っても仕方ないけれど。
「……帰りたい」
呟いてしまったら、パパやママやみんなの顔が浮かんできた。
堪えきれなくてこぼれそうになった涙を、歯を食いしばってぬぐった。