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逃亡馬券生活   作者: 狂死狼
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第9章  転がる石のように 1

「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。本格的な投資馬券と命を食いつなぐサバイバルの日々を綴ってゆく」


1  最悪のどん底


  その1



 優香が去った。△△市を出ようと提案した次の日のことだった。

 駅へと向かう通りへ出た時のことだった。

「きっと、おたがい離れた方がいいんだよ。それが二人のためだから……」

 俺はにわかには信じられない優香の言葉に困惑した。いきなり彼女の口から出た言葉だ。だが、優香の目には一片の曇りもなかった。涙さえもなかった。笑顔さえ見せて言いのけた。ふと見るといつの間にか男が近寄っていた。

 優香のすぐ後ろに立った男に見覚えはなかった。身長は175センチくらい。歳の頃は30代半だろうか。やぼったい背広に身を包んだ身体は細身だが筋肉質でもあった。スッキリとした顔立ちは二枚目と言える範疇だ。鋭いその眼つきに俺ははっとした。男は草野孝と名乗った。道警本部捜査一課の刑事だという手帳を開いて見せた。彼はシンちゃんの直属の部下だった。

「あんた、優香を誘惑したのか」俺は訊かずにおられなかった。

「まあ、そういうことだ。もちろんいい加減な気持ちじゃない。優香さんを心から愛しているんだ」男はぬけぬけと言い放った。

 優香は何も言わなかった。ただ顔を下に向けていた。

「なぜだ。なぜそんなことに……」

 男はせせら笑うように言った。

「しばらくO市にいたあんたはヤクザの女親分にうつつを抜かしてただろう。ノーとは言わせない」

「ええ?」

 いきなり核心をつかれた俺はさらに困惑した。そうか、この男がシンちゃんの企みで優香をあの試合に誘い込んで花菜との接触を図ったのだろう。そして、何もかも知っているのだ。優香にも話したに違いない。

「卑怯だぞ。お前こそ警察官なら正々堂々としたらどうなんだ」

 いくら吠えたところで無駄なあがきでしかなかった。

「何を言う。優香さんを大事に思うなら、悲しませるようなことをするのはおかしいんじゃないのか? 俺はあんたのことで悲しむ優香さんを見ていられなくなったんだ」

 ぐうの音も出なかった。たしかに俺は優香そっちのけで仕事に没頭し、それを言い訳に他の女と愛欲に溺れたのだ。

「こういっちゃなんだが、俺はあんた達のことを全部知りつくしている。その上で優香さんを守ろうと決めたんだ。その意味がわかるだろう。それはあんたにとっても心強い味方になるということだ」

「なんだと」 

 とっさに優香を見た。下を向いて黙っている。

 この男が言うことは……あまりにも理路整然としていて抗うことはも早出来なかった。それにしても優香の本心はいたいどうなんだ?

 だが、状況が全てを物語っていた。

 そうなのだ。俺達二人の弱くてあまりにも脆い状況を少しでも好転させる力を、この男は確かに有している。まして、俺は優香を裏切った男なのだ。もはや、この男にどんな抵抗すら出来やしなかった。

 俺は優香をこの男に託すしかないのだと思った。それが優香の幸せになるのだと信じた。いや、信じようと努めた。情けないことだが……。

「そうか。わかった。じゃあ後は頼むよ。さよなら」

 そうつぶやいた時、優香が泣いていた。

「さようなら……」

 草野は優香の肩をそっと抱きしめて駅とは反対方向へ歩き始めた。

 俺は茫然と二人の姿をただ見送るしかなかった。

 その時、俺の中で何かがはじけた。

 たいした荷物も入っていない右肩のボストンバッグが妙に重く感じた。

 呆然と立ち尽くす俺の顔にぽつりぽつりと雨が落ちてきて、目からこぼれ落ちるモノをかろうじて隠してくれた。




  続く


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