第8章 かなしき口笛 3
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない
。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴
ってゆく」
(1) 花菜の決心
その3
「すると、まさかこの家にひと晩泊るなんてことを」俺はそれだけは避けたい思いだった。
「そんな怪しい真似するわけないよ。ただ80近い老婆が簡単に自殺なんかするものだろうか」
「うーん。そう言われれば確かに……もしかして殺されたんですかね」
「それはどうかな。メリットが何もない。生きているうちにほとんどの財産を奪われてしまっていたんだ。口封じにしても殺すのは割りに合わないだろうしね」
「殺人でも自殺でもないなら他には……病死とか?」
「首をくくる病気なんておそらくないよ」
「じゃあいったい」
「成功を掴んで歳老いた人が簡単に自殺なんかしないんだよ。でも簡単じゃない複雑な何かが重くのしかかったかも知れないな」
「財産を失ったことなのかな。息子も今や資産家なんだし、別に生活に困ることはないだろうに」
「死んでもそうしたくない、多分プライドが邪魔したと考えるべきなんじゃないかな」
「プライドですかあ、78歳の老婆の。何なんですかねえ。俺には全然わからないですよ」
俺は家の中を隅々まで探ってみたが、何も手掛かりなど見つけ出せなかった。
じっと考え込んでいたナカムラさんはおもむろに立ち上がり、部屋の隅の古くさい小さな鏡台へと向かった。引き出しを開けて中を確かめた。意外に高級そうな化粧品がぎっしりと詰められていて、綺麗に整頓されていた。最近になって使われた形跡もあった。
しかしまあ、こんな家に一人住む老婆だからといって出掛けることもあるだろうし、化粧をすることだってあるだろう。特に疑わしいこともない。ナカムラさんは化粧品を全部取り出して引出しを引き抜いた。すると、引出しの底は2重になっていて爪でひっかけてスライドさせると秘密めいた狭いスペースがあった。そこに小さな紙袋を見つけて取り出した。
カセットテープくらいの大きさの箱が入っているようだった。
紙袋はO市の海岸沿いにある薬のチェーン店のものだった。店名と住所が書かれていた。
中の箱はコンドームだった。
「これが、おそらく知られたくないプライドなんだよきっと」
すごい嗅覚の持ち主だと俺は思った。この人に掛かれば家庭内のどんな秘密も速やかにばれてしまうに違いない。バツ2の独身だと聞いていたがその理由はきっと……。
それにしても78歳の婆さん……○戸のおばばのような人が? 俺は気持ち悪くなると同時に、いくつになっても男と女はやはりソレなんだなと思わざるを得なかった。
「じゃあ海の町Oまでドライブでもするか」
ナカムラさんは引出しの中を元通りにして言った。その手際は見事なものだった。寸分の狂いもなく化粧品類は元通りにおさめられた。岡林所長は俺とナカムラさんを似た者同士といったがとんでもない、俺には及びもつかない優れた技術の持ち主だ。それもそのはずだった。後で知ったのだが、ナカムラさんの過去の職業はプロの空き巣なのだ。
世の中のことは知れば知るほど、本当にますますわからなくなる。
さっそく俺とナカムラさんはO市までの海岸線をぶっ飛ばした。クルマで30分も走れば見えてくる。古くから大きな港があり、交易で栄えた町だ。坂が多いことでも知られており、ニシン漁が華やかなりし頃の御殿が丘の上に立っている。歌謡曲の舞台として歌われることが多い町でもある。
薬チェーン『ピエール』真港店。駐車場は50台ほど停められるスペースがある大きなものだった。『ピエール』はH道を中心に30店舗を超える今流行りのスーパー風の薬局だ。創業以来約10年程で瞬く間に店舗数をここまで増やしている。
平日の昼間はさすがに客足も少なかった。俺たちはまず、客の風を装って同じ銘柄のコンドームが置いてあるかを確かめた。薄々タイプの0.03ミリのヤツだ。あった。全く同じデザインのモノが陳列棚に置いてあった。ここで購入したことはほぼ間違いなさそうだ。
俺たちはコンドームを持ってレジに向かった。レジには30前後の細身の女がいた。名札を見ると『矢萩花菜』とあった。俺好みの優しそうな笑顔で迎えてくれた。
男二人がコンドームの箱ひとつだけ差し出すと、矢萩花菜はひきつった顔をして俺とナカムラさんを交互に見た。まあそれもそうだろう。
「あのすみませんが。このコンドームを以前買われた人を探してるんですけど。ここ1カ月くらいの間に……覚えていませんか」
あまりにも単刀直入な聞き方だった。
「いえ、それは。たくさんの方が買われるので……ちょっと」
明らかに動揺していた。何か知っているのは間違いないと俺はそう感じた。
ナカムラさんは感情をなかなか外に出さない人だが、はっきりと何かを感じたという表情だった。
「何か知っていたら教えてください。人一人の命がかかってるんです」
嘘でもないが本当でもない理由を付け加えて真剣に迫った。花菜は一瞬怯えるように周囲に眼をやりながら「……税込
756円になります」とレジを打った。出てきたレシートの裏にペンを走らせた。
『エル・ド・ラーデ』と書かれてあった。
「夜はここにいます。来てくれたら知っていることは話します」
明らかに花菜は怯えていた。
続く




