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逃亡馬券生活   作者: 狂死狼
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第7章  さまよえる者たち 15

「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」

(2)  交差する女 その5



「それはどういう経験なのですか?」

ゆい吉先生の求めに応じて俺は知る限りの花蓮の過去を話し始めた。

「……今から5年前、彼女は男の子を出産しました。北川と結婚して2年目のことです。彼女は普通の家庭で育ち、短大を出てホクホク銀行に就職しました。何人かの男と付き合ったこともあったけど、あんまり長続きはしなかったようです。一人身だった8年ほど前に職場の先輩だった北川に声をかけられて交際をスタートさせました。そして1年後に職場結婚となったわけです。北川の家は地元でも有名な地主で名士の家柄です。ボンボン育ちの北川は、若い頃相当グレていたました。まあ、それもいい加減あきて親族が経営に加わるホクホク銀行にコネで勤めてからは人が変わったように真面目にやりだしたんです。結婚を機に昇進して責任を持たされるようになってからは、その仕事ぶりはすこぶる評判良くなりました。子供が生まれるとともに、融資関係の重要なポストにつくようになりました。夫婦仲も表向きは円満でした。北川の女グセの悪さを除けばですけどね。彼の両親も、息子が真面目になり後継ぎもできたことからすっかり安心してしまい、一家全員が幸せを信じて疑わなかった、正にそんな時でした」

「へえ……で、そんな時に何があったんですか?」

「その待望の男の子が3才の誕生日を迎えたのことです。その日、一家で高級レストランでお祝いをしようということになったらしいんですよ。花蓮も息子さんもおめかしをして出かける準備をしました。北川も仕事を早く終わらせて家に戻り、急いで支度を始めたんです。そして花蓮はクルマを出します。酒を飲めない彼女はいつも運転手でした。その少し前に、実は旦那あてに怪しげな女からの電話があったんです。北川の携帯におかしなメールを発見して以来、浮気がほぼ確定的な状況の中で敵対心をむき出しにした若い女からの電話ですよ。彼女はパニック状態だった訳です。そして……上の空で、車庫からアルファードをバックさせた時、息子が車庫の前に座り込んでたんです。外に飛び出してしゃがみ込んで遊んでいたんですよ。『ぐしゃッ』という嫌な音がしたそうです。それから『ぎゅっ』て、聞こえるか聞こえないかの小さな叫び声をあげてクルマの下に息子が挟まれました……。 彼女は気が動転してしまい、茫然と挟まれた息子を見つめていました。ややしばらくそて息子は息絶えました。それから彼女の様子が何もかも変わったというんです」

「どういうふうに?」ゆい吉先生は眉間に深いしわを寄せた。

「その日を境に彼女は時間を逆行し始めた、というんです。初めはゆっくりだったものがだんだんと加速し始めました。つまり、事故のことを一切覚えていないばかりかやがて出産したことや結婚したことも忘れてしまいました。だんなである北川のことも記憶から消えてしまったんです。事故後すぐに北川家の意向で離婚されてしまい、交通刑務所で1年ほど過ごした後は実家に戻ったんです。でもほとんど居つかずに放浪生活を始めています。生活は男に買われることで維持しているようです。そして今では小学生にまで戻ってしまったようなんです」

「それは……うーん悲惨な、過去だねえ。とある仮設が今、頭に浮かぶんだが……いや待てよ。そうだな、自信持てないな」

 ゆい吉先生は苦悩の表情を見せた。まずくて臭い煮魚に鼻をつまむような仕草のようにも見て取れた。

「そうですよね……」

俺はこれ以上、ゆい吉先生に負担を掛けさせてはいけない。そんな神妙な気持ちになった。

「そうだ、よし。出江教授の意見を聞いてみよう」

「ええ。はい」俺は安心した。教授ならきっと……。

ゆい吉先生と俺とチャンゴは出江教授の元へと向かった。


「うーむ。それはアレだよねえ。たしかにカオリさんの症状と似通っているんだがねェ」

 出江教授はいつもと変わらぬ毅然とした態度で話を聞いたあと、しみじみと言った。

「同じ現象なのでしょうか?」ゆい吉先生が俺に変わって尋ねてくれた。

「いや、これは似て非なるものなのだよ。カオリさんは先祖帰りなんだろうけどもね。ただ、それがいったい何を意味するのかはゆい吉先生とは少し見解が違うかな。ご先祖様が望んでいることは、カオリさんへの気づきなのだと思うんだ。ある意味、したたかな人生を生きられたご尊母様が、カオリさんに強く生きることを示唆していると思うのだよ。だけど、花蓮さんの方はちょっと話は違いますなあ。いわゆる、赤ちゃん帰りといわれる現象だよね。これはねえ、壊れそうな脳を守るためというよりは、壊れた脳が縮小するために起きる現象なのだと思いますね。おそらく、今の花蓮さんの脳は7割くらいにまで委縮してしまってるんじゃないかな。同じ症例は世界中を見ても極端に少ないのですが……」

 なんだって。

 俺は以前、担当した事件を思い出した。残酷な拷問を受けた女子高生の脳はすっかり委縮してしまい、通常の8割ほどの容量になっていたという。それは地獄の苦しみから逃れるために、生命が身を守る最後の手段として行った自衛手段なのだという。悲しいことに、拷問の果てに死を迎えた女子高生は、最後の最後お花畑にいるような幸せを感じて死んでいったのかもしれないのだ……。

 だとすると、花蓮はこのあといったい?



     続く


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