第9章 転がる石のように 15
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。本格的な投資馬券と命を食いつなぐサバイバルの日々を綴ってゆく」
2 逃亡の果てに
その2
日なが一日。平成ホテルの部屋の中で天井のシミを眺めて過ごした。何をする気にもなれなかった。
馬券は昨日一日考え悩み、悩み抜いて出した答えをネット投票で買ってあった。あとはときおりラジコで競馬の結果を聞きながらベッドの上に寝ころんでいた。
アリサが姿を消した。そして、さほど仲が良かった訳でもないが、ちょくちょく互いの部屋を行き来して酒を飲んだり競馬談義をした野村が警察にショッぴかれた。あいつが警察の厄介になるような詐欺的な行為をしていたというのは驚きだった。
だからと言って寂しいというのでもない。もともと人目をはばかる逃亡生活だ。少しだけにぎやかだった身の周りが急に元に戻ったというだけの話だ。
競馬の結果はほぼ全敗に等しかった。
投資馬券で買った中央5レース、南関大井1レースのうち、当たったのは中山8レースの馬連8倍、三連複18.4倍、それと大井6レースの馬連13.7倍のみだった。ラップタイムスターによるメインレースの勝負は金鯱賞、だったがまるでダメだった。これで昨日今日のトータルでは6万チョイのマイナスとなった。今年に入っての収支は合計216,140円のマイナスだ。不本意であり、かなり厳しい結果だった。
今は我慢の時だ。こういった流れの悪いときは少なからずあるものだ。半年、あるいは一年といった長いスパンで結果を推し量るよりないということだ。もちろんまだまだこれからだし、別に腐ってもいなかった。ただ、後がないという精神的なキツさはどうしても残った。
なあに、本当にダメならその時はその時だ。別に長生きがしたいわけでもない。最期の結末が野垂れ死にだとしてもかまいはしないさ。なんて毒づいてうそぶく気持ちもあった。カラ元気なのかもしれないが。
部屋の隅でひゅんひゅんという音とともに小さな電気ポットが湯気を放出していた。
とてつもないだるさに包まれた体をゆっくりとベッドから解き放し、俺はカップ焼きそばの容器のふたを開け、電気ポットからお湯を注いだ。そこから3分ほど、かすかな痛みを感じる頭を抱えるようにしてベッドに座り込んだ。
それからカップ焼きそばの湯切りをするため、部屋を出て廊下の先の洗面コーナーへと向かった。
そこには誰もいなかった。
宿泊客の数は新型コロナウイルスの猛威のせいなのか、半分以下に減っているようだった。
俺は容器の排水シールをはがしてお湯をシンクに流し込んだ。
「狂死狼さん……ですよね?」
突然、背後から女の声がした。
俺は突然のことに驚き、振り向きながら同時にカップ焼きそばをひっくり返し、ゆであがった麺のほとんどをシンクの中に落としてしまった。
「あ。あう、あわわ」
変な声を出しながら俺は再びシンクへと目を移し、排水口に流れ落ちた焼きそばの麺を恨めしく見つめるのだった。
「あ、ごめんなさい。なんかわたし」
「あ、いやその、なんのご用ですか」
「やっぱりあなたが……」
「え、ええ。そうですけど」
「わたし野村沙也加といいます。兄が……こちらでお世話になっておりまして」
「あ、ああ。あいつ、いや野村さんの?」
「はい。妹なんです」
そういうと、沙也加と名乗った女は目を伏せて震えた。
俺はそんなことよりも、カップ焼きそばの残骸をいつまでもあきらめきれずに箸ですくおうかどうしようかを、考えあぐねていた。
続く




