第7章 さまよえる者たち 4
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券はいまいちだが、共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(1) 消えた女 その4
「……電波が届かないところにおられるか電源が入っておりません」
携帯電話からは虚しい電子音声が流れるだけだった。
カオリの次に今度は優香までが消えるとは。女難の相から、正反対の運気に変わったということなのだろうか。優香は前に死んだ振りのイタズラをしたことがあったが、そんな感じでもないようだ。
まあ、彼女には彼女の事情ってものがあるのだろう。そのうち戻ってくるさ。仮に戻らなかったとしても、その時はその時だ……。
俺はたいして気にもしてない素振りを、無理やり自分に言い聞かせた。
気晴らしに飲みにでも行くか。昨夜もチャンゴと二人、酔いつぶれた。さすがに連チャンはきつかったが、優香のいない部屋に一人でいたくない気持ちの方が強かった。ぶらりと俺の足は繁華街へと向かった。
昼間がいくら暑くてもさすがにまだ5月だ。夜のH道は冷え込んでいた。コートなしではいられなかった。
優香がいない『ルージュ』へ一人で行くのも気が引けた。ぶらぶらと通りをふらつき、なんとなく目に入った『カレン』という店のドアを開けた。
渋い雰囲気の初老のマスターが「いらっしゃい」と声をかけてきた。落ちついた雰囲気のバーだった。
俺はカウンターに腰掛け、濃いめの水割りを頼んだ。ただ静かに飲みたい、そんな夜だった。
カウンターの隅にひとりの女がいた。俺を見てにこやかに微笑んだ。俺はかるく会釈をしてからグラスを持ち上げて乾杯の仕草をした。女も笑顔でグラスを持ち上げた。まんざらでもない様子だ。透き通ったような肌に整った顔立ちの美人だった。歳の頃は30代半ばといったところか。
「ここにはよく来るんですか?」めずらしく俺は女に声をかけた。
「いえ。初めてです」女は微笑みながら答えた。
「そうなんですか。私も初めてです。ご一緒にどうですか。おごりますよ」俺はなんとなく彼女に興味を感じていた。といっても下心というのとは違っていた。妙齢の美女にそう感じない方がおかしなことなのだが、不思議に違っていた。だからこそ、すぐに席を立って彼女の隣りに座ることが出来た。いつもならばそんな積極的な行動に出ることはありえないのだ。
「何を飲んでるんですか」俺は尋ねた。グラスの中身はオレンジ色のカクテルだろうと思われた。
「オレンジジュースです」
噴き出しそうになった。この雰囲気の店でジュースを飲んでいるって? 確かにストローがささっているから変だなとは思ったが。
「そうなんですか。酒は飲めないのかな」
「ええ。飲めません。まだ未成年だし」
冗談が好きな女だと思った。いきなり初対面でそう来るか。
「ふふふ。面白いヒトですね。何をしている方ですか?」
「ええ。主婦をしていたんですけど今は……色々あって」
「未成年なのに? よほど若く結婚されたんですね」
「結婚は25の時に」
「ほほう。なんだか計算が合わない気がしますね」
「ええ。そうなんです」
生真面目な顔で彼女は言った。別に冗談を言ってウケようというのでもなさそうだった。どういうことだろうか。世の中にはいろいろな人がいるものだ。あまり深入りしてはいけない気がしてきた。
「じゃあ、もう一杯。オレンジジュースでいいですか」俺は一杯奢ると言った手前、次の一杯を勧めた。
「あのう。パフェとかありますか」
マスターはおやといった顔をしたが「簡単なヤツなら出来ますよ」と答えた。
「ふふ。率直に言ってほっとけない感じのヒトですネ。いつもこういった店でジュースやパフェを?」
「そんなことはないですよ。なんだか自分の中で昔と今と未来とが交差していて時々何が何だかわからなくなるんです。そいう時はふらりと」
そういった彼女の横顔を見ると、俺はなんだかカオリの今を見たような気がした。この女性にも似たような経験があるのだろうか。
マスターが差し出したチョコレートパフェを、彼女はむさぼるように食べた。口の周りにチョコレートがついて、黒ひげ船長のようになっていた。
「名前を聞いても。俺は狂死狼っていいます。あなたは?」
「はい。花蓮といいます」
マスターがへえという顔を見せた。だからこの店にやって来たのか。
わかりやすいのか複雑なのか、正直なのか嘘つきなのか。
俺はなぜかこの女、花蓮に強く惹かれるのだった。
続く




