第6章 競馬狂の詩 7
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券が唯一の生活の糧だ。共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(2) 欲望の渦の中で その1
『馬券道場アルメティオ・メッツ』(長いので単純に『道場』と呼ぶことにする)が関わっていると思われる被害は、拡大の一途をたどっていた。道場に隔離され、洗脳されて修行に加わっている者は、ここ△△市だけでもすでに1000人にも及んでいた。しかも支道場は各地に乱立するほどになっている。ここH道全体では、おそらく4000人近い人間が捕らわれの身となっている。
またH道以外にも全国各地にその勢力を伸ばしつつあるのだった。
彼らが行っている悪事は、単に金集めや人の確保だけにとどまらず、どうやら薬物開発に着手しているとの噂があった。会員を道場に縛り付けるための媚薬らしい。自発的な意思を奪う効能があるということだ。完全には落ちていない体験会員へ言葉巧みに投与し、道場に縛り付ける目的だ。
それが酒との相乗効果により、泡を吹いて倒れる事件が多発していたのだった。姑息に目をつけて鉄三郎が寸借詐欺を働いたのはそれが切っ掛けだ。
薬物による支配の野望は人間だけにとどまらず競走馬への効果も狙っているようだ。競馬会との表向きの付き合いがある一方、裏での関与も数々指摘されている。
ここまでは一般に報道されている内容だった。しかし、確証は何ひとつ取れてはいない。あくまでも噂話の域を出てはいなかった。
ところが奴らの魔の手は、すでに競馬関係者の身内にも確実にしのびよっているとされる。
「相当やばい団体だな」
これまでの報告書を読み、道場の現状を把握した岡林所長はため息とともに吐き出した。
意外と早く『冷や飯ホテル』をチェックアウトし、晴れて復帰した岡林はその額に深いしわを寄せた。
「家族からの捜索願い、および取り戻して欲しいとの依頼が現在、合計16件となっております」身元引受人として岡林を留置場から連れ戻したばかりの竹下女史が言った。
「ほう。これはなかなかの収益が見込めるな」
「それで……俺はウサミさんと、ある親父を掴まえたんです。一度道場に足を踏み入れた経験があって土地勘もある。なかなか芝居ッ気のある奴で。彼を道場に忍び込ませて確かな証拠を捕まえようと……」
「いや。それはやばいだろ。あまりにも危険だ」
俺とウサミさんは、付け焼刃ではあるが鉄三郎に様々な諜報作戦を叩き込んでいた矢先だった。意外に早く所長がシャバに戻ってきたのだ。となると、ここはやはり報告、連絡、相談をするのがビジネスマンの掟というものだ。だが、岡林の反応はガラにもなく慎重を期すものだった。
「じゃあ、他にあの道場を裸にする良い方法ってありますか?」俺は食ってかかった。
「うーん。どうだろうなあ。ナカムラ、あんたはどう思う」
たまたま事務所に戻っていたナカムラさんがメガネを人差し指で押さえながら、色白な顔の薄い口びるを動かした。
「そうですねェ。まともな調査で簡単に奴らのしっぽを掴めるとは思えませんねェ。ただ、その鉄三郎とかいう老人、果たして使えるのかどうか……」
「それは大丈夫ですよ。根はいい奴だし、なんせこっちが弱みを握ってますから」
ナカムラさんは俺がそう言うと、じろりと睨んでみせた。
「いやそう言うことじゃなくて……んー、でもまあ。いいんですけどね」
なんだか陰気でイヤなやつ。その時の俺はそう思った……。
「よし、わかった。狂死狼の考える通りにやってみよう。今回は俺も腹を括って勝負に出る。いいか、全ての責任は俺が取る。だから思い切ってやってこい!」
「はい」俺とウサミさんは所長のありがたい言葉に力強く応えた。
ただ、ナカムラさんはやはり、拭いきれない不安があるようだった。
事務所の片隅、パーティションに囲まれた中で待機していた鉄三郎は、びくびくと震えていた。
続く




