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逃亡馬券生活   作者: 狂死狼
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第8章  かなしき口笛 12

「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」


(1)  花菜の決心 


 その12



 意識は朦朧としていた。

 あれから三日の間、俺たちは伊藤の指示によるあらゆる拷問を彼の部下から受け続けていた。散々に痛めつけられたのだ。もはやこれから、生きて人生を楽しもうなどという希望は見いだせなくなった。どうせなら早く殺してくれよ……そんな思いにかられていたのだ。

 口の中は鉄臭い血の味と匂いで充満していた。破れた皮膚がひりひりと痛む。体中に打撲による紫色に腫れあがったアザが出来ていた。骨も折れている箇所があるかもしれない。それぞれの部位の痛みは、ある一定の周期で順繰りと回ってくるように感じられた。おそらく脳ていうのは極限の激痛を緩和するために同時に感じる痛みの範囲を狭めているのではないのだろうか。末期の病気や致命傷を負った者、きっとこういう風に……痛みで発狂することがないように身体が勝手にドーパミンのような薬物を発生させて自衛手段に出るのかも知れない。この期に及んで全く意味のない冷静な考えなのだろうが。いずれにしても、命の危険はもう間近に迫っていた。


「ナカムラさん。生きてますか?」暗闇の中で俺は久しぶりに言葉を発した。すでに夜中の12時を回っている頃だ。時間の感覚もあやふやになっていた。

「ああ……なんとかな…」虫の息の細い声だった。 

夏だからまだ良かった。これがもし真冬だとしたら、とっくに俺たちは死んでいる。

 ナカムラさんは暗闇の中でうめき声を上げた。昼間あれだけ痛めつけられてもなお生きている。そのことが嬉しいような悲しいような……不思議な気持ちになる。

「でも、なんでこうも簡単につかまったのかなあ。花菜て言うんだっけ。裏口を行けばほぼ気付かれないで済むって、あの女そう言ってなかったか?」

「それはどうでしょう。たまたま警戒が厳重な日だったから、とか……ある意味仕方ないのでは」

「あのさ。俺、婆さんの家でコンドームを発見しただろう」

「ええ。見事な手口……あ、いや。裏技にはびっくりしましたよ。良くわかりましたねえ」俺は本当にあれには驚いたのだ。

「はずかしい話をするけどさ。俺、空き巣のプロだったんだ。あんなのプロの目にはお見通しよ。だいたい部屋の中を見ると、住んでる人間の、何ていうかシンパシーみたいのを感じるんだね。すると隠しそうな場所がわかっちゃうわけだ。それはね、霊感の強い人が霊の存在を感じるのと同じ感覚なのさ。だから殺人事件の現場に泊まり込むのと似てるんだ。だからといって、空き巣は泥棒だ。どんな事情があろうと重罪だ。何度か警察や塀の中の厄介になったよ。まともな仕事に就ける能力も無いしさ。死のうかと考えていた時だ。岡林所長に出会ったのは」

「へえ。ナカムラさんにそんな過去が。まあ俺も似たようなもんですけど」

「ここぞという時には確実に人様の財産を頂戴する。決して証拠を残さない。誰にも負けない能力があるんですよ。他人の家に忍び込むなんてのはお手のもの。絶対に気付かれない自信がある。だけど、まともな仕事はからっきし。それがなぜか探偵ていうさ、この仕事では役に立つんだよな。不思議なものですよ。それで私は生き返った。なのに、ここでは簡単に捕まってしまった。そこからしておかしいと睨んでるんですよ」

「ああ。なるほどなあ。ということは薬局ピエールのあの花菜ってのは……飛んだ食わせもんだ。実は伊藤とデキてるとか、でしょうかネ……。いいように利用されてるのかも知れません」

「はあ……そうか。君ってやつはなかなか、お花畑に生きるロマンチストなんだね」

「え。どういう意味ですか」

「馬鹿じゃないのかなってこと。いきなりやってきたよそ者に、地元の秘密を打ちあけるバカはいないでしょう。何のメリットもないし。下手したら自分が危険な目に遭うことになる。なのにあえて君に教える、ということは?」

「その心は……岡林探偵事務所 探偵マニュアル 第5条 人の言葉、仕草、表情、感情からその裏を読み取れ! 決して本当のことを人は言わない。でしょ。そこを考えてみては」

え。ということは……伊藤のことを探っている俺たちを、花菜が伊藤に売ったということのか?

そんな馬鹿な!!

「飛んで火に入る夏の虫だった訳だよ、我々は。まあ、わたしもまんまとだまされた訳で。君のことをとやかく言えませんがね」

 あさはかだった。店に来てくれたら教えてあげる。その言葉は罠だったのか。どこまでも女というやつは。まあ仕方がない。その身体を味わった代償は重かったという訳だ。こうなれば勝ち目はない。なるようになれだ。いよいよ覚悟を決めなければならないと思った、その時だ。

部屋の外でドスンバタンと激しく争う物音がした。

 うわあ、ぎゃあ、てめえ、こらあなどと言った怒声が漏れ聞こえてきた。

そして5分ほどたっただろうか。静かになったなと思ったら俺たちの傍に大きな男が立っていた。

「おい。大丈夫か。心配するな。俺は出院寅之助だ。助けに来た。ほら掴まれ」

言うが早いか、縛られたロープをナイフで切断し、俺たちは出院と名乗る男、その傍らの細身の男、二人の肩に担がれて脱出することになった。

深夜のせいか、幸い追いかける警護の人間はもういなかった。

 俺を担ぎながら出院は言った。

「色々知ってるんだろう。悪いことは言わねえさ。どうせなら俺たち出院組につけ。それがあんたたちの身のためだ」 

 助けられた安堵からか、俺はそんな話を聞きながら寝息を立てていた。ナカムラさんも三日間の耐えきれない拷問から解放された安心からか、鼾をかいて眠りに落ちた。


 目が覚めると、そこには大変な事態が待ち受けていた。



     続く



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