第7章 さまよえる者たち 20
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(3) 女たちのララバイ その4
部屋の奥には積木遊びをする花蓮がいた。中はゴミ屋敷と言うほどでもなかったがそれでも煩雑に物が散乱し、複雑に衣類や家具や雑誌などが積み重なっていてかなり汚い部屋だった。おそらく永年にわたり売春婦たちがすさんだ生活を営んできたのだろう……。積木の他にも様々な子供のおもちゃが散乱していた。ここで仕事をしながら子育てをした者があったということなのだろう。令和になっても、昭和のままに時間が止まってしまったようなそんな部屋だった。
「花蓮ちゃん。チョコパフェ食べに行こうか?」俺が声をかけると、花蓮はまさしく子供そのままの笑顔で「行く行くっ」と、はしゃいだ。
意識を失ってうつぶせになったカオリを、俺とチャンゴのふたりで腕をつかみ、部屋の外へと連れ出した。人目を気にしながら急いで通りに出てタクシーを掴まえた。
「その人具合が悪いのかい。え。まさかっ」運転手が振り向き、カオリを見て眉を吊り上げた。後部座席にカオリ、チャンゴ、花蓮と乗り、俺は助手席に乗り込んだその時だった。
「あ、僕の妻なんです。ちょっと貧血気味で吐いたら気を失って。○△病院までお願いします」チャンゴがとっさにそういってゆい吉先生の病院の名を口にした。
「大丈夫かい。アレだったら救急車の方がいいんじゃないのかい。警察沙汰はやですよ」
「いや大丈夫です。救急車を呼ぶほどではないんで」俺が答えた
運転手とのやり取りを聞いて花蓮が頬を膨らませて駄々をこねた。
「ええー。チョコレートパフェはぁ。病院ヤダ。ヤダヤダヤダぁ」
運転手はきょとんとしている。
「あー。ごめんごめん。後で必ずね。ちょっとだけ我慢して付き合って。お願いだから」俺は必死でなだめた。
運転手はそのやり取りを聞いて、俺たちを不審に思うよりも気の毒に感じたようだった。
「まあ、あれだね。なんだか大変そうだ。アタシの身内にも居るんだわ。養護学校に通ってる子がネ」
俺はその言葉に少しムッとしたが、悪気があるとも思えないので我慢した。
「ええ。そんなとこです。お願いします」
「よっしゃ、じゃあ行きまっせ」
タクシーは制限速度をかなり上回るスピードで病院までの道のりを走った。もっとも、たかだか5分ほどの距離だったが。
ゆい吉先生はすぐにカオリと花蓮を診察してくれた。事前に打ち合わせていたのもあるが、受け持ちの患者を投げうっての緊急対応だと感じた。
どんな診察なのか、あるいは何かしらの施術が行われたのかどうかまでは俺たちにはわからなかった。
俺とチャンゴはただひたすら待合室で待つより他になかった。
ふたりが並んで椅子に腰かける長い長い時間。それはそれで不思議だった。
「なんで言ったの。あのことをカオリに」
チャンゴが俺に訊いてきた。それはそうだろう。あのタイミングで、心身ともに弱り切っていたカオリによけいなショックを与えて良い訳がないのだ。それはわかっていた。チャンゴにしてみればそのことに怒りしかないのだろう。
「いやわからない。俺にもよくわからないんだ。あの状況で言うつもりはなかった……いや、あの状況だから言う決心がついたんだと思う。いつかは真実を言わなければならないとずっと思っていたし、このタイミングを逃したら一生言う機会を逃すんじゃないかと思ったんだ」
「それってあれなの。カオリさんがもうすぐ死ぬとか……このまま元には戻らないと思ったから?」
「うーん。それもあるかも知れない。ただ、全ては俺のせいだから。俺が彼女の人生を狂わせたのは確かだから……真実を、たとえ今は頭では理解出来ないとしても、心の奥に刻み込むように教えておきたかったんだ。きっと。そうすれば、彼女のさまよえる魂が戻ってくるんじゃないかと思ったんだ」
「なるほどね。でもそれでもし、彼女の意識が戻ったとしてさ。さっきのあの言葉を覚えていたら……いったいどうするの。死ぬほどあんたを憎むだろうし、警察に通報するだろうし、捕まるよ絶対。それを止めることなんかできやしないよ。そうしたらどうするの?」
「その時はそのときさ。いつでも俺は覚悟してるよ。逃亡生活ではあるけど、いつか逃げ切れなくなってつかまってしまうなら、それでもいいと思ってるんだ」
「良くないよ。あんたは正義の鉄拳を振るっただけなんだろう。それほどにあの男はひどい奴だった。そうなんでしょう。法律上、いくら犯罪だからといって、むざむざ捕まる必要もない。ねえそうでしょう」
「そんなこと言われても……」
「それにさ」
「それに?」
「優香さんはいったいどうなるんですか」
う。痛いところを突いてきた。そうだよ。そこなんだよ。こいつは何でもお見通しだ。やっぱりチャンゴだ。でも今ならはっきりと言える。
「あいつを助けたい。いつだって一番に考えてるさ。だからこそ、俺一人が捕まるのが一番いいんだ」
「じゃあ残された優香さんは」
「うん。俺はさ、その時はミウラに彼女の面倒を見てもらおうかと考えてるんだ」
いきなりチャンゴの鉄拳が俺の顔面に飛んできた。目玉の中に火花が飛んだ。
「つッ」
……避けることは出来なかった。
続く




