第7章 さまよえる者たち 22(最終回)
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(3) 女たちのララバイ その6
病院を出た時のカオリは、まるで夢遊病者のようだった。俺の告白をその胸に受け止めているのかどうか、判断することはできなかった。何も語らずただふわふわと、どこへ行くとも感じていないような足がアスファルトを踏みしめては機械的に浮き上がるという歩き方だった。花蓮もまた似たようなものだった。彼女の仕草はすでに3歳児の様相を呈していて、見た目とのギャップがかなり激しく感じられた。
そして、暴走車両は全く容赦がなかった。一瞬の出来事だった。幼稚園児たちにぶつかるまでの間、ブレーキをかけるどころかさらに加速していく様に、より一層の恐怖を感じさせた。悲鳴のような叫び声が歩行者たちから漏れた。
プリウスは園児たちをなぎ倒すように駆け抜け、何人かがひねりつぶされた。園児を守ろうと健気に覆いかぶさった若い女性保育士もひとり弾き飛ばされた。それでも勢いが収まらないプリウスはそのまま2台の対向車両と接触し、ようやく電信柱にぶつかり前部を大破して停まった。
この有り様ではおそらく死者が4~5人、いやもっと出るだろうと予測された。運転手の老人はうずくまり頭から血を流していた。
歩行者たちが一斉に事故現場へと近づいていって携帯電話を取り出して現場の撮影を始めた。中にはすぐ来いよなどと電話して、面白おかしく話す者もいた。
一連の衝撃的な出来事を目の当たりにして俺たちは驚き、立ちすくんでいた。
カオリと花蓮の様子が明らかに変わった。その場に崩れ落ちるように倒れた。
病院の目の前で起こっった事故だということが不幸中の幸いともいえた。すぐに負傷者は職員の手によって病院内へと運び込まれた。カオリと花蓮もまた病室へと運ばれた。しつこくスマホのカメラでつきまとうSNSかぶれの馬鹿者どもに俺は舌打ちをした。
「狂死狼さん……ごめんなさい」と言いながらカオリは俺を見た。そして気を失った。
花蓮もまた担架の上で弱々しくつぶやいていた。
「今日はワタシ……3歳の誕生日なの……」
そうだ。ふたりとも交通事故がきっかけだ。事故の衝撃から、その時からずっと彼女たちの心はさ迷い続けていたのだ。現実を受け入れることが出来なくなった彼女たちの魂は身体から切り離されて、この世と別の世との狭間をずっとさ迷っていたのだ……。
それから1週間が過ぎた。
俺の解釈とゆい吉先生、出江教授とでは少し見解に違いがあったが、概ね同じような意味合いのことを話した。
彼女たちはこの1週間を病院で過ごし、すっかり元気を取り戻した様子だった。ただし、これまでの記憶のほとんど全てを失っていた。
俺の顔を見てもカオリは何も反応しなかった。あの告白について話すこともなかった。なぜかチャンゴにはすっかり頼り切っていて、全てを任せて寄り添っていた。このあと二人はどうなるのだろうか。俺にはもう関係ないことだと強く感じた。
俺は北川を呼び出し、これまでの経緯を簡単に説明して花蓮に会わせた。花蓮は北川を思い出すまでに少し時間を要したが、やがて記憶が呼びもどされると同時に彼に抱きついて号泣した。
「すまなかった。ゆるしてくれ。俺が俺が、悪かった……。もう一度やり直そう。愛してるから」
北川言葉に花蓮は大きくうなずいた。彼の今の気持ちに嘘はないようだった。先のことまでは俺にはわからないが……。
暑い日が続いていた。もう7月が近い。
俺はふたたび探偵事務所の慌ただしい仕事に揉まれながら、これまでと同じ逃亡生活に戻った。優香との関係も変わらずに続いた。
高齢ドライバーの免許返納が社会的な関心事となり、アクセルの踏み間違いを防止する装置や人を感知して自動で停まる装置の開発も急ピッチで進んでいるらしい。
だが、そんなことよりも俺は、○○市の警察の動き、シンちゃんのその後の容体、カオリの関係者らの動向に気持ちが向いていた。
今はすっかり忘れ去っているようだが、いずれカオリは記憶を取り戻すことだろう。その前にチャンゴが全てを打ち明けるのかも知れない。
いずれにしても俺の明日に安らぎなどない。
いや、ひょっとしたら……カオリは全てを覚えていて、押し黙っているだけなのかも知れない。
だとしたら、おそらくそれが彼女の……。
続く




