第8章 かなしき口笛 21
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(2) 夏の終わりに
その5
乾いた銃声がこだました。伊藤の身体が崩れ落ちた。
花菜の右手には火を噴いた拳銃があった。
「おい。何をする」言わずにはおれなかった。
伊藤は俺とナカムラさんを痛めつけた憎き相手ではあるが、だからといっていきなり殺すことはあるまい。少なくとも玉造ミエが死んだ真相に、もっと迫るべきだ。それがいくら聞きたくもない理由だとしてもだ。この前も会長の病室で花菜は黒井親分を撃った……かすり傷で済んだようだったが。いや、それもおかしい。あの時、黒井は確かに銃弾に倒れたはずだ。それが数日で元気に葬儀に出席? そうだ、出院親分も天見組の連中に襲われて撃たれたはずだ。あれもただのかすり傷だったというのか……。
どうにも腑に落ちない。頭が混乱するばかりだった。ホテルから飛び出してきた4人の黒服姿の男が、伊藤の身体をすっと持ち上げてホテルの中へと運び入れた。はたして伊藤は遺体なのだろうか、それとも生きているのだろうか。確かめる間もなく連れ去られた。花菜は涼しげな顔で真夏の日照りの中で微笑んだ。ぞっとするような綺麗な微笑に見えた。
「あれね。ちょっと眠ってもらっただけよ。これからは伊藤さんが重要な役割を担うことになるからね。お疲れ様。大変でしたね。どうぞ冷たいお茶でも。それともビールがいいかしら」
ホテルの小さなロビーで俺たちは応接セットに腰を下ろした。シティホテルの趣きもあるがれっきとした連れ込みホテルだ。ロビーらしき場所は狭かった。
6畳間に応接セットと小型テレビが置いてあるだけだった。
俺とナカムラさんは、冷えた缶ビールを小さなコップに継ぎ足し継ぎ足しながら一気に飲み干した。
「俺たちは君の提案通りに会長の葬式に忍び込んでまんまと伊藤を誘拐してきた。ここからある程度彼を痛めつけて恨みを晴らしながら真相を聞き出すのだと思ってた。でもそれは違っていたようだ。いったい、君の目的はなんだ? それに、亡くなった会長は拳銃やら物騒な武器の携帯は一切認めなかったと聞いた。それなのになぜ。君が持っている拳銃はどういう種類のモノなんだ」
「当然、そう思うわネ。白状するは。私が持っているのはコレ」
花菜バッグから拳銃を取り出して見せた。ナカムラさんが手に持って確かめた。
「これはすごい。本物そっくりだ。だけど、とても精巧に出来てるモデルガンだな」
「本物よ。間違いなく」
「だけどあの至近距離で当たったら、生きていられるわけがない」
「だから、モデルガンを改造したんじゃなくて、本物を改造してモデルガンにしちゃったのよ」
「はあ? 何を言ってるのか良くわからないし、それだったら初めからモデルガンでいいんじゃないの。わざわざそんなことしなくても」
「そこは極道者の見栄よ。しろうととの違いを見せつけるためのね。だからといって、箔が必要なのよ。川島会長は殺傷や血を流すことを禁じたの。今や絶滅危惧種である極道者を、仲間内のくだらない争いで命を失くすことがないようにていう親心なのよ」
「本物の銃を改造してわざわざ殺傷能力を下げたというのか」
「そう、その通り。それで会長はあえて教龍会内部での抗争=有事の実地訓練を推奨していたのよ。いかにも跡目争いでつばぜり合いが続いているかのようなカモフラージュを売れで操っていたの」
「はあ? なにそれ。ということは、出院組と天見組の跡目争いというのはでたらめか。いい大人が戦争ごっこをして楽しんでたとでもいうのか」
「ふふふ。そうね。ごっこかあ……まあ、ある意味そうかもね」
「ある意味とはなんだ」
「あのふたりはねえ、争っているのは事実よ。お互いに跡目を譲りあってのね。お前が会長の跡を告げ。じゃないと殺すぞ。何を、お前こそ襲名しろ。じゃないと殺すぞ、てな感じでね」
「はああ? そんな跡目争いがあるかよ」
「あるんだから仕方ないじゃない。それで他二人の親分も加えて、誰に跡目を継がせるかの仁義なき譲り合いの全面戦争となっているのよ」
「なんだ、それ。だったらじゃんけんとかで決めたらいいじゃん」
「そうはいかないのよ。極道には極道の見栄としがらみってもんがあるのよねえー」
俺はあきれるやら肩の力が急激に抜けるやらでとてつもなく脱力を感じていた。
「まあわかったよ。で、それで、なんのために伊藤をあんな目に。殺してないことはわかったけど、このあとあいつをどうするんだ?」
「本当の抗争はこれからなのよ。おそらく相当の血を見ることになるわ。火種の伊藤を守るために……そして私は……」
いったい何を言ってるんだ。譲り合いのための抗争ごっこってなんなんだいったい。俺には極道の世界というものが全く分からなかった。それでも、何かと義理人情のしがらみで成り立っているんだろうなということが、少しだけ理解できそうだった。
続く




