第8章 かなしき口笛 25
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(2) 夏の終わりに
その9
宴は夜通し続いた。場所は運河通りに面した古い倉庫を改造した大きなホールだった。300人ほどがホールを埋め尽くしていた。さすがに一般社会に背を向けたような奴らの集まりだった。その酒の飲み方は尋常ではなかった。樽酒も開けたそばからあっという間に飲み尽した。飢えた野獣の集まりだった。
呼ばれた20名ほどの若いコンパニオンの女性は警戒を強めた。隙あらば乳を揉む尻を触るは当たり前だった。中にはブラジャーの中、スカートの中に手を忍び込ませる者もいる。女に興味のない者は一気合戦だった。手拍子とともにグラスどころかドンブリ、果ては鍋の中のたっぷり注がれた酒を底まで飲む馬鹿が続出した。つまり、宴会は阿鼻叫喚の渦の中に包み込まれたのだ。
俺はそっと出院親分に近づいた。親分は隣りにいる聖子カットの昭和な雰囲気の推定42歳のコンパニオンの尻に、その右手をしっかりと這わせていた。上機嫌だった。
「あの、親分。ちょっと聞いてもいいですか」
「なんだ。探偵狂死狼君。まあ飲めよホラ」出院親分は左手でビール瓶を俺のグラスに傾けた。
「あ、いやその。俺達はなんで。その、ここに呼ばれてるんですかね」
出院親分の顔色が変わった。俺は見逃さなかった。
「ああん。そりゃ仕方ないだろう。あんたらのせいで神龍会がこの街に攻撃を仕掛けてきたんだ。それがどんだけヤバいことなのかわかってるのか。ええ?おそらく10や20じゃきかない死人が出ることになる。天見の野郎だって、自業自得とは言え今頃どんな目に遭っているものか」
「いやでも、俺達が報告しなくたって神龍会ほどの組織力なら全てお見通しなのではないですか?」
出院親分はぎろりと俺の顔を睨みつけ、しばらく考えるような顔をして見せた。
「あッはッはッは。チミは鋭いねえ。堅気のしがない探偵にしとくの惜しいよ。すちよ、チミみたいなヒト」
「え、いやその……そういうことではなくて」
「大丈夫。まかしといて。チミ達には絶対に安全を保証するよ。でもね、チミ達がこの抗争の発火点なんだ。是が非でもここにいてもらわなくちゃ困るよ。天見親分を助けるためには大事な『戦力』なんだから。わかってくれないかなあ」出院親分は鋭い眼つきで言い放った。どこか威圧感のある低いダミ声だった。
ああそうか。俺達を戦力だって? そんなことある訳がない。そうか、天見の親分を助けるための俺達は人身御供だ。つまり生贄の役だ。そういうことなのか……もう、俺達は蛇に睨まれた蛙だった。
朝方、すっかり外が明るさを取り戻した頃、宴のホールには緊張が走った。すでに酔いつぶれてそこここに寝転んだ奴らも多かったが、小倉野が声を発したのだ。
「おい手前ら。いい加減にしやがれ! 起きろ。ほら、立て。来たぞ。奴等の要求と宣戦布告だ」
ホールの中にはいっぺんに緊張が走った。起きていた者飛び起きた者、それぞれがこれから起きるであろう我が身の命の危険に、少しでも有利な立場に立つための手段を画策して真剣だった。のんべんだらりんと眠りこけている者を叩き起こそうとはしなかった。そう、そういうやつらには真っ先に盾になって死んでもらいたいからだ。
「あと1時間ほどで神龍会の精鋭どもがO港の第一埠頭に集結する。数は200人を超えるようだ。奴ら、総力戦で戦うつもりだ。天見親分は痛めつけられてはいるが、命に別条はない。人質として拉致されている。要求は10億の金とO市の縄張りを半分よこせだとよ。この情報は神龍会に忍び込ませたわたしの信頼できる部下からだ。いいか、これから第1埠頭に向かう。待ち伏せして奇襲攻撃だ。わかったか」
おう!! 怒声がこだました。
ただちに極道どもは身支度をした。どこから持ち込まれたのか、本物の銃や長ドス、日本刀、警棒に防弾シールド、防弾チョッキ、ヘルメットにゴーグル、これらを身にまとう姿は、まるで戦国時代にスリップした自衛隊か機動隊のようだった。
それから寝込んでいた者たちはようやく叩き起こされ、物々しい異様な雰囲気におどおどしながらも、怖気づいたというようなメンツに関わる部分だけはかろうじて隠し通しながら、連れ出されることとなった。初めはただの予行演習だから心配すんな。ただついて来いと吹きこまれたのだった。
しかし、ホールを飛び出したならず者たちは廻りの雰囲気に呼応するように気持ちを高揚させていった。だんだんと戦争に向かうという気合いが充満してくるのだった。もう怖気つく奴はいない。
およそ50台ほどのクルマ、クラウンから軽トラックまでが同時に駐車場を発信して埠頭へと向かった。なかなかの壮観な隊列だった。
「オラァ、神龍会がなんぼのもんじゃい。皆殺しじゃ」
「おおー」
パラーパララララー。俺の心の中で『仁義なき戦い』のあの効果音が鳴った。
時計はまだ午前5時を回った頃だった。
続く




