第6章 競馬狂の詩 17
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券が唯一の生活の糧だ。共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(2) 欲望の渦の中で その13
「一緒にやって来たうちの筋肉マンは事務所の同僚なんだろう。もう一人の親父、あれは誰だ?」
ミウラは耳元でささやくように訊いて来た。さっき俺に見せた、あの壊れたような様子は芝居だったのか……。
「あの人は協力者だ。前にここを脱出した経験がある人で案内役だ」俺も周りに聞こえないように小声で答えた。「それより、お前はいったいなんでここに?」
ミウラは周囲を窺うように首を動かしてから言った。
「死にたがってる奴がいてな、俺の荒療治でそいつはようやく立ち直ったのよ。そしたら親にもえらく感謝されてさ。金一封もいただいたのさ」
「良かったじゃないか。それで?」
「ところがそいつ、落ち着いたと思った間もなく今度は行方不明になってさ。いろいろ探ったところ、ここにいるってことを突き止めたのよ。それで助け出すためにな……」
「なるほどな。俺たちと目的は同じか。だったら協力し合う方がよくないか?」
「いや、それは駄目だ。却って目立つことになる。ワイはワイのやり方でいく。お互い干渉するのはよそうぜ」
「ここは超危険過ぎる場所だぞ。いいのか?」
「ふふん。ワイはプロやから大丈夫。そっちこそ自分の心配しろよ」
ふざけんなと言いたかったがやめといた。にっこり笑って俺は彼の額に軽くでこピンをした。
「死ぬなよ。いいか、薬には気をつけろ」
「あんたもな」ミウラも軽くひざ蹴りをしてきた。除けずに受けると、結構な痛みが走る。
それからミウラはテキストを開き「なーんーむーみょーあーほーむーれんーだーげーぶーきょーつー」と、意味不明の『パワード』を甲高い声で読み上げ始めた。その顔は恍惚の表情を見事に表していた。
さあ、これからどうやって救出作戦を行動に移すか、小声で相談した。結局は強行突破しかないだろう。どうせ素人の集まりだ。実力行使、不意をついての正面突撃だ。ただ、その前にこの施設の見取り図を正確に把握する必要がある。それから肝心な救出すべき人間を探し出すことだ。いったいどこにいるのだろうか。鉄三郎にもそこまでの施設における情報は持っていなかった。
取りあえずしばらく修行に没頭する振りをしながら少しずつ探ってゆくほかなさそうだ。
それにしても腹が減った。ここまでで与えられた食料は菓子パン二つに牛乳と缶コーヒー1本のみだ。宿泊クラスになったから明日からはもう少しましな物を与えられるらしいが……。風呂やシャワーは3日に一度らしい。こんなところに閉じ込められてまで馬券の修行をしたいなんて、俺には考えられない。正気の沙汰とは思えない。
やがて夜の12時とのアナウンスが流れた。蛍の光の音楽とともに就寝らしい。部屋の片隅に積みあげられた毛布と枕を銘々がつかみ取り、それぞれのスペースで雑魚寝だ。ほど良い空調が効いていて寒くはないものの、50人からの野郎どもが集まっていびきの大合唱と酷い寝像の中でクッションも無しに眠るのは至難の技だった。俺はほとんで眠れずに夜を明かした。
優香には悪いが、意識が戻ったというカオリのこと考えていた。
カオリ、許してくれ。俺が……悪かった。
翌朝、6時のお知らせとともにけたたましい音楽が流れ、道場の朝が始まった。部屋の者は叩き起こされ、まずはここ『グリーンルーム』の清掃・片づけだ。いちいち黒作務衣の連中が馬の名札を付けて俺たちを指導した。いずれも20代の若造だ。そのあと食堂『イートルーム』に全員が集められ、細長いテーブルに500名ほどが並んで食事となった。目の前に差し出された食事は茶碗に冷えた飯と具のないみそ汁、納豆とたくあんのみだった。またしても『パワード』を10分ほど読み上げてから、いただきますとなった。これは明らかに留置場よりもきつい、犯罪者以下の扱いだ。
ところが誰も彼もがにこやかに笑顔で『パワード』を唱え、この粗末な食事を喜んでほおばっている。なんだここは?
俺は気持ち悪くなり吐き気を覚えた。
続く




