第8章 かなしき口笛 1
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(1) 花菜の決心 その1
汽笛が聞こえる。ボーっと低い音だった。大きな船が港を離れる合図だろうか。気がつくと、もう外はすっかり明るい。
そう、朝だ。
……どことも知れないホテルの一室。俺は汽笛の音で目覚めた。遮光カーテンからひとすじの明かりが漏れている。港にほど近いところにいるようだ。
え? ここはどこなんだ。なんで俺はこんなところに。気がつくと、俺は素ッ裸でベッドの中にいた。
「目が覚めた?」
女の声がした。
振りかえると、若い女がベッドの脇に立っていた。その顔は例えるなら、狐が人間に化けて出たような能面の冷たい表情を張りつけたような顔だった。といっても、普通に美人といえる整った顔つきだ。素肌にホテル備え付けのモノだろうか、寝巻のような浴衣を肩に羽織っていて、それ以外は何も身にまとっていない。つまり、豊満な乳房やピンク色の乳首が露わな状態で、後ろ手に腕を隠すようにして俺の方を見て立っている。窓から漏れる光のせいか、笑っているのか怒っているのか、はたまた悲しい顔なのかよくわからなかった。いや、目覚めたばかりで焦点が合っていないだけなのだろう。きっとそうだ。そして、焦点が合わない俺の眼は次の瞬間、彼女が突きだした鋭利な刃物を網膜に焼き付けることになった。
「おい。やめろッ」
「ごめんなさい。狂死狼さん。こうするしか……他に。アタシには他に方法がないの」
「おい。やめろー」
するどい刃物が俺の眼前に迫った。
「本当にごめんなさい」
「うわあー」
俺は今度こそ、地獄の淵へと旅立つ覚悟をほんの一瞬で決めた。
その刹那、女の名を思い出した。そうだ、花菜という女だ……。
5日前のことだった。
「これ、最近やたら多いな全く……」
「何がですか」俺は岡林所長が口にする誰に言うともなくこぼれた愚痴のような言葉に反応した。
「ああ。そうだな」
その時の事務所内と言えば、竹下さんはいつもに増してよそよそしかったし、陳さんもそれを意識しながらも自分の仕事に没頭している様子だった。ウサミさんは今担当している参議員選挙に出馬予定の格闘家の身辺調査につきっきりだった。選挙が近付くと探偵事務所はより一層忙しくなるということのようだった。もっとも、我が弱小探偵御事務所には、全国規模の選挙にはあまり縁がなかった。たまたま格闘技つながりでウサミさんが抜擢され、重宝されたということのようだった。
そんな折に、俺とナカムラさんに所長の白羽の矢が立った。ナカムラさんという人は入社以来、なかなか俺にとっては苦手だった。簡単に言うと、学者崩れのインテリのような人だった。標準体重よりずっと痩せていて、ひょろひょろしている。なんだか俺とは、似て非なる人だよなあと感じていた先輩だ。
岡林所長は言った。
「ちょうどいい。似た者同士でこの案件さ、ちょっと調べてくれ」
あ。何が似た者同士だよ。この方とは似て非なる人なんだよ! とは言えずじまいで、俺とナカムラさんはコンビを組んで調査をすることになった。
その案件とは、最近よくある振り込め詐欺の実態調査だ。それも年寄りが多い年寄りの町、港が見えるO市だ。
そんなのって警察の仕事じゃないの? と、おっしゃる方。半分合ってるし半分不正解だ。確かに警察の仕事なんだ。でも、それは明らかに被害に遭った被害者が訴え出た場合のみだ。それ以外は結局、泣き寝入りか私費を投じてでも個人的に調査するしかないのだ。そのおはちがこちら探偵事務所に廻ってくるという訳だ。
さっそく俺とナカムラさんは調査を始めることになった。
調べるほどに、この振り込め詐欺というモノは根が深いし、高齢化社会のゆがみを狙った犯罪としては本当に、思わず尊敬しそうになるほど良く考えられた犯罪だ。
この振り込め詐欺犯罪グループの熟練者に掛かれば、普通の田舎のジジババの浅はかな抵抗手段など、全く取るに足らないものであった。
続く




