第8章 かなしき口笛 33
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
⑶ 死闘の彼方
その4
場内にざわめきが漏れた。
そうだ。あいつはラグビー出身だった。2塁ベースを小脇に抱えて必死の形相で走る岩城にトライまであとわずか、独走態勢のラガーマンの姿を見た。
3塁側応援席はブーイングの嵐だ。というよりも、先ほどとは比べ物にならないほど殺気立っていた。中には物騒な道具を取り出してセンター方向に駆け出す者もいた。まずい、岩城を止めなければ!
「ぴぴぴー」笛が鳴った。主審であるシンちゃんが鳴らしたのだ。「くらあ。てめえ、ラグビーじゃねえぞ。そんなことしたってホームランだっつーの。はよ戻ってこい。戻らんとタイホだタイホ!」 岩城はその声に振りかえると天を仰いだ。そして放心したように言った。「のーさいど……」
外野の俺と黒井と間抜は、岩城に近づきベースを奪い取った。
「さあ試合再開だ」岩城の肩を叩いて戻るようにうながした。うなだれたまま岩城はとぼとぼと二塁方向へと歩き出した。決して悪気はなかったのだろう。その悲しみを称えた背中が物語っていた……。
そのあとすぐだ。
「うおをおおお」球場がどよめいた。テリー・ファンド・Jrが打ち返したボールは放物線を描くように長い滞空時間の末にスタンドに飛び込んでいった。
このテリーはジャマイカの出身だ。地元の元プロ野球選手らしい。
「じゃ、まあいっかあ」とかいいながら、バットを放り投げてゆっくりとベースを回った。ちりちり頭に黒々としたフテブテしい顔でそれを言われると、我らがスーパーピエールズの面々は激しく苛立った。だが仕方ない。これで2点を先制されたわけだ。
続く5番カルロス・デンジャーもデンジャラスだった。
第1球はゆるく外にはずれるカーブだったが、空気を切り裂き真空を呼び起こすのではないかというような鋭いスイングに、当たったボールは軽々と場外まで跳んだ。ヤバい!!
危うく3連続ホームランを喫するところだったがぎりぎりファールだ、わずかに左に切れた。
「ふうう……」星野は弱気になり、逃げの一手となった。ストライクを投げられずについにフォアボールを与えてしまった。これでツーアウト1塁となった。
続くバッターは長渕津芳、ひょろひょろだが筋肉質のモヒカン野郎だった。
「いくぞォーおらァー俺の打球はどこまでも飛んでくぜ! あーあ、ボールよどこへ。お前はどこへ飛んでゆくゥ」勢いは素晴らしかった。だが、そのバットは空を切り、ボールはどこへも飛んで行かなかった。ようやく星野は三振に切って取った。
「おお!ずんこ。オメエの名を呼べばオラはせづねェよ……」津芳は去った。ようやくこれでチェンジだ。
しかし、いきなりプロ崩れのふたりに先制パンチを食らった。2点のビハインドだ。しかもこのあと相手ピッチャーは、あのレアドンだ。はたして攻略することが出来るのだろうか。少なくとも3点以上を、あのレアドンから奪わなければ勝ちはないのだ。あまりにそれは、はてしない彼方の出来ごとのようにも思われた。しかし、やるしかないのだ。
そのためには1番バッターの俺がまず塁に出ることだ。あんなピッチャーどってことない。誰でも打てるんだというところを見せつけなければならない。それが出来れば、きっと突破口は開かれるだろう。俺を注目しているであろう、優香と花菜にもいいところを見せつけたい。その上で浮気問題をクリアせねばならないのだ。ああ、それはそれでとても辛い。だが、やるしかないのだ。
そんなことを考えながらバッターボックスに向かうと、我が目を疑うような光景がバッターボックスで繰り広げられていた。
「うッ。こ、これは?」
バッターボックスでは教龍会の構成員、確か天見組の若い衆だ。そいつが裸の女とくんずほぐれつのドッキングをしていた。「ああーん。いいわあ。もっと、もっとよ」女はあえぎ声を出しながら要求を強めている。いわゆる駅弁ファ○クという体勢だった。
「あ、オッス狂死狼さん。目くらまし戦法というか、これで奴らの戦意を喪失させまっせ。まかしてちょ」
なんだよこの試合……こんなのってありかよ? 俺は茫然と立ちすくみ、恥ずかしながら手にしたバットよりも股間のバットの緊張を気にしていた。
続く




