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逃亡馬券生活   作者: 狂死狼
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第7章  さまよえる者たち 21

「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」


(3)  女たちのララバイ その5



「ふざけたことを言わないでくれよ。そんなことを言って欲しくない」

 チャンゴはとうとう泣きだした。

 俺は殴られた左の頬を手のひらで押さえながら、痛みや怒りよりもチャンゴの怒りに驚いた。でもまあ、たしかにマズいことを言ったと思う。

「いや、ごめん。俺が悪かった」

「ごめんこっちこそ。でも、俺だって。俺だってさ……あんな風に人を物みたいに言われると」あふれ出る涙をチャンゴはこぶしを握ったままの右手でごしごしと拭った。

「お前は悪くない。俺の方が」

「いや、そうじゃない。そうじゃなんだ」

 チャンゴは大きな声を出してわんわんと泣いた。その姿は異常にも見えた。

 ひとしきり声を上げ続けたチャンゴはしゃくりあげるように言った。

「俺なんかさ……狂さんに、真っ先に殺されるべき人間なんだ」

「え? なんだそれ」

「俺は小さい頃さ、とんでもないことにこの手を染めてしまったんだ」

チャンゴは握りしめていた両手をゆっくりと開いて見つめた。

「どんなことだよ」

「俺の生まれは本当のド田舎。家はド貧乏さ。今日食うコメにも困る生活だったんだ。親父は身体を壊して働かずに飲んだくれるばかりでさ。一家5人いつのたれ死んでもおかしくなかった」

「それは同情するよ。大変だったんだな」

「長男の俺はさ、小さい頃から金になることは何でもやったよ。新聞配達、皿洗いに芋拾い、」

「そんな過去があったのか……」

「でね。近所にさ、ネコをたくさん飼ってる美容室があったんだ」

「へえー」

「田舎だからネコの避妊手術なんて誰もしないんだ。だからそこでは3~4カ月に一度、猫が孕んで子猫を産むんだ」

「まあそうだろうな」

「そこで、生れるたびに家に頼みに来るんだ。仔猫を始末してくれってさ」

「え?」

「すると俺はその目も開かない生れたばかりの仔猫を紙袋に包んで、近くの川に捨てに行くんだ」

「ええ?」

「みゃあみゃあ鳴いてうごめく紙袋を、俺は何度も、何度も、橋の上から投げ捨てたんだよ。そうして得る1000円ばかりの金が、俺たち家族の今日明日生きる糧になるんだよ。仕方なかったんだよ。ううッ」チャンゴは顔を両手で覆ってまた泣いた。

「そんな……」

「だからさ、俺はさ。狂さんに何回殺されてもいい人間なんだ」

「いや、それとこれは話が違うよ」

「何が違うってんだよ。あの、みゃあみゃあ鳴く仔猫の入った紙袋……あの感触、重み。ぽちゃんと落ちて海の方へと流れてゆく紙袋が浮かんでは沈むさま。どれもこれも鮮明に覚えてる。今でも夢に出てくるんだ」

「いやでもさ、それはお前が悪い訳じゃないさ。殺してくれと頼んだ飼い主の罪だろう。それにさ、そんなこと言ったら毎日殺される豚や牛、鶏はどうなんだよ。喰うために何万何十万という数が毎日殺されてるんだって。なのに誰も騒がない。動物愛護の連中は知らんぷり。同じ動物じゃないのか。ネコやイヌの虐待は許さないのにさ。おかしくないか。豚や牛や鶏は動物じゃないのか。喰らう動物はいくら殺しても見て見ぬふり。変な病気が蔓延しようものなら皆殺しの大量虐殺。ホロコーストだ。まさしくこれは差別であり動物虐待じゃないのか」

「そんなこと俺が知るかよ」チャンゴはまた泣き出した。

「だから気にするなって。お前がしたことは屠殺場で働く人となんら変わらない。善意の行為だと、そう言いたかったんだ」

「そんなことあるかよ」

 そうか。チャンゴはそんなトラウマをかかえて生きてきたのか。俺なんかよりはるかに深い闇をかかえて生きてきたのだろう。それに比べて俺はどうだ。一時の激情に駆られて人を刺した。どうしようもないクズだ。俺に動物虐待を語る資格などない。


 2時間も経っただろうか。ゆい吉先生が診察室から出てきた。

「やあ。待たせたね」

「どうですか先生」俺はもどかしく訊ねた。

「えーん。むずかしいねェ」

「え? それはあの、どういう意味ですか」

「二人とも身体的な異常はほとんどみられません。花蓮さんの方にはかすかに脳の委縮が現れてはいるけども、さほど顕著でもない。確かに両方とも心身喪失めいた症状が現れてはいますが、現段階でははっきりと決めつけられるほどではありませんでした。これ以上の診察や処置はお二人の意思、もしくはご家族の承諾がなければ進めることはできません。残念ながら、これ以上は私たちの限界なんですよ」ゆい吉先生は困ったような顔をした。

「でも、このままほっといたら、どちらも危ないんじゃないんですか」俺は食いさがった。

「それは経過を診てみなければわからないことです。この二人をこのまま縛りつけておくわけにはいかない。そこが問題なわけです」

「それじゃ、出江教授に頼んでも駄目なんですか」

「ええ。それは同じです。我々医者にはそこまでの権限はありませんから」

「そうですか」

「申し訳ないです」

 頭を下げるゆい吉先生に対して、却って恐縮する思いで俺たちはお礼を言った。そして彼女たち二人を診察室に迎えに行き、何でもなかったよと空々しく声をかけて病院の外へ出たのだった。診察に掛かった費用はゆい吉先生のご厚意により請求されることはなかった。

「もう。チョコレートパフェお代わりね」

花蓮がほっぺたを膨らませて俺たちの後ろを付いてきた。

「ああ。いいよ。何杯でも食えるだけ食えよ」

 その時だ。病院の正面玄関から見て、左側の交差点だった。保育園児が籠の中のような入れ物に10人ほどずつ入れられた行列が、保育士の先導で青信号を渡っていた。

そこに猛スピードの白いプリウスが突っ込んできた。そのまま幼児たちが入った籠に容赦なく体当たりした。

俺は見た。驚きを隠さずに、それでもアクセルを踏み続ける運転手の顔は、どう見ても80を超える老人だった。



     続く


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