第6章 競馬狂の詩 38
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券が唯一の生活の糧だ。共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(4) 大脱走
その11
「気分はいかがですか?」
真っ暗だった。奈落の底とはこういうところか。天国なのか、地獄なのか。女の声がした。「では、はずしますよ」
顔を覆っていたゴーグルのようなものが外された。
俺は狭いベッドの上に仰向けになっていた。まわりを見るとウサミさん、鉄三郎、ミウラ、それに小間田や巻原、芳村もいた。あ、シンも。他にもゴーグルのようなものを取り付けたままの者たちが大勢いた。
「ここは……一体がなにがどうなった。あッ」
ベッドの傍らには木原元気の姿があった。
「あ、君は。肩の傷はどうした?」
「大丈夫ですよ。全てはアトラクションの中の出来事ですからネ」
「え? アトラクション……いや、実際に俺たちは命からがら脱出をはかって……そして、最後は剣の闘いになって。そして。あ。そうだよ。地面が崩れて……え?」
「ここはアルメティオ・メッツ社の視聴覚教室。あなたは弊社の最新型3Dバーチャルシステムによってリアルに夢と冒険のアドベンチャーを体験されました。いかがでしたか。ストレス解消、健康増進、新陳代謝向上などの素晴らしい効果が体験者の95%に顕著に現れているんですよ」
「視聴覚教室……ここだけ学校みたいな。いや、それより、これまでの体験は全てバーチャルだったっていうのか? そんなはずは」
周りにいる者たちはそれぞれベッドから起き出し、何事ともなかったかのように背伸びをしたり屈伸をしたり欠伸をかみしめていた。
「今回は弊社のプロモ-ション企画にご参加を賜りまして、誠にありがとうございました。おなかもすいていらっしゃることでしょうからどうぞ。別室にてランチをご用意してございます。また、シャワーお風呂に着替えもどうぞ」
木原元気は別人のような笑顔だった。丁寧でさわやかなもの言いだ。
シャワーを浴びてランチの席に着くと豪華な料理が盛りだくさんに並んでいた。むさぼるように俺たちはぱくついた。会場には50人ほどが集まっていた。
なにがなんだかさっぱりわからない。というか腑に落ちないことだらけだった。
しかし、なぜかみな、押し黙ったまま黙々と食べている。お互い不信感だらけのはずなのだが、不思議に誰も疑問や不満の声を漏らすことはなかった。
つまり、俺たちはあのバーチャル体験によって、この上ない充実感に充ち溢れていたのだ。はっきり言えば幸せな気分につつまれていた。
気づくと、捜索を依頼されていた人物10名が皆ここにそろっていた。その他の人々も、おそらく捜索願が出されている者たちなのだと感じる。
食事が終わる頃、木原元気がまた登場した。
「お疲れ様でした。体験ツアーの方々、そしてここで研修を受け、無事依存症を克服なさった皆様方。おめでとうございます。そして、ありがとうございました。どうかこれからの人生を、素晴らしい有意義なものに変えていただきたいと思います。またここに戻る様な事は絶対に許しませんョ。わかりましたか。よろしくお願いいたします」
元気は深々と頭を下げた。拍手が沸き起こった。
「会長、これは?」俺は鉄三郎に問いかけた。鉄三郎は口に人差し指を当て、首を横に振った。何も言うなとの合図だろう。俺は口を閉ざした。
ウサミさんは何だか上機嫌で、俺の剣の腕もどうのこうのと浮かれていた。
帰りは大型バスが用意されていた。食事の会場にいた全員が乗り込んだ。ミウラは名残り惜しそうにホクトベガといちゃついている。やはりあの二人は……チュッと交わしてからミウラも乗り込んだ。バスの中には出発の時に顔を合わせたあのマスクの若い男もいた。どことなくバシ男に似ている。
私物は全員に返された。受け取ったスマホを見ると、まだ3日しか経っていない。2週間はここで過ごしたはずだが……。
一体あの体験は何だったのだろう?
無事任務を果たしたのだからまあいいとしようか。あれが全てバーチャルだったとするなら、いったいどこからどこまでがバーチャルだったのだろう。
気がつくと建物自体が来た時とは違うように見えた。『アルメティオ・メッツ総本山』と書かれた看板が目についた。幹部が総出で見送りをしてくれた。
要塞のように感じた雰囲気はすっかり変わっていた。なんだいったい? 俺はキツネにでも化かされたような気分になった。けれど……。
なぜか怒りは湧いてこない。
しばらく走ったバスの窓から振りかえると、巨大なイワヤーンが手を振っていた。その横に1号機だろうか。巨大なサボテンも手を振っていた。
人生なんてそもそもがバーチャルそのものなのだ。死んじまったらそれで終わり。バーチャル終了となるだけだ……。
俺は強烈に思った。
早く優香に会いたい。
続く




