第9章 転がる石のように 4
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。本格的な投資馬券と命を食いつなぐサバイバルの日々を綴ってゆく」
1 最悪のどん底
その4
12月28日土曜日。JRA2019年最後のG1ホープフルステークスの日、俺はひっそりと阪神11レースぺテルギウスステークスに挑んだ。
ペテルギウスとはオリオン座を構成する星のひとつで地球から642光年ほど離れている。ペテルギウスの語源は巨人の脇の下という説があるが日本以外では通用しないらしい。恒星の中でもひときわ明るい一等星なのだそうだ。見たこともないしそれしか知らない。
いや、そんなことはどうでもいいことだ。問題は、弾き出したスピード指数による1-3-5-7-10のBOX買いの中に、またしてもほぼ1本かぶりといえる単勝2倍ちょうどのスマハマがいることだ。強い馬だから買い目に入るのは当然なのだが、他の馬と比べて突出しているといえないから困る。断トツの数値ならば、盤石の軸馬に指名するのだが。だからといって、有馬記念のように取りガミ予防の不均等買いはこりごりだ。たかが2万円の勝負で細かいことはやりたくもない。
そう考えてのボックス買いだった。
馬連と三連複 各10点ずつ
各1000円の20000円勝負だった。
結果は2番人気川田騎乗のワイルドカードが1着、2着スマハマ。ここまでは良かったが3着に8番人気デザートスネークがまさかの入線。
3連複は外し、当たった馬連も5.5倍と見事に取りガミとなった。
皮肉なモノだ。競馬というものは常にこちらの思惑とは逆へ逆へと結果が流れてゆく。逆張りすることが大事だとよくいわれるが、なかなか現実そうはいかないものだ。
とにもかくも、2019年の馬券投資はこれで終わった。中央競馬は82%の回収率で終わった。決して喜べる数字ではない。ただし、途中で手を出した地方競馬がおそろしく回収率を下げる結果となった。負け分の3分の2は地方競馬に翻弄されてのものだ。
結果として、この1年間トータルで50万ほどの負けだ。
振りかえると、逃亡生活に陥ったあの日から今日までよくも生き延びてこれたと思う。もちろん俺一人の力ではなかった。あの時のまま、馬券投資だけに命を託していたならば、とうにのたれ死んでいたはずだ。それがのうのうと、今もこうして生きている。はたしてこれからどこまで生き延びられるのだろうか。
大みそかは一人、平成ホテルの狭い部屋で紅白を観ながら酒を飲んで過ごした。
ぼんやり過ごしながら来年からどのような戦略で戦いを挑んでゆこうか考えあぐねていた。ホープフルの日から今日まで、南関競馬をつまみ食いのように遊び馬券を少額買ったはみたが、ぱっとしない状況は変わらずだ。
1月5日からの中央競馬への挑戦を今から武者震いするような緊張感で闘志を燃やしている半面、もしもあっという間に資金を溶かしてしまうような事態になった時、いったいどうするのか。後がない状況がますます俺を奮い立たせてもくれる。
とにかく勝負するしかないのだ。
そのための武器はほぼ完成している。これまでの投資法に改良重ねて完成形とした円月殺法パート3、そしてかつての時計理論にこれまた改良を重ねたタイムラップスター2、これらを駆使して闘うのみだ。
予想売るという方法もあるだろうが、それだけは手を出したくはない。たとえ将来プラス収支を維持出来たとしてもだ。人様に迷惑をかけることはもうたくさんだ。どんなに優秀な予想でプラスを叩き出したとしても、売ることによっていずれマイナスに転じるだろう。それは絶対に避けられないことだ。他人にこれ以上迷惑をかけて生きるつもりはない。
人間のクズ以下のこんな俺でも、みじめなどん底の底の底に居ようとも、人様に迷惑をかけることだけはしたくないのだ。強く思う。かとい
って勝たなければ、プラス収支を実現できなければ死あるのみだ。
そんなことをつらつらと考えているうちに令和2年が幕を開けた。
令和2年はなんとしても切っ掛けをつかみ、モノにする年にしなければならないのだ。
いつの間にか眠りに落ち、元旦の朝目覚めたのは午前8時を回った頃だった。小用のためにトイレに向かった。
トイレの後、ロビーの自動販売機でお茶のペットボトルを買った。その時後ろから声を掛けられた。
「狂死狼さんでしたっけ」
振り向くと、この木賃宿の管理人兼オーナーである轟勇二郎が立っていた。
「はい。そうですが。ああ、明けましておめでとうございます」
俺は恐縮して挨拶をした。何度か見かけていた顔だ。恰幅のいい60前後の中年だった。常時いる管理人が休みの日は交代で来ることがあった。いつも人の良さげな顔でにこにこしているのだが、今朝は違った。般若のような顔で俺を凝視していた。
「おめでとさん。いやね。こういっちゃアレだけど。なんていうかその……あんた、死相が顔にまんま出ちゃってるね」
「え?」
俺は呆気にとられた。轟は今度は心配そうな眼で俺を覗き込んだ。
なんてこった。
元旦早々、俺は頭をハンマーで殴られたような気がした。
続く




