第9章 転がる石のように 12
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。本格的な投資馬券と命を食いつなぐサバイバルの日々を綴ってゆく」
1 最悪のどん底
その12
「優香ちゃんがトイレに行った隙に草野があたしに言ったのよ。実は俺、刑事なんだ。優香と彼氏を追っている。彼女は殺人犯なんだって」
アリサは俺を凝視した。俺は茫然と立ちつくしてアリサの言葉を待った。
「あの男はある男を刺して逃げた。そのあと彼女がとどめを差した。二人はその男からひどい仕打ちを受けていたから同情の余地はあるものの、逃げてしまったからその罪は重いって。とても驚いたけど、二人を逮捕するつもりなのって訊いたの。そしたら違うんだって。俺は彼女のことを、優香ちゃんを心の底から愛してるんだ。だからできることなら俺の傍で守ってやりたいと、そう思ってるんだって」
「馬鹿な……そんな警察がいるはずない」
「あたしもおかしいって思ったの。いったい何を企んでるんだろうってね。でもね、あの男は涙を流しながら言ったの。こんな馬鹿な話を信じろって言っても到底無理だろうけど、俺は彼女を心から愛してる。本当なんだ。不覚にも愛してしまったんだ。絶対に離したくない。いや、それ以上に殺人罪で刑務所になんか入れたくはないんだ。だからそうならないように……あたしに協力してもらいたいんだって」
「……どんな協力なんだよ」
「優香ちゃんにはあなたという彼氏がいる。だけど実は二人はただの共犯者なんだって。一緒にいるのはただ偶然が生んだ、やむにやまれぬおかしな関係であって、愛し合っているわけじゃない。ましてや二人が一緒にいること自体が危険極まりない憂慮すべき事態なんだ。お互いを思うならば、別々に逃げた方がはるかにマシだって。そのために俺は二人が別れざるを得なくなるような工作をする。もちろん、それは彼女を手に入れたいからではある。だけど……そこでだ。君はあの男を、狂死郎をどう思う……って言われたの」
「なんだと」
「あたし、そう言われた時に急に胸が苦しくなって頭がおかしくなりそうだった」
「なんでさ」
「その時初めて気づいたの。あなたのことが……好きだったって」
「え? ええ。それはおかしいよ。草野のことが気になって、その日も優香に付き合ったんだろう」
「そうなんだけど……でもね、彼は優香ちゃんのことが好きだってはっきりしてたし。それでもついていったのは、優香ちゃんが彼の誘惑に屈するところを見たかったんだなって気づいたの。そんなどうでもいいことをなんでだろうって……きっと胸の奥で、優香ちゃんの彼氏を、あなたをフリーにさせたいって気持ちだったんだって気づいたの。本当にそうなるかもしれないと思い始めたら、もう正気ではいられなかったの。馬鹿みたいだけど」
「そ、それで……」
「草野は優香ちゃんにはっきりといったのよ。二人が殺人犯として刑務所に入りたくないのであれば、絶対に別れた方がいいって。その方がお互いのためだ。二人一緒にいたら、遅かれ早かれ必ず捕まる。たとえいくら俺が手をまわしたって無駄なことだ。だけど、もし二人が分かれて暮らすならばいくらでも手は打てる。それは保証する。なにせ俺は恩あるシン先輩の片腕なんだ。警察の立場よりも恩義を大事にしてる。もし共犯の彼を大事に思うのならば、別々の人生を送るべきだ……と言ったのよ」
「あの野郎……抜け抜けとそんなことを」
「でも、彼の言うことももっともだと思うった。二人一緒にいたら本当にもう危なかったし捕まってたと思う。優香ちゃんはすっかり諦めたようだった。そこまで言われたらもう、あなたのために別れを決心したみたいだった」
「なんてことを……それならそれでいいんだ。捕まったって。もう潮時なんだと思ってた。いさぎよく捕まることを覚悟してた」
「駄目、駄目だって」
アリサが抱きついてきた。その眼には涙があふれていた。何とも言えない感情が俺の胸にもあふれてきた。思わず彼女の体を受け止め、抱きしめていた。
「捕まっちゃ駄目だって」
「でも、君はどうやって俺のことを……この街ににいることがどうしてわかった?」
「それは……」
アリサは初め躊躇した。けれどやがてゆっくりと狭い部屋の中を見回した。
続く




