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逃亡馬券生活   作者: 狂死狼
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第8章  かなしき口笛 19

「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」

(2)  夏の終わりに


  その3


「じゃあ、なぜこんな物騒なモノを……会長の意を無にしてまで」ナカムラさんも何かを隠している。この期に及んで。

「うるせえ。俺はこの世界で生きてくと決めたんだ。そのためには力だ。力が要るんだ。他を圧倒する金と攻撃力だ。まずは俺が力を身につけて天見の親分を担ぎあげる。そのためならなんだてするさ。だからと言って法律を破ればすぐに塀の中だ。俺は法律すれすれの詐欺にはならない儲かる営業を目指してきたんだ」伊藤はほくそ笑んだ。「俺は……親もない。兄弟もいねえ。この街で一人野良犬みてえに生きてきた。こんな俺を人並に扱ってくれたのは天見の親分とミエさんだけだ。だから俺は」

 それにしても暑い。暑過ぎる。それもそうだ。多少空調は効いているようだったが、狭苦しいトイレの個室の中に大の男3人がぎゅうぎゅう詰めだ。外は35度を超す猛暑なのだ。俺はしたたり落ちる汗を拭うことも出来ずに、だんだんと苛立ってきた。

「ばばあにすっかり精気を吸い取られたようだな」ナカムラさんは不敵に笑った。その額の汗も尋常ではない。

「そこには触れないでもらいたいね。俺の根っこの部分だ。ミエさんは、こんな俺をやさしく抱っこするように抱いてくれた。俺もミエさんを包み込むように抱きしめた。初めは騙すつもりで転がり込んだミエさんの家だったさ。だけど……いつしかミイラ取りがミイラさ」

「図星じゃねえか。お前さんもなんと奇特な。婆さんの身体はよほど良かったのかい」

 途端に、伊藤がまたエルボーを放った。察知した俺とナカムラさんは狭い個室の中でもさっとよけることが出来た。

「だまれ。もう話さねえ」

 俺は伊藤の右手の人差し指を思いきり奴の手の甲へと折り曲げた。ぼきっと鈍い音がした。すかさず伊藤の口を左手でふさいだ。

「ウぐあっ」伊藤が声にならない声を上げた。

「その選択肢は、今のあんたにはないね」俺はつぶやいた。

 たいして聞きたい話ではなかったのだがこれも仕事だ。それよりもこいつに痛めつけられたという深い恨みが勝っていたのだった。

「だから。俺は心底ミエさんに惚れた。この人のためなら極道を辞めてもいい。この人と一緒に静かに暮したいとまで思ったんだ」

「じゃあ、なぜ婆さんは死んだんだよ」

「あの人は……俺のために自ら身を引いたんだ。そりゃそうだべ。俺となんかじゃ……世間一般が許す訳がねえよ。歳も離れ過ぎてる。あの人は勝手によう、俺に夢を託して死を選んだんだ。それはあの人の……きっとせいいっぱいの愛だったんだ」

「はあ。それはおかしいだろ。たがいに好きだったら何も恐れず一緒になりゃ良いじゃねえか」

「ふ。そんなのは誰からも祝福される普通の恋愛の話しだ。俺とミエさんは違う。世間のしがらみが、互いの背中に背負うものが、それを許さねえんだ。わかるか」

「それで、別れたのか」

「……ああ。あの人に迷惑はかけられねえだろう。俺は別れを口にした。そしたらミエさんはただだまっていた。涙のひとつもなかった。だから俺は安心もしたが少し寂しくもあった。でも仕方がないと思ったんだ。そのあと……ミエさんは。自分の全財産を俺に分け与えてくれた。葬式代と墓石代だけ残してさ。ご丁寧に贈与税まで払って俺にゆずったんだ。そして首を吊った」

「そうか。なかなかスリリングな作り話だな」ナカムラさんは涙ぐんでうなだれる伊藤に、追い打ちをかけるようなことを言った。

「ああ? 作り話だと。そう思うなら勝手に思え。他人がどう解釈しようが俺

には関係ねえ。笑うなら笑え。ただ、おかげで俺は天見親分を男に仕立て上げることに成功したし、ミエさんへの愛情に終止符を打つことも出来た」

「ばっきゃろー! ふざけんな。命を賭けて愛した女のまごころにそんな言い草があるか。謝れ。今すぐミエさんに、全身全霊で謝れ!!」ナカムラさんは珍しく顔を真っ赤にして憤慨してみせた。

 え?

 ナカムラさんは……もしかして玉造ミエ氏になにか特別な感情を??

「そんなこと言われたって。知らんがな。俺だって彼女の死は……悲しくてやり切れないんだ」伊藤は崩れるように言った。

「やり切れないのはこっちだって、この野郎!」ナカムラさんが叫んだ。

 俺にはもう何が何だか……この事件の真相とか全容を暴くとか。そんなことにも興味を失いつつあった。

 その時だ。個室の外でどかどかと怪しげな足音と怒号がこだました。

「こら、何やってる。てめえら出てこいや!」

 おそらく警護している警察にも劣るとも勝らない、命知らずの極道の者たちが小さなトイレの個室を取り囲んだようだった。

 俺は観念した。また極道にとっつかまって痛めつけられるのか。……はあ。

 こんなんだったら、警察に自首して冷や飯ホテル経由で懲役のシェアルームにでも、率先して入居するべきだった……



   続く



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